第四十話

文字数 4,931文字


「それが聞ければ充分だ。ありがとうアシェンドネイル」
「……なんでこれで礼を言うのかしら。まったく」

 アシェンドネイルの人を挑発する悪癖は変わっていないらしい。ゼラの寝室の隅を見れば、エクアドの兄ロンビアが青い顔をして、エクアドに肩を支えられている。

「な、なぁ、エクアド、俺は聞いちゃいけない話を、聞いてしまったんじゃないか?」
「落ち着け兄貴。このことは他言無用だ」
「なぁ、エクアド、俺はここで気絶してもいいか?」
「聞いてしまった以上は、兄貴も俺達と一蓮托生だ。付き合ってもらう」

 ロンビアには刺激の強い話だったか。
 魔獣のいない世界の実現には、闇の母神を滅ぼさねばならない。だが、今の人類に深都を滅ぼす力は無い。何処に在るかも解らず、そこに住む住人はオーバードドラゴンばかり。深都を守るのは龍の王、伝承の紫の祖龍だともいう。人の敵う相手では無い。

 人は魔獣と戦いながらこの地で生きる。それは変わらない。ゼラが人の側に立とうとも、ゼラの力でもどうにもならないことだ。
 それはゼラが何処へ行っても変わらない。ゼラが中央へ行こうが、総聖堂へ行こうが。ならばゼラは此処にいればいい? 俺と共にローグシーにいればいい。

「ゼラ」
「ンー? なに? カダール」

 ゼラの黒髪の頭を胸に抱く。その黒髪に顔を埋めれば、ほんのりと甘い香りがする。

「ゼラ、死んだりしないでくれ」
「ウン、ゼラはカダールとずっと一緒」
「赤ちゃんが産まれたら、身体の中をもとに戻して元気になるんだな?」
「ウン、たぶん」
「たぶん、じゃ、困る」
「なんとか、なると思う」
「なんとかしてくれ、俺もなんとかするから」
「ンー? カダール?」

 俺に子ができる。ゼラの中に俺とゼラの子がいる。俺が父になる? なんだか奇妙な気分だ。悪くない。
 俺は何を弱気になっていた? どうすればいいかわからない、だと? ゼラの夫として、これから産まれる子の父として、何をすればいいのか。情けない姿など見せられるものか。

 ここに向かっているのは総聖堂聖剣士団。数は五千。目的はゼラの捕獲。
 可能であれば、ウィラーイン家が聖剣士団と戦う事態にはしたくない。ウィラーイン家もスピルードル王国も、教会と完全に敵対はしたくない。
 教会もまた同じはず。遷都賛成派は聖獣一角獣の御言葉に従い、門街キルロンへと遷都を望む。それはスピルードル王国と友好的にならなければ、スピルードル王国に近い門街キルロンを新たな首都とはできないだろう。

 クインとアシェンドネイルに頼む手もあるが、ウィラーイン家が魔獣使いとなるのも教会を敵にする。ゼラが人を殺さぬと誓い、人を癒したから、ゼラを聖獣認定させよう、という話が出たのだから。ここはクインとアシェンドネイルにも頼りたくは無い。できれば二人にはゼラの側にいてもらう。

 総聖堂は統一されておらず、この聖剣士団の動きは教会の総意では無い。ならば一度退ければ、その後の展開しだいで変わる。
 一度だけ退かせることができれば。
 なんだ、簡単な事じゃないか。
 この腕の中に蜘蛛の姫がいる。そして俺は、黒蜘蛛の騎士だ。

「ゼラ、俺にゼラを、ゼラと俺の子を守らせてくれ」
「ン? ウン」

 名残惜しいが、ゼラの頭をひとつ撫でてから身を離す。目を細めて見上げるゼラ。赤紫の瞳は俺を信頼して見つめている。ならば応えねば。蜘蛛の姫を守れずに英雄など名乗れるか。
 俺は振り向いて父上に言う。

「父上、俺にひとつ試させて下さい」

◇◇◇◇◇

 新調した鎧を着ける。軽く動けるようにと頼んで作らせた新しい装備一式。脚甲、手甲、胸鎧に肩当て。この新しい鎧は実用できるが、見映え重視の出来。黒蜘蛛の騎士の渾名に相応しいもの、と鎧鍛冶姉妹に頼んでいたもの。
 前にエルアーリュ王子が言っていた、ゼラの背に乗りパレードするのに見映えのする鎧、というのを試しに作ってみた。
 王都で謁見に着るという案も出たが、どうにも見映えが王の前に出るには良くは無く、やめておいた代物。自分の装備を見下ろして呟く。

「黒地に赤い線、というのは悪目立ちするというか、まるで悪役のような」
「顔を隠せば演劇の悪の黒騎士のようだな。黒蜘蛛の騎士、となればやはり黒だろうと。これを着てゼラの蜘蛛の背に乗って調和がとれる、と、あの鎧鍛冶師が言っていた」

 エクアドが俺の装備を手伝いながら話しかける。重装甲では無い軽目の装備なので、二の腕、太股、腹部を守る防具は無い。なので服の中では腹にサラシをきつく巻いてある。

「カダール、マントはどうする?」
「邪魔になりそうだ」
「それなら邪魔になったときに外せばいいだろう」
「ウィラーイン家の紋様は入って無いだろうな?」
「無地の黒いのがある。格好をつけるにはいいんじゃないか?」

 エクアドが持ってきたマントを見る。それはエクアドが怪傑蜘蛛仮面二号で使っていた奴か? その話を蒸し返すのもエクアドに悪いので、黙ってそのマントを使うことにしよう。
 俺は黒一色に黒いマントという出で立ちに。鎧にはところどころに赤い線がアクセントとして入る。
 黒のヘッドバンドを頭に絞める。顔を見せて俺の赤い髪も出すためで、兜は無い。いや、鉄帽子でも良いのだが、ゼラが俺の顔が出てる方がいい、と鎧鍛冶姉妹に言ったのでこの装備一式には兜が無い。
 赤く染めたプラシュ銀合金の板で額を守るヘッドバンドを着け、腰に愛用の剣を下げる。

「カダールが戦場に立つときは、俺が隣にいるものだったが」
「エクアドがローグシーの街を守ってくれるから、俺は安心して行ける。同じ戦場に立っていることには違いない」
「相手は乗ってくるか?」
「向こうは面子を守りたい筈だ。教会の旗を立ててこれに抗う者はいない、という集団ならば、その教会の威信を守ろうとするだろう」

 黒いマントを翻す。黒蜘蛛の騎士、英雄か。ならば英雄物語に相応しいことをしなければ。
 ローグシーの街、できたばかりの第二街壁。大門近くの守備隊詰所の中。ウィラーイン諜報部隊フクロウのクチバが入ってくる。

「カダール様、聖剣士団が来ましたよ」
「では、俺も行くか」
「カダール様、ひとつ気をつけて下さい」
「なんだ? クチバ」
「ウィラーインの兵は猛者が揃う。これはその通りですが、ウィラーイン領兵団が強いのは魔獣相手です。反面、魔獣との戦闘が少ない中央で強兵とは、人相手の戦闘に強い者です。相手は対人戦闘に慣れている聖剣士です」
「気をつけよう。だが、俺も対人戦闘の修練はしている」

 まさかゼラとの混浴権目当てに一対一の対人戦闘の経験が増えたのが、ここで役立つことになるとは。
 ゼラはいつも俺の力になってくれる。

「カダール、今回は何があってもゼラは助けに来ないぞ。それにゼラに心配させないように、今からカダールが何をするか、ゼラに教えてもいないんだから」
「今のゼラは動かすわけにいかない。だからこそ、蜘蛛の姫を守る為に、黒蜘蛛の騎士の出番となるのだから」
「随分と落ち着いているな、カダール」
「エクアドと父上に守りは任せているから、安心できる。ゼラにはクインとアシェンドネイルが側にいる。万一、俺が負けたときは、後を頼むぞエクアド」
「カダール、敗北を考えているのか?」
「いいや、どういうわけか、今の俺は負ける気がしない」

 動けないゼラは、俺に何かあっても今回は助けには来られない。俺はかつては知らないままゼラに助けられていた。いつも、何度も。
 その俺がこれまでで初めて、ゼラを守る為に戦うことになる。戦うことができる。今はその気分に酔っているところもあるか? いつに無く全身に活力がみなぎる。
 相手が何であろうとも、勝つ。
 欠片も負ける気がしない。

「相手を場に乗せてしまえばそれでいい。これが上手くいかないようなら、父上が奴らの相手をする。それはそれでウィラーイン領対総聖堂となってしまうが、それでもゼラを守れる」
「それなら、カダール様は何故、身を張る必要があるんですか?」

 クチバの疑問に応える。

「総聖堂とて、ここで損害は出したく無いだろう。だが、光の神々の教えに従う聖剣士団は、無茶な指示でも教会に従わなければ背教の徒だ。被害が出れば撤退の理由になるが、それなら被害が出なくても撤退の理由さえあればいい、ということでもある」
「そこでカダール様がそれを用意するのが解りません」
「こういうことをするのが、英雄らしい」

 俺はゼラが笑って過ごせるローグシーを守る。ウィラーイン家がスピルードル王国から離れるとか、総聖堂が敵になるとかしたら、ゼラと安心して暮らせない。ウィラーイン領が国となり父上が国王というのも面白いかもしれないが、これから産まれる子供が狙われるのも避けたい。敵は少ない方が良い。ただでさえ魔獣と戦わねばならない世界で、人同士で争う余裕は無い。

「ゼラを守るついでに、敵も味方も死人が出ないようにして、後に響く遺恨も減らす。いい手だと思うんだが」
「そーですね、上手くいけば。カダール様はそういう方でしたね」

 クチバが呆れ、エクアドがニヤリと笑う。

「カダールの選択は無謀に見えて、なぜかいい結果を引っ張ってくる。それが何処まで行くか、これからも見せてもらうぞ」
「俺はいつも周りに助けられているだけなんだが」

 それもあるからか、上手くいくかどうか、それよりも正しいか間違っているか、後に続く者に胸を張れるかどうか。俺がそこで判断しているところはある。
 ならばゼラを守る者として、俺の在るべき姿とは。

「では、行くか」

 腰の剣の柄に触れ、黒いマントを靡かせ詰所の外に出る。黒蜘蛛の騎士、出陣せり、といったところか。

 ローグシーの街の外。総聖堂聖剣士団五千、正確には聖剣士団一千の、総聖堂に従う兵士四千。面倒なので纏めて聖剣士団と呼ぶことにする。
 聖剣士団は教会の旗を立て、ローグシーの街を望むところに陣を張る。戸惑っているのがここから見えるようだ。

 よく晴れた雲ひとつ無い青空の下、陣を構える聖剣士団がよく見える。移動の為に騎馬と馬車を揃え馬が多い。ここまでの強行軍の為か疲れているようだ。
 奥の方には頑丈そうな馬車があり、その屋根の上、豪勢な神官服を着た神官が椅子に座っている。お付きなのか三人の神官がその回りに立っている。
 聖剣士団の総大将は聖剣士団団長クシュトフと聞いてはいるが、あの豪勢な神官服の男はなんだろうか? 偉そうなので総聖堂の大神官かもしれない。あの馬車の屋根は輿代わりだろうか。

 ここまで教会に逆らう者無しと旗を掲げて来た聖剣士団だが、ローグシーの街は門を閉ざし、街壁の上には武装した領兵団がこれ見よがしに弓を構える。

 俺一人が街壁から少し離れて、聖剣士団相手に立ち塞がるように立つ。
 五千の兵を相手に一人立つ、なかなかいい気分だ。一応、俺の立っているところは街壁からの弓の射程に入っている。
 解りやすく徹底交戦の構えを見せるローグシーの街。これまでのように教会の旗の威光が効かずに立ち止まる聖剣士団。目前には一人立ち塞がる黒づくめの俺。
 状況を把握し事を進めるには、解りやすくここに立つ俺に使者を出す、というのが常道だろう。

 予想した通りに白い甲冑に身を包んだ騎馬が俺に近づく。数は十二。少し離れたところで馬の足を止め、八人が馬から下りる。
 揃いの白い甲冑は聖剣士か、かつて俺が誘拐されたときに見たのと同じ装備。ここまでの強行移動のせいか、その白い鎧はうす汚れているところがある。
 馬を下りた聖剣士の一団がこちらに進む。俺は足を肩幅に開き立ち、腕を組み待ち構える。黒いマントがそよ風に翻る。

 上手く終われば英雄物語かお伽噺か。
 ならば、上手く行くだろう。
 根拠も無く思う傲慢に、足を掬われぬように気を引き締めて、近づく白い鎧の聖剣士達を見る。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み