第十九話
文字数 6,923文字
アシェンドネイルがルブセィラ女史と母上の玩具のようになり、サンプル採取のついでにいろいろ調べている。髪に肌に蛇の身体に触れて、二人はアシェンドネイルを質問攻めにしている。
ゼラが小さな匙をアシェンドネイルの口に入れて、唾液をすくって小瓶に入れてたり。アシェンドネイルはニヤニヤと薄く笑みを浮かべ、悪態をつきながらも大人しくされるがままになっている。
メイドに化けて潜入しようとしていたことから、騒ぎを起こす気は無さそうだが。
俺は倉庫の中、監視小屋と繋がる覗き窓に近づく。
「エクアド、アシェンドネイルの監視についてだが」
「カダール、お前な、」
覗き窓の向こう、監視小屋からはエクアドの疲れた声が返ってくる。
「あのアシェンドネイルはゼラ以外で抑えられんだろう。伝承の魔獣ラミアを引き込んでどうする?」
「他にどうすればいい? エクアドもアシェンドネイルと話をすれば同じ結論になるんじゃないか? スピルードル王国には、俺達以上に進化する魔獣に詳しい部隊などいないんだ」
「代わりにやってくれる者などいない、か。知らないところで悪さをされるより、目の届くところにいた方がマシか」
「何の説明も無く、アシェンドネイルにハウルルを拐われては、俺達には何も解らない。見えるところで話が聞ける方がいいだろう」
「その話だがな、アシェンドネイルの言ったこと、何処までが真実だ? こちらを騙しているのではないか?」
「アシェンドネイルの話は今の俺達では真偽の調べようも無い、紫の龍など伝承で語られるだけで目にしたことも無い。それでもアシェンドネイルは深都のことを識る情報源、聞き出せることは聞き出して、裏を取るのも調べるのも後回しにしよう」
「カダール、アシェンドネイルに肩入れし過ぎてないか?」
倉庫の壁の向こう、覗き窓から聞こえるエクアドの声が、心配するように。
「ゼラの姉を名乗る、ゼラと同じ進化する魔獣だが、アシェンドネイルはゼラともクインとも違う。カダールはどうして信用できる?」
「信用してるつもりは無いんだが。アシェンドネイルのやってくれたこと、灰龍の一件で被害が出たことも死人が出たことも解っている。だが、俺にはアシェンドネイルの悪意が感じられないんだ」
「人の数を減らすことをサラリと口にして、悪意も無く人同士で殺しあわせようという方が恐ろしいのだが」
「それが人類を絶滅しないようにと願う、闇の母神の為というのであれば、結果的には人の為というのが悩ましい」
「アシェンドネイルはカダールに悪意は無いだろう。しかし、興味はあるようだ」
アシェンドネイルを見ればゼラの糸から解放されて、手を動かしている。ルブセィラ女史が笑顔で採血用の器具を用意して、アシェンドネイルに説明している。ゼラがアシェンドネイルの手を取って、そんなに痛くないよ、と話している。
和気藹々とした様子を見ながらエクアドが続ける。
「闇の母神教団の遺跡迷宮でも、アシェンドネイルが去り際に話しかけたのはカダールだけだ。アシェンドネイルはカダール以外の人間は、道端の雑草か虫でも見るような目で見ている」
「母上にもルブセィラにも話をしていたが?」
「それもカダールがいればこそだ。先ほどの話も、まるで、魔獣は未来永劫人の敵だが、それでもカダールはゼラと共にいるのか、と試しているように聞こえた」
「そうなのか? 姉としては妹のツガイのことは心配になるのだろうか? 深都のお姉様達を語るときといい、姉妹の絆は深いようだ」
「カダールで無ければ、アシェンドネイルからあの話は聞き出せないだろう。カダール、アシェンドネイルをここに置くのが最良か?」
「俺も不安でこれが正解という自信は無いんだ。それでもアシェンドネイルは闇の母神と深都のお姉様達を裏切ることだけは無いだろう。その点においてのみ、アシェンドネイルは信じてもいいと思う」
「カダールがそう言うなら信じるか。カダールは肝心なところでは間違え無い男だからな」
エクアドの言うことに壁の覗き窓を見る。こちらからではエクアドの顔が見えない。俺が間違え無い男?
「エクアド、俺は母上やルブセィラ女史のように頭は回らないし間違えてばかりだ。失言で部隊の隊員から変な目で見られてばっかりだぞ」
「その失言で人気があるのがカダールだ」
「俺はしくじってばっかりのような気がするんだが」
「ゼラがローグシーの街に来てカダールを拐ったとき、ゼラは人の敵では無いと見抜いて攻撃を止めたのはカダールだ。その後、身を張ってそれを証明したのもな。カダールが居なければ、あのときゼラに攻撃を仕掛けて、それでゼラが怒り暴れるようなことになれば、街にどれだけ被害が出たかも解らん」
「俺が居なければゼラがローグシーの街に来ることも無いんだが。それにゼラは俺との約束を守って、人は襲わない」
「それもそうか。だがあのとき、ゼラを初めて見る俺達にはそんなことは解らなかった。カダールの選択が今の結果だ」
「買い被るな。たまたまなんとかなってるだけで、それも皆のおかげで」
「そのたまたまを引き寄せるのがカダールなんだがな。だがこれは気をつけろよカダール。お前がアシェンドネイルを信用しても、民に害を与えた魔獣を守るようなことを言えば、カダールが不利な立場に立つことになる」
「それもそうだが、それができるようだったら俺は十三年前にゼラを助けてはいない。これは騎士としては失格か」
「いいや、カダールが信じたゼラに助けられた俺としては、カダールが信ずるところに共に立つ。それでアシェンドネイルを監視するとして、寝泊まりするのはこの倉庫か?」
「アシェンドネイルの蛇体は屋敷の扉はギリギリ通れそうだが、長過ぎるか。それになるべくゼラと一緒にいた方がいい」
「監視についてはフクロウのクチバとも話をしよう。カダールはアシェンドネイルを大人しくさせるようにしてくれ」
「人を苛つかせる悪癖があるようだ。エクアドはフェディエアのことを頼む」
「苛つかせる、というか扱い切れないものを与えて自滅する様を嘲笑っている気がする」
「かつての古代魔術文明がそれで滅びたからか、その古代魔術文明が今の魔獣と闇の母神を作ったからなのか」
「アシェンドネイルが人間そのものを愚かだと証明したいのか」
「もしかすると、かつて惚れた人間によほど酷い目にあわされたのだろうか?」
「それで人間全てを侮られるのはな。それならゼラにベタ惚れのカダールが気になるのも、解る気がする」
アシェンドネイルの監視体制はエクアドに頼み、改めて倉庫の中を見る。サンプル採取は終わったようで、ルブセィラ女史はニヤニヤしながらバッグの中に小瓶と器具を詰めている。
母上とゼラとアシェンドネイルが話をしているところに近づく。気がついたアシェンドネイルが目隠しをしたままの顔を俺に向け、身体ごとクルリと振り返る。
「それじゃハウルルを調べさせてくれない?」
俺は振り向いたアシェンドネイルを見て、見えた、見えてしまってから、慌てて顔を背ける。おい、待て、ちょっと待て。待ってくれ。いきなりこっちを向くな。うぬお。
「その前にアシェンドネイル、服を着てくれ」
「服?」
見えてしまった。さっきまでは、アシェンドネイルとはテーブルを挟んで話をしていた。アシェンドネイルは蛇体でとぐろを巻いて座るようにしていた。それで見えなくて気にしなかった。
しかし、今は普通に立っている。いや下半身蛇体で普通に立つというのも何かおかしいが。
ゼラと同じくらいの背丈で顔を見るには見上げるようになる。上半身は裸にツヤのある黒い革のベルト。白い肌に拘束具のようなベルトだけ。肩から脇の下にXの形で回る黒革ベルトで、かろうじてささやかな胸の頂点だけは隠されている。
これは服じゃ無いだろう。下半身の蛇体は腰のところから膨らむように太くなっている。
そうして立っていると、真っ正面から見えてしまうものがある。何が見えたって? それは、あれだ。ゼラもクインも人の女であれば同じような位置に同じものがあるんだ。その、おへその下のところに。人の女と変わらないという形の、あれだ、あれ、その、女性器だ。
「アシェンドネイル、隠してくれ」
「あら? 何を?」
俺はアシェンドネイルに背を向ける。うぬ、アシェンドネイルは恥ずかしいとは思わないタイプか。クインは真っ赤になって怒っていたのに。ゼラと同じで、裸を見られても気にしないのか? 見たくて見たんじゃないぞ。目をそらすのが間に合わなくて視界に入ったんだ。
「いったい、何処を隠すの? 何を隠せばいいの? ほら、ちゃんと言葉にして言ってくれないと解らないわ。フフフフフ」
ぐぬぅ、嫌な笑い方をする。見る方が恥ずかしい思いをすると解って言っているのか。なんて女だ、この破廉恥め。ここには母上もルブセィラ女史もゼラもいる。三人に頼もうか。
「赤毛の英雄、見たいんだったら、近づいてじっくりと、かぶりつきで見せてあげてもいいのよ? 私はそういうの平気だから」
「アシェンドネイル、ここにいる間は服を着ろ!」
「嫌」
「人は人前では服を着るのが当たり前なんだ」
「私は裸が当たり前なんだけど?」
「メイドに化けてたときはメイド服を着てただろうが」
「あぁ、あれ?」
アシェンドネイルが指をパチンと鳴らす。
「こっちを見ても大丈夫よ」
聞いて恐る恐る振り向く。見れば、アシェンドネイルはメイド服を着ている。一瞬で服を着たのか?
「これは肌の上に幻影を重ねているのよ。服を着ているように見えるけれど、裸のままよ。人に化けてからこの幻影で見た目を変えて、成り済ましているのだけど」
「メイド服を着ているように見えるが、実はその下は素っ裸なのか」
だがこれなら肝心なところは隠されて見えない。これならいいのか? いや幻影で覆っただけで全裸は全裸なのか。肌の上に服の絵を描けば、全裸には見えない、ということか? それはやっぱり真っ裸じゃないか。
母上がアシェンドネイルに近づいて幻影のメイド服のスカートを摘まむ。
「人を惑わす魔法が得意とハラードから聞いてるけれど、見事なものね」
「簡単には見破れないのだけれど、今回はゼラに見抜かれたわね」
ゼラもアシェンドネイルの幻影のメイド服に触れて、おー、と声を上げている。
「アシェ、この魔法、教えて」
「いいけれど、ゼラはこういうの苦手そうね」
「そう? 練習したらできない?」
「私達の魔法って、使い手の性格とか、進化前の習慣とか出るのよ。ゼラは惑わしたり騙したりは得意じゃなさそうね」
「そうかも。あ、でも、罠を隠すのは上手くできそう」
「……あれは見抜け無かったわね。伯爵家の庭に落とし穴があるなんて、盲点だったわ」
二人の会話を聞いていた母上がアシェンドネイルを見上げる。
「アシェンドネイル、ここにいる間はその魔法はやめてちょうだい」
「あら? なぜかしら。服を着てるのと変わらないでしょう?」
「変わるわよ。ここにいる間は人を惑わす魔法は禁止ね。服は私が用意してあげるわ」
「幻影の魔法は禁止? この姿のままで、ラミアを怖がるのはあなた達でしょう? 人化もするなということ?」
「どこの誰がアシェンドネイルの見た目を怖がるのかしら? 私はゼラの蜘蛛の背中でお昼寝するのも好きだし、ハウルルを膝に乗せてお菓子を食べさせるのも好きなのよ。下半身が人と違うなんて、もう見慣れたものよ」
「ずいぶんと怖いもの知らずね」
「ラミアの蛇体くらいで怯える者は、この屋敷にはいないわね。今日来たばかりの庭師とメイドはまだ慣れないでしょうけれど」
「私は服を着るのが嫌なんだけど」
アシェンドネイルは不満そうに口をへの字に曲げる。ゼラと同じで服は嫌なのか。ということは前に人に化けてたときも、ずっと裸で、あの青いドレスは幻影だったのか? 常時全裸生活だったのか。
「アシェンドネイル、ここにいる間は服を着てくれ。目にした者が困る」
「あのね。ラミアに欲情する方がおかしいと思うのだけど?」
「何故、服を着るのが嫌なんだ? 服を着る魔獣の方が少ないのは解るが。もしや深都とは皆、裸で暮らしているのか?」
「服を着てるのもいるけれど、裸の方が多いわね。ゼラだって服を着るのは嫌いなんじゃない?」
「ウン、肌がムズムズするの嫌」
「でしょう」
「でも、ゼラが裸でいると皆、落ち着かないから。それに可愛い服を着たゼラのこと、カダールは可愛いって褒めてくれるし。だからガマンしてるの」
ニコニコと言うゼラを見て、アシェンドネイルは呆れたように言う。
「すっかり人に慣らされてるわね」
「お洒落するのも楽しいよ? 袖があるのとか、背中にペトッてするのは嫌だけど」
今のゼラは白いキャミソールを着ている。外に出るときは、キャミソールかワンピース。あとは気分でベビードールに白いエプロン。街に出るときは赤いブレストプレートに前掛けだ
クインは裸を見られることは真っ赤になって恥ずかしがっていたが、これは同じ進化する魔獣で違うものなのか?
ルブセィラ女史が眼鏡に指を当てて、
「羞恥心が人と違うのは解ります。服を着る習慣が無いのも。ですが、服のどのあたりがどのように嫌なのか、具体的に解りますか? それが解れば改善できるかも知れません。ゼラさんもはじめは肌に触れる面積の少ない、エプロンから慣れていきました」
「その裸エプロンは赤毛の英雄の趣味なんじゃなくて? 私とゼラが服を嫌う理由は単純なことよ」
俺を裸エプロンマニアにするな。ゼラの白いエプロンから溢れそうになる褐色の双丘は魅惑的で、芸術的でとてもいいが、赤いベビードール姿も蠱惑的で引き込まれるが。
やはりゼラは何も身に付けない自然な姿が、野性味とあどけなさが混在して、一番だと思う。俺はゼラの裸エプロンだけが好きなんじゃ無いのだ。
「アシェンドネイル、けっして俺の趣味が裸エプロンでは無いのだからな。それで服を嫌う理由があるのか? それは何だ?」
「脱皮よ」
……脱皮?
「私は蛇でゼラは蜘蛛。もともと脱皮する習性があるの。だから肌にまとわりつくのがあると、脱ぎたくなるのよ。ね、ゼラ」
ゼラを見るとウンウンと頷いている。
「ムズムズして取りたくなるの」
脱皮、そうか、脱皮か……。蜘蛛も蛇も脱皮する生物か。クインはハイイーグルからの進化で、脱皮はしない鳥、というかグリフォン。裸になりたがるのは性格の違いじゃ無くて、進化前の習性の違いだったのか?
「そんな訳で、私は服を着たくない。だから裸でいいかしら?」
「ダメだ」
「いいじゃない、そのくらい」
そう言ってアシェンドネイルが指を振ると、メイド服の幻影が揺らいで消える。目の前で服がいきなり消えて、アシェンドネイルの大事なところが視界に入る。人肌と蛇体のつなぎめに、白い肌に浮くように桃色が、慌てて首を振り背中を向ける。うぐぐ、話ながら俺に見せつける位置に移動してから、油断したところで視界に。桃色が目に焼きついて。おおお。
「あらー? 赤毛の英雄が赤顔のエロ雄になってきたわよ? ふふふふふ」
うう、ゼラのは蜘蛛の体毛でそっと隠れて、クインのもグリフォンの獅子の体毛で、見えにくくはなっている。
だがアシェンドネイルは無毛、丸見えだ。腰に手を当てて、腰を前に突き出して見せつけるようにしやがって。ちくしょう。
「ムー、カダールー」
「なんだ、ゼラ?」
回り込んだゼラが俺の前で頬を膨らませている。不満そうに。
「カダール、アシェばっかり見てる」
「いや、これは見てるというより、見せつけられているというか」
「ゼラがいつでも見せてあげるのにー」
「何時でも何処でも見せてはダメなんだゼラ。隠すべきものは隠すのが、礼儀というものなんだ」
「でもカダール、見たいんでしょ?」
「見たいとか見たくないとかじゃなくて、男とはついそこに目が行ってしまうものなんだ。だから隠さないといけないんだ」
なんとかゼラに解ってもらおうと説得する。背後ではアシェンドネイルがケラケラと笑い、くそう、お前のせいでゼラがむくれてしまったのに、何を笑ってやがる。
母上とルブセィラ女史は外のアルケニー監視部隊を呼び、屋敷からアシェンドネイルに着せる服を運ばせている。
アシェンドネイルは目に涙を滲ませるほど笑って、母上に訊ねる。
「ふふ、動じてないけど、まさか、これが日常なのかしら?」
「そうね、だいたいこんな感じよ」
「うくく、嘘ぉ? おっぱいだけじゃ無いの? うくくくく」
お腹を抑えて身体をくの字に折って。笑い過ぎだ、ちくしょう。
「カダール、見てー」
「ゼラ! 軽々しく見せちゃダメ!」