第四十一話

文字数 5,842文字


 廃墟の遺跡の中、泣き続けるゼラを抱き抱える。ゼラの泣き声は静かになっていき、やがてくたりと力が抜ける。

「ゼラ?」

 呼びかけても応えは無い。泣き疲れて眠ってしまった。
 戦闘は終わり、ドラゴン擬き、レグジートはバラバラになって死んだ。ウェアウルフも強化の古代魔術に耐えられず、自滅するように動かなくなった。

「……ハウルルちゃんが、」

 地面に手を着き座り込み、護衛メイドのサレンが項垂れている。サレンがここまで落ち込むところを見るのは初めてだ。サレン以外にも、ハウルルを可愛がっていた隊員達は暗い顔をしている。

「アステ、治癒術が使える者と隊員の応急処置を」

 母上は毅然とした態度で指揮をする。顔に出さないようにしているが、母上も気落ちしている。
 槍を肩に担いだエクアドが俺に近づく。

「カダール、ゼラは?」
「どうやらもとに戻ったようだ」
「カダールの血はゼラにとって万能薬か」
「いや、これのおかげだろう」

 俺は左手に握ったままの赤い宝石をエクアドに見せる。アシェンドネイルが俺に投げた母神の瞳。

「この宝石を通して、闇の母神がゼラを戻すのに手を貸してくれた」
「ルボゥサスラァの瞳、ただの覗きの魔術具では無かったのか」
「闇の神の名を冠する神器、ということだろう」
「教会に見つかる訳にはいかんな。それよりもカダール、早く手当てを」
「む? 手当て?」
「おい、カダール。自分の身体の状態が解ってるのか?」
「俺の身体がどうし? あいたたたた!?」
「治癒術が使える者、こっちに来てくれ!」

 左肩と背中と胸と腹に痛みが? これは赤い世界の幻痛じゃなくて俺の身体が痛い? ぬお! 感覚が戻ってきて痛い痛い、身体中痛い。
 医療メイドのアステが走ってくる。治癒術と回復薬(ポーション)で俺に治療を始める。

 ゼラに血を飲ませるために、自分で自分の左肩に短剣を刺した。だが、俺の身体のケガはそれだけじゃ無かった。
 先ず左肩の穴。異形となりかけたゼラに血を飲ませるため、蜘蛛のようになったゼラの顔の下半分、そこから伸びた牙を俺の左肩に突き刺した。それは憶えている。ゼラの後頭部を押して、自分でゼラの牙を深く肩に刺した。

「カダールがゼラにしがみついてるとき、隊員達でゼラの腕と脚を拘束していた。だが、ゼラの腕力に負けて右手のロープが振りほどかれた」
「蜘蛛の脚のように伸びたゼラちゃんの指が、ぼっちゃんの鎧の背中に穴を開けて突き刺したときは、もうこれで終わりかと」

 エクアドの説明にアステが続ける。目尻の涙を指で拭いながら。隊員が集まり俺の変形した鎧をなんとか剥がそうとする。
 赤い世界から戻ったときは、ゼラは必死に俺にしがみついていた。このときいつもの手加減ができなかったらしい。プラシュ銀の鎧を着ていて助かったのだが、ゼラの腕力で鎧が歪んでいる。鎧のおかげで胴体は守られたのだが、背中も痛いし、また、肋骨が折れている。ぐむ、脆すぎるぞ俺の身体。どう鍛えればゼラが安心して俺にしがみつけるようになるというのか。
 
「アシェンドネイルは? 姿が見えないが」
「いつの間にかいなくなっていた。ハウルルの胸から出てきた宝珠も無い。どうやら目的の物を手に入れて姿を眩ましたようだ」
「レグジートの根城、隠された研究施設を探しに行ったのか?」
「分からん。クチバがフクロウの隊員を連れて、周囲を捜索しているから、何か手がかりが見つかるかもしれんな」

 アステの治療を受けて痛みは治まってきた。なんとか鎧は外して、上半身裸でアステに包帯を巻かれる。

「ぼっちゃん、まだ動いてはダメです。私の治癒術はゼラちゃんの魔法とは違うのですよ」
「ゼラの魔法に頼ってしまっていたか。だが、アステ以上の治癒術師は人にはいないだろう。他の隊員達も頼む」

 強化されたウェアウルフとの戦闘で隊員に負傷した者がいる。どうやら一番重傷なのが俺のようだが。治癒術の使える者が隊員の手当てをし、俺の治療を終えたアステもそちらに向かう。
 俺が動けないのでエクアドに頼み、眠るゼラに毛布をかけて身体の下にクッションを入れてもらう。ゼラは眠りながらも眉を顰めて辛そうだ。近づいてゼラの手を握り頭を撫でると、ゼラの眉間のシワが無くなっていく。

「ゼラを泣かせてしまったわね」
「母上」

 側に来た母上がゼラを見下ろす。いつも自信に溢れる母上が暗い顔をしている。

「ハウルルを死なせて、隊員に被害も出て、レグジートの根城も解らないまま。何ひとつ上手くいかないわ」
「母上、相手は未知の古代魔術の使い手です。読みきれる者などいないでしょう」
「策師、策に溺れるなんて、笑えない滑稽さね」
「ハウルルを失ったことは残念です。ですが、俺達は未来が読める訳では無いのです」

 やれるだけのことはやった。それでも、後から見れば足りないところはいくらでもある。俺のすることはいつもそうだ。
 だが後悔に囚われて歩むことを止める訳にはいかない。その方が後で悔やむことになる。それに、

「ここで落ち込むだけで、ゼラを泣かせたままでは、ハウルルに心配されます」
「……そうね。ハウルルが守ろうとしたものを、私達は大切にしないと」

 ルブセィラ女史がこちらに来る。その手に持つものを俺に見せてくれる。

「見つかったのはこれだけです」

 ルブセィラ女史の手には、赤いサソリのハサミ、赤い尻尾の先の毒針、薄い赤い髪の毛。ルブセィラ女史から受けとる。赤いサソリのハサミは硬く、冷たい。

「ハウルルの身体の他の部位は自壊して、ウェアウルフと同様に溶けた液体となりました」
「そうか、ありがとうルブセィラ」

 残ったものがこれだけか。スカートの中からこのハサミと尻尾を出して、揺らしながらゼラへと歩くハウルルを思い出す。

「ルブセィラ、これはゼラに預ける。ルブセィラはこれを研究したいのだろうが、我慢してくれ」
「いえ、私もそれが良いと思います。私もハウルルのことをただの研究対象とは思えません。それに研究するなら、あちらのドラゴン擬きの肉片を持ち帰ろうかと」
「そっちは任せる。何か解ったら教えてくれ」

 重傷者は大人しくしていろ、とエクアドに言われ後のことはエクアドと母上に任せることに。俺は眠るゼラの側に。
 
 この地で夜営をし翌日の朝、ゼラが目覚めた。

「おはよう、ゼラ」
「カダール……」

 ゼラは自分の手で自分の身体を確かめるように何度も触る。

「ゼラ、どこか痛くないか? 身体に何か変わったことは?」
「ン、だいじょうぶ……」

 どこかボンヤリと項垂れるゼラの手を引き、ローグシーの街へと帰還する。魔獣深森での移動ではオークとの戦闘もあったが、アルケニー監視部隊の敵では無かった。隊員の八つ当たりのような戦闘になってしまった。
 また、もとに戻ったゼラに治癒の魔法で俺と隊員の怪我を治してもらう。ゼラは何かしている方が気が紛れるのか、テントを畳んだり、魔法で水を出したりと何かと手伝おうとする。昼間は元気に振る舞うが、夜には俺の胸で寝るまでしくしくと泣いたりする。

 ローグシーの街では、俺達はウェアウルフの異常発生のもとを絶った、ということにして凱旋となる。
 街の住人は盛り上がっていたが、俺達は領主館に到着するとぐったりと疲れた。父上に事の次第を説明する。

「ハウルル、甘えん坊の女の子のような少年であったが、その心は騎士の如き男であったか」
「父上、甘えん坊だからこそ、大事なものを守ろうと立つのかもしれません」
「そうかもしれん。ハウルルを見ていると、幼い頃のカダールを思い出したものだ……」

 俺が幼い頃は、母上と乳母のアステにベッタリだったらしい。ハウルルのことを弟のように感じるのも、その辺りが似てるからだろうか。

「魔獣深森の中で、巨大な炎の竜巻が現れました」

 フクロウのクチバの報告を聞く。

「現場には古代魔術文明の建物の跡がありましたが、石も溶けるような高温で炙られ、破片しか見つかりません」
「そこが問題の研究施設か?」
「おそらくは、と、言ってもあんな炎の竜巻で古代の建物を破壊するのは、人には不可能でしょう。そんな超常の魔法を使うのは、アシェンドネイルか深都の住人、というのが推測できるところです」
「アシェンドネイルが火系の魔法を使うことは解っている。ならば後始末はこれで終わり、なのか?」
「まるで無関係な未知の魔獣、というのは考えたく無いですね。未発見の遺跡があちこちにある、というのも」

 結局、アシェンドネイルは別れの挨拶もせずにいなくなった。
 ハウルル、古代の探求者レグジート、深都の住人アシェンドネイル。この三名の事態の真相は、俺達にはよく解らないまま。
 レグジートは死に、ハウルルは死に、ハウルルの身体の中にあった因定珠は壊れて消えた。
 酷い嵐が荒らすだけ荒らして、過ぎ去っていったような気分だ。
 それでも生きている者はやらなければならないことがある。

「おはか?」
「そうだ、ハウルルの墓をつくろうかと」

 訊ねるゼラに墓について説明する。ゼラは少し元気を取り戻したが、まだ本調子では無い。以前のように元気になろうとして上手くできない、という感じだ。
 ゼラはアバランの町で葬式を見てはいるが、人の風習、葬式や埋葬というのはピンと来ないものらしい。それもそうか、墓に死者を埋め、故人を悼むのは人間だけか。身近な人を喪うのはゼラには初めての体験だ。

 晴れた日に庭の花壇の隅に穴を掘る。教会の共同墓地も考えたが、ゼラが『ハウルルが寂しくないのがいい』と言うので庭にハウルルの墓を作ることにした。
 ゼラニウムの花、ゼラの瞳に似た色の花の咲く花壇の中。俺とゼラの住む倉庫にも近いから寂しくはないだろう。
 掘った穴の中に、ゼラがハウルルの赤いサソリのハサミと尻尾をそっと置く。ゼラの手がハウルルのハサミをそっと撫でる。

「カダール、ハウルルのタマシイは、何処へ行ったの?」
「ハウルルのように心優しい子供は、きっと天国に行っているだろう」

 光の神信仰の教会はそう教える。善行を積んだ清らかな魂は天の国へ。悪行を重ねた汚れた魂は地獄へと。
 善き人には幸せになって欲しい。悪い奴には酷い目にあって欲しい。人では報いられぬ善に幸を、人には裁けぬ罪に罰を。そんな願いもあるのだろう。北のメイモントでは、祖先の想いが霊となり子孫を見守るという、祖霊信仰もある。
 だが、魂が実在するかどうかは解らない。在って欲しいという、人の願いかもしれない。
 それでも、無いよりは在ると、そう考え、そう感じた方が、人は正しく豊かに生きられるのではないか。

「ゼラ、どんな生き物もいずれは死ぬ。だから俺達も死んだときは魂となり、天国に行けばハウルルと再会できるかもしれない」
「ハウルルに、また会えるの?」
「そのときの為に、ゼラはハウルルに聞かせる物語を用意しないとならない」
「物語?」
「そう、ハウルルが守ってくれたおかげで、ゼラは幸せに暮らせました、とハウルルに伝える物語を。ハウルルにありがとう、と伝える為に」
「幸せに、ゼラは、幸せになれる? まだ、ハウルルのこと思い出すと、胸が痛いよ……」

 うつむくゼラの肩を優しく抱く。

「カダールは、こんな思いをしてきたの?」
「俺だけじゃ無い、エクアドもそうだ。父上と母上はもっとだ」

 ゴブリン大侵攻のときも、(スワンプ)ドラゴン討伐のときも。俺がもっと強ければ、俺がもっと上手くやれれば、ゴブリンに襲われる村人を助けられたのでは、(スワンプ)ドラゴンにやられた仲間を助けられたのでは。
 悔やむことばかりで、その度に強くならねばと己を鍛えてきた。

「魔獣深森に近いウィラーインでは、魔獣に家族や友人を襲われて喪う者が多い。誰もがそんな思いを抱えている」
「こんな痛みを感じて、それでも、みんな元気に?」
「痛いからこそ、次は痛くならないように、大切な人をその痛みから守れるように、俺達は鍛えている。強く賢くなろうとする」
「みんな、すごい」
「あぁ、でもこれが生きていくために必要なことなんだ。それに生きることは、痛いと辛いだけじゃ無い。ゼラは幸せになれる。俺が幸せにしてみせる。ハウルルが大好きな、ゼラの笑顔を取り戻してみせる」
「カダール……」
「無理して笑うことは無い。だけどハウルルは、ゼラにいつまでもしくしくと泣いていて欲しいなんて、願ってはいない」
「カダール、ゼラは、ゼラはどうすればいいの?」
「先ずはハウルルのことを褒めてやってくれ。ゼラを守るために頑張ったことを」

 ゼラは右手で、穴の中のハウルルのハサミを撫でる。左手はゼラの首から下がる守り袋をぎゅっと握る。
 母上の作ったプリンセスオゥガンジーの守り袋。その中にはゼラニウムの花のポプリと、ゼラの蜘蛛の体毛。それにハウルルの髪の毛が入っている。
 ゼラの口から震える声がそっと呟く。

「ハウルル、ゼラのために、ありがとう……」

 赤紫の瞳から涙がこぼれる。

「ハウルルは、いい子、ひぐ、ゼラは、ハウルルのこと、ふぇ、ずっと、わ、忘れない」

 ゼラを抱く手に力を込める。俺の体温を伝えるように抱き寄せる。

「優しい、ハウルルのこと、ふぐ、もう、忘れないから。うえ、うああ、あああ」

 屋敷の庭、花壇の中。ゼラニウムの花に包まれた小さな墓に改めて誓おう。
 ハウルル、ゼラを守った赤毛の蠍の騎士よ。
 ゼラの為に身を捨てて抗った勇姿を俺は忘れない。
 同じ女に惚れた同志として、お前の役目はこのカダールが引き継ぐ。それにもとよりゼラを守るのは俺の役目だ。ゼラのことは俺に任せて、安らかに眠れ。
 
 ここなら寂しく無いだろう? ゼラの瞳と同じ色をした花に囲まれたここなら、近くにはゼラと母上もいるのだから。
 
「ふうう、ハウルルう……」

 涙を流すゼラの肩を抱く。
 今は泣き声しか上げられないが、ハウルルとゼラが笑顔で遊んでいたこの庭で、またゼラの笑う声を届かせてみせる。
 赤紫の花の中、小さな墓に眠る小さな赤毛の英雄に。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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