第二十七話

文字数 4,279文字

 ビックリしてクッキーを喉に詰まらせて、胸を拳でトントンと叩くゼラ。俺はテーブルの上の赤茶のカップを取って、頭の上でムググというゼラに渡す。

「ゼラ、ほらお茶」
「ング、」

 ゼラがングングとお茶でクッキーを流し込む間に大神官に尋ねる。

「ゼラに何を聞きたいのですか?」
「ゼラ様は神の声を聞いたことがおありですか?」
「神の声、ですか?」
「聖獣一角獣、至蒼聖王家がお守りする光の神々の使い。聖王家と限られた神官しかお目通りすることは叶いませぬが、その姿は赤い角を額に伸ばす、白銀の偉大な狼と伝わります。この一角獣が聖獣とされるのは、光の神々の声を聖王家に伝えるからです」
「一角獣の御言葉、ですね。その御言葉に従うことで聖王家は繁栄してきたという」
「ですから、ゼラ様が神の声をお聞きできるとなれば、ゼラ様も聖獣ということになります。ゼラ様はこれまでに、神の声をお聞きになったことは?」

 ゼラはかつて神の声を聞いたことがある。だがその神は光の神々では無く、

「ンー、ゼラは神様の声って、ワカンナイ」
「……そうですか」

 危ない、教会の大神官にゼラが闇の母神の声を聞いたなど、伝えることはできない。ホッとしたところでゼラが、

「ア、あれのこと? ゼラがちっちゃい頃に聞こえた声って」
「ゼ、ゼラ、お茶のお代わりを淹れてくれないか? ゼラの淹れてくれるお茶は美味しいから。大神官も、もう一杯いかがですか? これはエルアーリュ王子より頂いた茶葉で、」

 なんとか逸らさねば、だが大神官は恐ろしい程の真剣な顔でゼラを見上げる。

「その声がなんと言われたか、教えていただけませんか?」
「大神官、これは、」
「カダール様、どうか私にお教え下さい。このことはこの身ひとつに留め、けして明かさぬとお約束します」
「しかし大神官、」
「どうかこの老骨にお教え下さい。神の声を、それが如何なるものであろうとも、どうかお願いします」

 覚悟を決めた必死の形相で、大神官は祈るように願う。神の声を知りたいという熱心な信仰心か? いや、大神官の顔にあるのは信仰への熱意というよりは、まるで断罪されることを待つような苦悩の表情。もしや、

「大神官、あなたは知っているのですか?」
「それを確かめたいのです」

 これが大神官ノルデンが人払いをして聞きたかった話か? ゼラが闇の母神の声を聞いた、と知られれば、闇の神の尖兵たる魔獣として、教会の敵となる。だがこの大神官は、何か知っている。

「カダール様、この話はここだけの事とし、教会がゼラ様を裁くような事はさせません」
「……内密にすると、誓ってくれますか?」
「光の神々に誓います」

 エクアドがさりげなく周囲を見回す、この音楽堂には俺達しかいない。

「ゼラ、近くに潜んでいる者はいないか?」
「ン、この建物の中にはいないよ。糸にもなんにもひっかかってないし」
「そうか。……ゼラ、小さい頃に聞いた声のことを、大神官に話してくれ」
「ウン、えっとね」

 大神官ノルデンが目を剥いて、一言も聞き漏らすまいと集中する。ゼラは人指し指を顎にあて、パチパチと瞬きして思い出しながら語る。

「ゼラが人間になりたいって願ってたら、声が聞こえたの。想いを忘れないようにして、強い魔獣を倒して食べたら、そのうち人間に近づけるって」
「それが、神の声、ですか?」
「ワカンナイ、女の人の声で、なんだか悲しそうだった」
「他には? 他にはなんと仰いましたか?」
「ンー、母を恨め? とか?」
「母……、それが、闇の母神の声、ですか……」

 大神官の視線が俺に移る。

「大神官、あなたは何を知っているのですか?」
「エルアーリュ王子より、これを知れば後戻りはできぬぞ、と脅されました」

 ということは、エルアーリュ王子はかなり危険なところまで大神官ノルデンに教えたのか。それならば事前に俺に言ってくれても良さそうなのだが。身を乗り出していた大神官ノルデンは椅子に深く座り直し、ぐったりと背もたれに身体を預けるようにして深く息を吐く。なぜか、長旅を終えて疲れきった旅人のように見える。

「何故、教会が回復薬(ポーション)しか(・・)売らぬのか、解りますか?」
回復薬(ポーション)しか? 教会には他にも聖印の入ったペンダントやお守りなどもありますが」
「言い方が悪かったですか。回復薬(ポーション)とは加工したエンピル水に、治癒の魔術を封じた物です。やり方次第では、治癒の魔術以外の魔術を封じることも可能になります。火系攻撃魔術、風系攻撃魔術を封じた魔術具を作ることも、それを手にすれば、誰でも簡単に攻撃魔術を扱えるようになります」
「そのような魔術具は、古代魔術文明の遺産でしか聞いたことは無いのですが」
「治癒の魔術以外を封じることを、聖獣一角獣の御言葉で禁じられているからです。また、攻撃魔術を封じた魔術具を開発する者は、危険な古代妄想狂と取り締まっております。教会の広めた回復薬(ポーション)の作り方、エンピル水の加工方法では、治癒の魔術以外では封じ込めに適しておりません。……これは教会の限られた者しか知らぬ事、どうか極秘でお願いします」

 突然に教会の秘密を知らされた。俺もエクアドも軽々しく重大な話を漏らすつもりは無い。素直なゼラが少し心配だが、

「ゼラ、この話は誰にも秘密だから」
「ウン、でもなんだかワカンナイ」

 エクアドが大神官ノルデンに尋ねる。

「何故、一角獣はその魔術具の開発を禁止と? 回復薬(ポーション)は誰もが使える、使い捨ての治癒の魔術を扱える便利な物。同様に攻撃魔術が使えるとなれば、武器として優秀です。魔獣との戦闘に便利に使えます」
「一角獣の御言葉に理由はついてきません。そこは人が思索するしかありません。これが禁止とされるのは、武器として、優秀過ぎて便利過ぎるからでしょう」

 武器として、優秀過ぎて、便利過ぎるから禁止。禁則。その言い方はまるで、

『これは忠告よ、赤毛の英雄。人を弱体化させる技術や道具を作り広めるのは、禁則に触れるわ』
『禁則に触れるものが見つかれば、魔獣は強化される。私とお姉様達は古代魔術文明の危険な遺産は、人に見つからないようにと潰してきたわ』

 かつてのアシェンドネイルの話を思い出す。
 大神官が言葉を続ける。

「これが完成し広まれば、魔術の素質が無くとも、魔術の修練を積まなくとも、誰もが攻撃魔術を使えるようになります。戦闘に便利とは、人殺にも便利ということです。子供でもお年寄りでも、簡単に人を殺せるようになる。しかも使い方を間違えれば、殺意が無くとも、害する気持ちが無くとも、人が死ぬことになります」
「それで一角獣が禁止と言ったのですか」
「聖獣一角獣が伝えた、光の神々の御言葉です。……ですが、これでは魔獣と戦う為の強力な武器は作ってはならぬ、ともなります。他にも一角獣の御言葉には、人の技術の発展を押し止めるものが御座います。そうなると闇の神の尖兵たる魔獣を滅ぼすことは、不可能ではないでしょうか。これではまるで、光の神々が、人にはこの地にて、魔獣に食われながら生きろ、と仰っているのではないかと、」

 大神官ノルデンはテーブルに肘をつき、指を組み、そこに額を乗せて俯く。

「信仰に身を捧げて参りましたが、私にはこれがずっと疑問でした。そこで、邪神官ダムフォスの一党から、闇の母神の教えを聞き出しました」

 邪神官ダムフォスが率いた闇の母神教徒の一団。父上のウィラーイン領兵団とアルケニー監視部隊で捉え、教会に引き渡した闇の神を奉じる者達。

「大神官、その者達はなんと? 教会に引き渡したあとどうなりました?」
「……ラミアに操られていた者であり、改心し、光の神教会に改宗した者は罪を償った後、解放する予定です。ですが闇の神への信仰を捨てない者は、死罪となります」
「仕出かした事を鑑みれば、死罪でしょうか」
「教会としては、闇の神信仰に教団の事など、調べねばならないことが多くあります。情報を得る間は死罪は延期とし、牢に入れております。彼らが神官と話をすることで、改宗の見込みがありそうですので、ゆっくりと話を続ける方針です。こういうところが、中央から緩いと言われるところですか」
「殺すのは簡単ですが、死人は役に立ちませんから」
「私は、以前より闇の神信仰について、調べてきました。その中で、伝承の魔獣、ラミアが人を操りできた闇の母神教団。その教え、その信仰。この世全ての魔獣の母……」

 大神官ノルデンは顔を伏せたまま、呟くように話す。

「闇の神信仰は、現行の国政に不満を抱く者を、束ねる為に利用されたりしますが。……闇の母神を奉じる者が言うには、魔獣は人の心を守る為に、闇の母神が遣わしたもの、と言うのです。故に、人と魔獣は互いに喰らい合いながら、共に在れ、と。……私は、闇の母神の教えと、一角獣の御言葉が、繋がったように感じてしまいました」
 
 光の神信仰に身を捧げてきた大神官には、驚くことだろう。だが、一角獣もまた人の技術の発展を止めるようにしていたとなれば、もしや聖獣一角獣は深都の住人と同じ、業の者ではないのか? その御言葉は、闇の母神、ルボゥサスラァの言葉なのではないか?

「私はエルアーリュ王子に、闇の母神教団の根城にあったものを教会に譲って欲しい、と頼みました。始めは断られましたが、」

 あの遺跡にあったものは、全てローグシーへと運び入れた。エルアーリュ王子と話し、表に出せないものは、今はアルケニー調査班の地下秘密研究所に封印してある。俺の血の実験で地下で蜘蛛を飼っていたところが広くなり、怪しい研究はそこでしているというが。
 闇の母神の教典に闇の母神の像など、今では母上とルブセィラ女史の玩具のようになってしまっているのだが。

「私の長年の疑念が晴れるのではないかと、何度も嘆願してしまいました。そこでエルアーリュ王子より極秘にせよ、と資料を渡されました。これを見るには、真に神の教えに従い、信徒を守る為に、信徒も教会も総聖堂も全てを欺く覚悟を決めよ、と」

 脅し過ぎてないかエルアーリュ王子?

「その資料とは?」
「魔獣研究家、ルブセィラ=カリアーニス先生の研究資料、古代魔術文明魔獣造生起源論です」

 あの眼鏡、何処まで書いた?

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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