第一話

文字数 4,555文字


「むーん!」

 ザザザザザッ、と音を立てるのはゼラの蜘蛛の脚。恐ろしい速度で景色が流れていく。かなりの速度で街道を疾走するゼラ。その大蜘蛛の背中に乗り必死にゼラの背中、赤いブレストプレートの背中の取っ手にしがみつく。
 馬に比べて縦揺れが少なく、滑るように移動するので揺れは少ないものの、風切る異常な速さが恐ろしい。
 馬で八日かかるところを一日で駆け抜ける、馬の八倍の速度は出せるという、ゼラの蜘蛛の七本脚。

「カダール、だいじょぶ?」

 首だけ軽く振り向いて後ろに乗るこちらを見るゼラ。この速度でよそ見とか、いや、ゼラは後ろに乗る俺とエクアドに気を使って、まだ全力では無いのか。
 落下防止に俺とエクアドはロープで腰のところを縛っている。そのエクアドは俺の背後から俺の胴に手を回してしがみつく。

「エクアド、どうだ?」
「もう少し速度を上げても大丈夫だ。遠慮するな!」
「ということだゼラ、俺も問題無い」
「ウン! も少し速く!」

 更に加速するゼラ。う、おおお、これは速い。揺れが少なく乗り心地が良いところが、逆になんか怖い。この速度で転落したらシャレにならない大ケガになりそうだ。

「ハハウエ、心配」

 ゼラと俺とエクアドは三人でローグシーへの街へと急ぐ。母上、無事でいてくれ。

 遺跡迷宮に乗り込み邪教は潰滅。裏で全てを画策していたラミアのアシェンドネイルには逃げられたものの、首領の邪神官ダムフォスは死亡。操られていた危険な魔獣二体も討伐。邪教徒は捕縛して。
 これで片はついたか、と油断していたところ。

「別動隊が、ローグシーの街へ。兵と伯爵が居らず手薄になったローグシーで、ウィラーイン伯爵夫人の誘拐を計画してまして」
「何だと!」

 遺跡迷宮からジツランの街へと移動中。この移動の最中にも話のできそうな邪教徒の黒ローブ連中からいくつか話を聞き出していた。三日目で森から出るところで、呆としてた頭がハッキリしてきたのか、黒ローブの一人がボソボソと言い出した。

「ウィラーイン伯爵とその息子には、伯爵夫人を人質に取るのが有効だろう、と。ハンター崩れと合わせて八人が、ローグシーの街に行っています」
「そいつらは、今はどうしている?」
「ロ、ローグシーの街に潜伏し、き、機会を伺っているころ、ではないかと」

 父上が睨んだ黒ローブは青い顔でひきつって応える。

「父上、これは一刻も早くローグシーに戻らねば」
「あぁ、ルミリアのところにはフクロウが伝えておるし護衛もいるが、これは急がねば。ルミリアなら油断せねば対処できようが。では、邪教徒の連行の為に隊を分けて、」
「ゼラが行く!」

 ゼラが真剣な目で、左手と左前脚をしゅぴっとする。

「ゼラが一番速い、ゼラが行く。ハハウエ、心配」
「よし、ゼラ、俺を乗せてくれ」

 ゼラの蜘蛛の背に乗り先に行こうとすると。

「待て待て、ゼラとカダールだけで先に行かせられるか」

 エクアドに止められる。アルケニー監視部隊の隊長でもあるから、当然か。

「しかしエクアド、これは急がねばならんことだ」
「だからと行って二人だけで先行するな」
「じゃ、エクアドも乗って!」

 さらりとゼラが言うのでエクアドと二人乗りに。速度を出すとのことで転落防止にロープを使う。ゼラの蜘蛛の背中に男が二人乗り。
 ゼラが言うには大人が三人乗っても大丈夫と言うが、急ぐとなるとどうなのか。エクアドの槍にカバーを着けて落ちないようにくくりつける。
 ゼラの後ろに俺、俺の後ろにエクアド。

「槍風が剣雷を後ろから……」
「やはり剣雷が誘い受けで」
「剣雷の想い人の真後ろで槍風が寝とりとは?」
「なんですかもう、いろいろとご馳走さまです」

 アルケニー調査班の女研究員がいつものように、よく解らない呪文のようなことを言って鼻息が荒い。よく解らないというか、よく解りたくも無いというか。

「では父上、お先に!」
「すぐに後を追う! 頼んだぞ!」

 こうして俺達三人が先行してローグシーの街に帰還することに。終わったと思っていたがこんな取りこぼしがあったとは。諜報部隊フクロウが警告していれば、母上も警戒するはずだが。

「そいつらが未知の邪術でも使うなら、母上が危ない」
「ルミリア様の護衛は手練れで、ルミリア様も魔術師だが、実戦から離れて随分と経つだろうし」

 ここのところの陽気で少し水量の減った川を、ゼラはジャンプして飛び越える。ゼラは魔力枯渇状態から三日過ぎた今は、もうすっかり回復している。蜘蛛の背中に乗る俺とエクアドをチラチラ見ながら、速度を調整しつつ、あっという間にローグシーの街へと到着。

「母上!」

 ゼラが塀を飛び越えて庭に着地。俺とエクアドはロープを外して飛び降りる。

「あら、お帰りなさい」

 我が家の庭、倉庫の近く。天井を布で作ったあずまやで母上が椅子に座っている。良かった無事だ。ホッとする。

「母上、無事でしたか。ということは、別動隊はまだ来てませんか」
「別動隊? カダール、何かありましたか?」

 言いながら母上は手に持つ縫いぐるみに針をチクチクと刺す。片手に持ち形を確かめて、またチクチクと。

「母上、フェルトぐるみを作っている場合ではありません。母上を誘拐しようと企む者がいます」
「えぇ、いましたね」
「はあ?」
「捕らえて屋敷の中で寝かせています」

 母上はいつもの穏やかさで呑気にフェルトぐるみを作っている。誘拐犯はもう捕らえた? 思わずエクアドと顔を見合わせる。……既に、終わっていた? それなら俺達、何しに急いで来たんだ? ゼラが母上に近づいてかがんで母上のフェルトぐるみを持つ手を握る。

「ハハウエ、無事? 大丈夫?」
「あら? どうしたの? ゼラ?」
「ハハウエ心配で、走ってきたの」
「まぁ。ゼラに心配させるようなことなんて、何もありませんよ」
「よかったー、ハハウエ」

 ふう、と息を吐くゼラを見て母上は小首を傾げて微笑んで、

「ゼラがこんなに私のことを心配してくれるだなんて」
「だって、ハハウエ、カダールの大事な人。だからゼラにも大事な人。ゼラはハハウエ、守る」
「まぁ、嬉しいわゼラ」

 きゅ、と抱き合うゼラと母上。なんだか親子のようだ。母上は嬉しそうに微笑んでいる。いやまぁ、無事ならそれでいいのだが。
 母上の側に立つメイドを呼ぶ。

「サレン、詳しく話を聞きたい」
「では一度屋敷の中で」

 メイドのサレンとエクアドと俺で屋敷の中に。母上はゼラとお喋りを始めている。母上の作っているフェルトぐるみを見て、ゼラは驚いて母上は楽しそうだ。そのフェルトぐるみも少し気になるが、そこに突っ込むのは後回しだ。
 屋敷の中、アルケニー調査班の仮の宿となった部屋、そこのベッドの上に男がひとり寝ている。

「あぅ、ぐ……、み、水……」

 全身、大火傷で苦しんでいる。包帯でグルグルに巻かれていて、これはどうしたことだ? メイドを見れば涼しげな顔。このメイドのサレンはメイドの服を着てはいるが、言ってしまえば護衛メイド。無手格闘と捕縛術のエキスパートだ。

「サレン、何が起きたか説明を頼む」
「はい、奥様がローグシーの街を視察に出る際に襲われました。フクロウから伝言はあったのでこちらも警戒していたのですが、奇襲を受けました。私が奥様を守っている間に奥様が火嵐の魔術で、襲撃者全員ボンとしてしまわれまして」
「ボンって」

 母上は火系を得意とする魔術師で、かつては父上と魔獣討伐していた実戦派魔術師ではあるが。だからって全員、火嵐でボンて。

「最近荒事が少なくて鈍りそうだったので、少し期待もしてたのですが。この程度では奥様の敵にもなりませんね」
「伯爵夫人が誘拐されるようなことが頻繁にあってたまるか」
「一番火傷が酷いのはこの男で、残りの七人はここまで重症ではありません。回復薬(ポーション)で死なないように手当てはして、見張りをつけてこの屋敷で寝転がしてあります。こんな輩に回復薬(ポーション)を使うのはもったいないですが」
「死んでは何も聞き出せなくなってしまうだろう」
「総数八名、全員動けなくしてこの屋敷で監禁。こいつらを助けに仲間が来るかと待ち構えているのですが、それも無さそうです」

 つまらなそうに溜め息をつく護衛メイドのサレン。……荒事に飽きたからウチでメイドにって言ってなかったか? 何を待ち構えてるんだ?
 エクアドがベッドに寝転ぶ男の様子を見る。

「赤炎の貴人、未だ健在か。心配することも無かったか?」
「エクアド、この前、油断して危ないところだったから、気を引き締めておかないと」
「そうだな。俺もゼラがいなかったら死んでたかもしれない」

 ベッドに横になる全身火傷の男が苦しげに。

「うぅ……、み、水。水を下さい。お、お願いします……」
「うるさいですね」

 メイドのサレンが水をベッドの男に飲ませる。いや、これは飲ませるというよりは、コップの水を顔に垂らすと言うのが正解か。男はいきなり顔にかかる水に驚いて咳き込む。捕虜の扱いはもう少し丁寧にしてはどうだろうか?
 サレンは雑に男の顔を手拭いで拭う。

「エクアド様、奥様を昔の異名で呼ばない方がよろしいかと」
「そうなのか? 過去に何か、王国魔術師団絡みで何かあったとか?」
「いえ、奥様が赤炎の貴人も火炎嬢も可愛くないから嫌、と仰せで」

 異名で可愛らしいものって。過去にやったことで異名がつくのだから勇ましいことをすれば勇ましい異名がつくものだろう。
 慌てることも無かったのか? 母上は無事で襲撃者は全員捕獲、と伝令を出しておかなければ。こちらに向かっている父上に強行軍は必要無いと。
 窓を見ればゼラがペタリと張り付いてこっちを見ている。窓を開けてゼラが部屋の中を覗けるように。

「カダール、そこの人、治した方がいい?」
「うーむ、まだいいか。こいつらは父上が来るまで身動きできない方が良さそうだ」
「そう? カダール、これ見て!」

 ニコニコとゼラが手に乗せて差し出すのは、手のひらに乗るサイズのぬいぐるみ。母上が作っていたフェルトぐるみだ。
 ゼラの手のひらには、これはゼラだろうか? 下半身蜘蛛の女の子。三頭身くらいにデフォルメされた可愛らしいフェルトのお姫さま。絵本の蜘蛛の姫、か。こちらは桃色のドレスを着ていて、肌の色はゼラより薄いがゼラに似ている。

「可愛いな、ゼラに似ている」
「ハハウエ、作ってくれたの。カダールもいるよ」

 邪教徒の別動隊八名、火嵐の魔術で一掃した母上。捕獲した邪教徒を転がしたまま、フェルトぐるみ作りに集中している。
 母上は頼り甲斐はあるのだが天然なところがあってそこは心配になる。何をするか解らないという種類の心配だが。

「ウィラーイン伯爵家って、本当になんなんだ?」
「エクアド、それを解った上で例の件を考えて欲しいのだが」
「……俺はこの一家の養子になって、やっていけるのだろうか……」

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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