第三十六話

文字数 4,738文字


「ハウルル!?」
「はああああ!」

 ゼラが叫び、ハウルルが手足を振り回して暴れ出す。もがくハウルルをゼラががっしりと抱き締める。

「ハウルル、落ち着いて!」
「はああああ!」

 ハウルルの金の瞳は虚ろなまま、ゼラの手から逃げ出そうと手を振りサソリの鋏と尻尾も滅茶苦茶に振り回す。だが、ゼラの腕力からは逃げられない。それを見るルブセィラ女史が眼鏡の位置を指で直す。

「後催眠か強制服従ですか。ハウルルがウェアウルフのように制作者の指示通りに動くのでは、というのは想定済みです」

 それがゼラに戦闘に参加させずにハウルルを守らせた理由だ。ハウルルはもがいて暴れているが、そのサソリの鋏はゼラの糸で開かないように縛ってある。サソリの尾の先の毒針も、プリンセスオゥガンジーで作った袋を被せて、赤いリボンでとめてある。

「ハウルル、しっかりして!」

 ゼラが呼びかけるがハウルルは暴れるばかり。だが、ゼラなら余裕で押さえられる。ハウルルに催眠か暗示をかけたのか、そのように頭の中をいじったのか。なんてことをしてくれる。
 ハウルルを呼ぼうとしたレグジート、そのドラゴン擬きの太い脚を右手の長剣で斬りつける。黒い鱗が飛びレグジートは呻くが、脚が太く骨を断つところまで剣が入らない。

「ぐあぁ! おのれ、何故、我の攻撃が当たらん? 人の腕力で何故、我の身が傷つく? 有り得ん!」
「代々魔獣と戦い続けたウィラーイン家の剣術、その身で味わってみろ」

 人より強く、速く、ときには硬い、そんな魔獣を相手に戦う為のウィラーイン剣術。ただの筋力と速度だけでは測れぬ技術の積み重ね。それが盾の国の武術だ。

「レグジート、貴様の考える人の力とは、どれだけ過小評価なのか。それで簡単に人の形を捨てたのか?」
「えぇい! セ号! 速く戻れ! アルケニーの腕など振りほどけ!」
「ゼラの腕力も知らんようだ。レグジート、ハウルルの支配を解け。そしてお前の根城、古代の研究施設の場所を教えろ」
「あれは我のものだ! 古代文明の叡知、人類の知恵の集積! その価値を知らぬ愚か者に渡せるものか!」

 喚き声を上げながら血塗れの脚で俺を蹴ろうとするレグジート。俺はその場から飛び退き回避。そして俺に注意が向けば、エクアドとサレンが死角からレグジートを攻撃する。

「我が! 我が古代の叡知を復活させる! 人類の文明を発展させ、魔獣に怯えぬ世界を! 更なる叡知の為に!」
「その為に子供を実験に使うような古代妄想狂に、危険な遺産を好きにされてたまるか」
「技術の解明と発展に必要な犠牲とも理解できんか! 野蛮人が!」
「人の心を捨てた発展で、誰が喜ぶか!」
「理解できる賢人ならば、歓喜とともに受け入れる!」

 こいつは狂っている。たとえどのような発展があろうとも、その為に子供を悲惨な目に遭わせるなど許せるものか。レグジートは古代の遺産に魅了された狂人か。
 俺はレグジートに呪文詠唱に集中させない為に、挑発混じりの言葉をかけている。だが本心から、ハウルルを悲惨な目に遭わせるような文明などまっぴらだ。
 サレンが跳び回し蹴りでドラゴン擬きの膝を蹴りつける。

「ならば愚者で蛮人の私が、憤怒とともにあなたを潰しましょう。その手足、全て砕いてから訊問するとしましょう」
「くおお、知恵と技術こそが人の持つ力。なのにその叡知を否定するのか!」
「人の心を捨てるような叡知など、俺たちには不要だ」

 エクアドの槍がドラゴン擬きの脚を抉る。ゼラはハウルルを押さえているし、隊員はウェアウルフ相手に優勢。あとはレグジートを逃がさぬように捉えるだけだ。
 レグジートが叫ぶ。

「ぐぐ、サンプルの消失は惜しいがやむを得ん。ザジワード! 血よ狂え! “狂血暴力(スタンピード)”!」
 
 ウェアウルフが一斉に苦しげに吠える。まだ奥の手を隠していたか? 今度は何だ? ウェアウルフの身体が膨らむ。筋肉が異常に盛り上がり、毛皮が裂けて血を流す。その血からは湯気が昇る。目が赤く輝き、苦痛と興奮の狂気の咆哮が崩れた遺跡を震わせる。

「身体強化の古代魔術か? 今さらそんなことで、」
「惜しいが生きたままのサンプル回収は諦める。野生に戻った蛮人はここで死ね、魔獣兵と共に」
「何?」
「筋力、反応速度を限界を越えてその能力を解放。これで肉体も短時間で崩れて溶けるが、魔獣兵などまた作ればいい」
「レグジート、貴様!」
「我がこんなところで捕まる訳にはいかん! それは人類の損失だ! これで魔獣兵は指示も聞かず暴走するだけの狂兵となる。暴れろ魔獣兵!」

 全身の筋肉を肥大させたウェアウルフが隊員を襲う。先程までとは動きも狂暴性も段違いだ。裂けた毛皮から血飛沫を散らし全身から湯気が昇る。苦鳴の叫びを上げて爪牙を振るう。く、悪足掻きを、レグジートが逃げる時間稼ぎなどさせん。

「きゃあああ!?」
「ゼラ!?」

 ゼラの悲鳴に振り向けば、ゼラの右手から血が流れている。

「はああああ!!」

 ゼラの手を逃れ、地面に下りたハウルルが両手で頭を抱えて悲鳴を上げる。ハウルルの赤いサソリのハサミ、そこに血が。ハサミに糸の拘束が無い。ハウルルがゼラの糸を引きちぎり、ハサミでゼラの腕を切りつけたのか? ゼラは左手で血を流す右手を押さえる。

「ゼラ!」
「カダール! ハウルルが!」

 ハウルルの全身の筋肉が盛り上がり、青色のワンピースがはち切れて破れる。異常に肥大した筋肉、白い肌の表面に血管が網の目のように走り、皮膚が破れ血が溢れる。ハウルルの金の瞳は正気を失い、叫びながら赤いサソリのハサミと尻尾を振り回す。

「ハウルル! やめて!」
「はああああ!!」

 ゼラが叫び、手から蜘蛛の糸を飛ばすが、ハウルルのハサミがゼラの糸を切り裂く。ハウルルのハサミはゼラの糸も切る切断特化だ。ハウルルまでウェアウルフのように身体が膨らみ暴れだす。いかん、ハウルルを止めなければ。

「セ号一体を暴走させれば良かったのか? 蛮人の思考は解らん。“狂血暴力(スタンピード)”は解除不可、セ号は死ぬまで暴れ続けるぞ」
「レグジート! この古代妄想狂が!」

 余裕を取り戻したレグジート、薄く笑うその顔が憎らしい。

「ハウルルを押さえて!」

 母上が指示を出すが、隊員達はいきなり強化されたウェアウルフの相手で手一杯だ。何人かは先に重りのついた捕獲用のロープを投げるが、ハウルルのハサミは全て切り落としてしまう。

「余所見とは」
「ぬうっ!」

 ドラゴン擬きの腕が俺に迫る。レグジートとの戦闘中だというのに隙を見せてしまった。回避が間に合わない。右の長剣と左の小剣で十字に受けて、衝撃を逃がす方向へと飛ぶ。重い巨腕の一撃を剣で受け止め身体が宙に浮く。吹っ飛ばされ、遺跡の半壊した石壁に身体がぶつかる。石壁は砕けて割れ、俺は瓦礫の中に無様に転がる。ぐ、不覚、頭を振って慌てて起き上がる。

「やめて! ハウルルー!」

 ゼラの悲鳴、ふらつく頭を起こして見れば、ハウルルがゼラに飛びかかるところ。ハウルルの身体は歪に肥大し、ところどころの皮膚が内側から裂け、全身が湯気の立つ血で赤く染まる。ハウルルが高く跳躍して、サソリのハサミがゼラを狙って大きく振りかぶられる。

「ゼラ!」

 やめてくれハウルル、相手はお前の大好きなゼラなんだぞ。

「ハウルルー!」

 ゼラがハウルルの名を叫んだとき、ハウルルの表情の無い目が一瞬、金色に光る。高く跳躍したハウルルの二本のサソリのハサミが鋭く振り下ろされて、胸を貫く。

「ハウルル?」

 バランスを崩して落ちてくるハウルルを、ゼラが両手で受け止めて胸に抱く。

「……あ?」
「……ぜ、」

 胸から噴く血にまみれるゼラとハウルル。ハウルルのサソリのハサミは、ハウルル自身の胸を深く穿っていた。ゼラに抱かれたハウルルは口からも血を吐く。赤いサソリのハサミを自分の胸に突き立てた血塗れのハウルル。ぐったりと力の抜けたハウルルを抱くゼラが目を見開いて、

「ハウルル、なんで?」
「……ぜ、ら」

 ゼラを見上げるハウルルは満足そうに微笑む。それは見ている方が胸が暖かくなるような、いつものハウルルの優しい笑みで。何か語ろうと口を動かすが、口から出るのは赤い血と吐息だけ。
 その胸にサソリのハサミを刺したままのハウルル、赤いサソリの尻尾がボトリと落ちる。力無く垂れ下がる右腕が、肩から抜けるように、千切れて地面に落ちる。まるでウェアウルフが死んだときと同じように、ハウルルの身体が溶けて崩れていく。
 
「“狂血暴力(スタンピード)”の中で自我を保っていたか? 苦痛から逃れる為の自死か? やはり人を素体とせねば解らぬことが多い」

 レグジートが呟く。奴は許さん、だが今はゼラとハウルルだ。二人のところへと走る。その間もハウルルの身体は皮膚が溶け崩れ、サソリの脚がポト、ポトと身体から離れて落ちる。
 ゼラが泣く。

「ハウルル? どうして? い、今、治すから! なー!」

 ゼラの手が白く光る、治癒の魔法。だがハウルルの身体が崩れていくのを止められない。

「なんで? ハウルル! ダメ! なー! だー!」
「ぜー、ら」
「ハウルル、死んじゃヤだ! なー!」

 ゼラが泣く、ハウルルは笑みを浮かべ左手をゼラの頬に伸ばすが、その手も肘から先がボトリと地に落ちる。

「は、ハウルル、ハウルルの身体が治らないよ? なんで?」
「ぜー、ら」
「ハウルル、どうして? こんな?」
「ぜら、」

 赤いサソリの下半身が、クチャリと地に落ちる。ゼラの抱くハウルルの身体は胴体と頭しか残っていない。ハウルルの皮膚が溶けてズルリとむける。
 金の瞳がゼラを見上げ、最後の言葉を告げた。

「ぜら、おねえちゃん、すき」

 夢見るように呟く。柔らかく微笑んだままのハウルルの顔がドロリと溶け、赤黒い液体に変わる。ボトリ、ボトリと落ちる。ゼラの手に残されたのは、ハウルルの赤い髪。ゼラの身体と赤い胸当ては、ハウルルの溶け崩れた液体で赤黒く染まる。
 ハウルルの赤いサソリのハサミが地に落ちる。そのハサミが刺さるのは黄色い宝珠。銀色の針金細工が覆う黄色の宝珠は、ハウルルの胸の辺りから出てきた。宝珠にはハウルルのハサミが突き刺さり、大きく罅が入っている。

「因定珠が! 古代の遺産が! ええい、価値の解らぬ愚物め!」

 レグジートが喚く。あれが因定珠。ハウルルの身体の中にあった、ハウルルの身体を支える古代魔術文明の魔術具。
 ハウルルが自ら壊した、レグジートの欲する物。因定珠にハサミを突き立てたハウルルは溶けて、ゼラは呆然と赤黒く染まった手を見つめる。
 ハウルルが、死んだ。

「……ヤ、だ、」

 ゼラが震えて両手で顔を覆う。ハウルルの溶けた身体の液体が、ゼラの顔を赤黒く染める。
 ハウルルが死んだ。暴走する己を止める為に、ゼラを守る為に、自分の胸の中の因定珠を壊して。

「……こんなの、ヤだ、ハウルル……なんで?……」

 ゼラの声が虚ろに響く。暗い穴の底から聞こえるような、暗く沈んだ声で。ゼラの声に応えるハウルルはもういない。

「あぁ、ハウルル……」

 ゼラにとって、弟のように、ときには我が子のようにも思えるハウルル。そのハウルルが。

「こんなの、イヤあああああああ!!」

 天を仰ぎ、ゼラが絶叫する。胸を張り裂くような声が響き渡る。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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