第三十三話

文字数 6,760文字


 魔獣深森は奥に進む程に草木は大きくなる。巨木が聳え生い茂る枝葉が陽光を遮り、昼でも薄暗い所が増える。
 緑の匂いは濃くなり、花やキノコも巨大になり、虫もまた大きなものが目につく。腰の高さ程もある大きなキノコを見つけると、深部へと進む程に自分が小人になっていくような錯覚を覚える。
 巨木が増え、木々の間が開き、繁る大きな枝葉で日光が当たらず、下生えが少なくなるので移動はしやすくなる。その分、大きな魔獣との遭遇率も上がる。なるべく日の当たるルートを探し、視界を確保して進む。
 今のところは魔獣との戦闘は無い。アシェンドネイルに怯まずかかってくる魔獣は、なかなかいない。

 あと二日で目的の遺跡迷宮へと到着する予定。夜営の為にキャンプを張る。
 脅迫状には十日以内と指定があったが、一日早く目的地に到着できそうだ。
 俺とエクアドはテントの外でフクロウのクチバの報告を聞く。

「ウェアウルフを発見しました。遠巻きにこちらを観察しているようですね」
「戦闘にはなっていないのか?」
「こちらから仕掛けましたが、逃げられました。隊の規模など見て報告しているかと」
「念の為にウェアウルフの奇襲には警戒しよう」

 クチバが灰色の髪を片手でポリポリとかく。

「ここまで来るとフクロウの隊員に無茶はさせられません。隠密ハガクに教導してもらいましたが、ウィラーイン諜報部隊フクロウは魔獣戦闘はそれほど得手では無くて」
「ウィラーインの民であれば並みでは無いだろう?」
「エクアド隊長、フクロウはもと旅芸人や吟遊詩人が多いのです。熟練ハンターでは無いので」

 魔獣深森深部で偵察となれば、人間でできるのは、東方でシノービとかいう特殊部隊にいたという隠密ハガクか、クチバぐらいしかいない。隠れて偵察を諦めて人数で力押しするならやりようはあるが。

「ゼラちゃんかアシェンドネイルなら単独で先行もできるでしょうが、問題ありますからね」

 俺がゼラに乗って先行してもいいが、その間にハウルルを狙われても困る。焚き火にあたるアシェンドネイルは、スープの入ったカップをふうふうと吹いて冷ましている。

「私をあてにしないでね。ウィラーイン領に手を出さないというのは、良くも悪くもあまり手出ししないということだから」
「ハウルルから目を離さない為ですか? 頼りになりませんねえ」
「人が魔獣に頼らないでよ」
「アシェンドネイルの後始末で私達は動いているのですけど」
「私達はずっと過去の人間の後始末をしていたわ。たまには人も同じことしたらいいんじゃない?」

 半目でアシェンドネイルを見るクチバ。ここはクチバに頼むしか無いか。

「クチバには悪いが偵察して、遺跡迷宮の地形を見てきて貰いたい。向こうが待ち構えるなら罠も警戒しないと」
「そーですね。ただ、何かあればすぐに逃げてきますから。無茶はしませんよ」
「もちろんだ。深部では魔獣の変異種の発見も増えている。自分の身を第一にしてくれ。クチバがいないと困る」

 クチバは目を細めて笑う。

「それは私がカダール様に言いたいのですが。まったく、働き甲斐のある職場ですよ。ところでゼラちゃんは?」
「ハウルルと母上とテントの中だ」

 俺に毒針を刺したことを反省したのか、ハウルルは暫くしょんぼりしていた。その日の夜にはゼラも機嫌を直してハウルルを許した。
 その後、ますますハウルルがゼラにベッタリになった。これまで俺とゼラは寝るときは一緒だったが、今はゼラがハウルルを抱っこして寝る。俺はゼラの蜘蛛の背で寝るので、今も一緒は一緒なのだが。

 あの一件の後、ハウルルが俺を見る目が少し変わったような。嫉妬もあるようだが、なんだか敬意も持たれているような。それでもゼラが俺におやすみのちゅー、をするところを見て解りやすく不機嫌になる。難しい男の子心だ。

 俺とハウルルも仲直りということで握手して、俺がハウルルの頭を撫でても以前のように怯えなくなった。
 三角関係とか言われても、いや、先にハウルルを睨んでしまったのは俺の方か。ハウルルの頭を撫でながら思うのは、かつて父上はこんな気分で幼い俺の頭を撫でていたのか? という奇妙な感じ。

「ハウルルとゼラの情操教育なのか、母上が二人に昔話とかしている」
「ルミリア様は教育熱心ですねー」

 クチバが俺をジロジロと見て何か納得したように頷いている。なんだ?

「いえ、私もハガクもおもしろ、コホン、良い主君を見つけたものだと。では私はこれで」

 クチバの去る後ろ姿を見送る。どういう意味だろう? クチバが納得しているのならいいのだが。
 アシェンドネイルが周りを見回して俺とエクアドに向く。

「赤毛の英雄、ちょっといいかしら?」
「なんだ? 改めて言うとは、また人に聞かせられない話か?」
「その通りよ。英雄の親友ならいいけれど、私の見張りを少し離してもらってもいいかしら?」
「今で無いとダメか?」
「これは念の為、それとウィラーイン領の平穏の為になるわよ」

 エクアドと目を合わせる。エクアドは頷いてアシェンドネイルを見張る隊員に手を振ると、隊員達は下がっていく。
 暗い夜の森の中、焚き火の明かりとゼラの魔法の明かりがところどころに灯され、遠くからはフクロウに似た鳴き声が聞こえてくる。
 アシェンドネイルが指を振り、キィンと耳鳴りのような音がする。内緒話の為に音の伝わりを遮る魔法だ。
 エクアドが苦笑する。

「この魔法、上手く使えば奇襲に潜入と応用できそうだ」
「攻撃魔術より応用が効いて、使い方次第では恐ろしいことになりそうだ。それで、アシェンドネイル、話とは?」
「赤毛の英雄、あなたの母のことよ」
「俺の母上がどうかしたか?」
「発明家なのかしら? 話を聞くといろいろと作っているようだけど」
「母上は興味が向いたことには手を出しているが、発明家という程では」
「これは忠告よ、赤毛の英雄。人を弱体化させる技術や道具を作り広めるのは、禁則に触れるわ」

 禁則とは穏やかでは無い響きだ。俺とエクアドもカップに入れたスープに口をつける。夜警の為の眠気覚ましの薬湯スープは温かい。
 
「アシェンドネイルが前に言っていた、人の文明を発展させるものが、人類の滅日に繋がるから、か?」
「そうよ。禁則に触れる技術が人に広まれば、それを潰す為に魔獣は強化され増えることになる」
「その禁則が解らねば母上で無くとも、誰かが発明するかもしれない。具体的にはどんなものだ?」
「例を上げるなら、前に話していた空を飛ぶ乗り物かしら」
「もう少し解りやすく頼む」
「解りやすく説明すると、そうね、計算機」
「計算機?」
「人の代わりに複雑な計算をしてくれる魔術具よ。そういうのが人類に広まれば人は弱化する。例えば、1から100までの数を順番に足すと、合計はいくつになる?」

 エクアドがちょっと待て、と言い考え始める。エクアドには悪いが先に答を言わせてもらう。

「5050だ」
「あら? 赤毛の英雄は知ってたのかしら?」
「子供の頃、母上に教えてもらった。計算の仕方と言うより、ものの見方の変え方として。順番に数字を足していくより、早い方法がある。1と99を足して100。2と98を足して100。これを続けて49と51を足して100。合計100の組み合わせが49できるので4900。これに余った100と50を足して、5050だ」
「101かける50というやり方もあるわ。暗算するには端数が無い方が整理しやすいのかしら?」
「その計算の仕方と計算機はどう繋がる?」
「複雑な計算を代わりにしてくれる魔術具が身近にあれば、自分の頭で考えなくて済む。計算の仕方の見方を変えるとか、そういった工夫も発想も失うから」
「人が持つ能力を弱体化させる技術が禁則に触れる、と」
「そういうこと。そして禁則に触れるものが見つかれば、魔獣は強化される。私とお姉様達は古代魔術文明の危険な遺産は、人に見つからないようにと潰してきたわ」

 湿った風が吹き、アシェンドネイルのミルクのような白い髪が跳ねる。黒い皮ベルトに隠されたその目は見えない。アシェンドネイルは夜空を仰ぐように上を向く。

「計算機、内燃機関、火薬、遠距離通信。そういった人の力に頼らない技術を、今の人類に持たせることはできないのよ」

 彼女達はそうして、ずっと人類を守ってきたのか。エクアドがアシェンドネイルに訊ねる。

「俺には技術に頼って人が弱体化する、というのがイマイチよくわからん」
「便利な道具に慣らされると、それも解らなくなるものよ。かつては文字が無かった。あなた達は文字を使い慣れてるわね。その文字の利点とは?」
「手紙などあるが、そうだな、記録を正確に残しておける。人が憶えきれないものを書き残し、文字が読めれば知識の継承に役立つ」
「そして紙とペンと文字があれば、いろいろと書き残すことができるわね。だけど、文字の無い時代は自分の頭で憶えるしか無かった。文字に記録を頼ることに慣れて、今の人間は文字の無い時代の人間より、記憶力は劣化しているのよ」

 背筋がゾクリとする。文字を使うのに慣れて、憶える力が衰えている?

「比べることができないから、劣化した、と聞いても解らないでしょう。便利なものに慣れるとはそういうこと」
「それでは、俺達は古代魔術文明の人間と比べて、どうなんだ? 魔獣と戦い続ける中で、どう変わった?」
「古代魔術文明では人間同士、直接争うことも無く、戦争も人造の兵に魔術具頼り。人はその人体の能力を20%くらいしか使えない。私が見たところ、ローグシーの街の住人は身体能力を50%近く引き出しているわね」
「アシェンドネイル、その、ぱーせんと、というのがピンとこない」
「古代魔術文明の人と比べて、ローグシーの街の住人は2.5倍くらい強いの。加えて旧文明とは違い、脳改造をしなくても魔術の能力を開花させる人も増えているわね」
「そんなに違うものか? 同じ人間では無いのか?」
「同じ人間でも環境により変化する。使う必要の無い能力は失われる。戦わずに生きられる環境では、人の身体能力、精神力は劣化するのよ。魔術具に頼らず魔獣と戦い、自力で生存能力を高めることで、人間が本来持つ能力を引き出す個体を増やす。これが古代魔術文明の残した人類生存計画よ」

 かつて滅びた文明の住人が、次の時代の人類に望んだこと。同じ滅びを迎えないようにと。
 それで人を襲う魔獣を造ったというのは、俺達にはいい迷惑だ。しかし、魔獣という敵がいるからこそ鍛えられる。そこには魔獣に襲われるという悲劇も災難もある。苦難を試練として、乗り越えた者が逞しく生きる。
 生きることは戦いなのか。

「カダール、これはどうすればいい?」
「エクアド、俺達がどうにかできることだろうか? ただ、これを知っても知らなくとも俺達がすることはそれほど変わらない」
「そうか?」
「簡単に魔獣に殺されぬように鍛える。これは変わらないだろう」

 焚き火にかかる鍋からスープをもう一杯。アシェンドネイルとエクアドのカップにも注ぐ。湯気の立つカップを見るエクアドが、

「知らなかった。俺達は技術が制限されているとは」

 猫舌のアシェンドネイルはスープをふうふうと吹いて冷ます。

「人は弱いわ。弱すぎてもとの計画通りでは、厳しすぎて今より悲惨な目に遭ってるでしょうね。それを憐れんだ我らが母が、システムに介入して機能を狂わせた」
「それが闇の母神の狂気か?」
「人力以外のものはほとんど禁則だったのよ。我らが母が機能を狂わせたことで、家畜に騎獣といった獣の力。あとは水の流れに風の流れといった自然の力の利用、水車に風車は使えるようになっているわ」
「本来の計画では、俺達は馬車も使えなかったのか……」
「英雄の母には、禁則に触れるものを発明して広めないことを薦めるわ。手に負えない魔獣を増やして襲われたいなら好きにするといいけど」
「使い慣れると人を弱体化させるもの、か。解った、母上に伝えておく」
「英雄の母なら理解できるでしょう」

 吹いて冷ましたスープに口をつけるアシェンドネイル。グリーンラビットの骨を煮込んだ薬湯スープは眠気覚ましに少し苦味がある。アシェンドネイルは気に入ったらしい。

「アシェンドネイル、これは母上に直接言えば良かったんじゃないか?」
「なぜ、英雄の母は私を小娘扱いするのかしら? 私の方がずっと歳上だというのに」
「母上はアシェンドネイルのことを、拗ねた娘のように放っておけないらしい。それにゼラの姉となれば、俺とゼラが結婚するとアシェンドネイルも家族になるわけだし」
「……これをボケずに真顔で言うのね。あのね、私はラミアなのよ?」
「知っている。今さら何を?」

 アシェンドネイルを正面から見つめて応えると、アシェンドネイルは硬直した。何か言うかとジッと見ていると、顔をそむけて片手で額を押さえて深々とため息を吐く。なにか疲れているようだ。
 エクアドが眉を寄せたしかめ面で、

「カダール、俺もウィラーイン家の一員となると、アシェンドネイルは俺の兄弟の妻の姉、ということになるのか?」
「そうじゃないのか?」
「この世全ての魔獣の母、ルボゥサスラァも親戚になるのか」
「まさか俺達が闇の母神と親戚関係になるとは。これは教会には秘密にしなければ」
「異端者どころの話では無いな」

「あのね、あなた達、心配するところがズレてない?」
「母上にはアシェンドネイルが心配していた、と伝えておく。忠告、感謝する」
「……嫌みかしら? 違うわね。素で言ってるから余計にタチが悪いわ」
「アシェンドネイルは魔獣の増加を防ごうとしていたのだろう? 俺達の為では無く闇の母神の為にだが。その結果に今のウィラーイン領の繁栄があるなら、アシェンドネイルと深都のお姉様達には礼を言わねばならん」

 アシェンドネイルは口をへの字に曲げる。

「私は人間なんてどうでもいいのよ。もういいわ、話は終わり。おやすみ」

 ふてくされたように空のカップを投げる。キャッチしてアシェンドネイルを見れば、振り返りさっさとテントの方に行ってしまう。

「古代魔術文明が遺した魔獣の役割、か。人類生存計画とは、旧時代の人間は滅日前に何を考えていたのか」
「カダール、前にアシェンドネイルに悪意は感じない、と言っていたな」
「あぁ」
「カダールはもしかして、以前から知っていたのか? この世界の裏側の話を。ルミリア様が調べて知っていたのか?」
「いいや、今、アシェンドネイルから聞いたのが初めてだ。母上も知らないだろう。今も、なんなんだそれは? と、俺の頭の中は混乱しているとこだ」
「それは俺もだ。人の力に頼るしか無い、となれば鍛えるしか無いのか。では、カダール。どうしてアシェンドネイルに悪意が無い、と解った?」
「そんなものは解りはしない。ただ、そうと感じただけで」
「ただのカンか?」
「悪意があるかどうか、それは相手の目を見れば何となく解るものだろう? 今のアシェンドネイルは、目隠しで瞳が見えないのがやりにくいが」
「目を見て感じた、それだけか?」
「それだけで十分だろう。もしかするとこれも、盾の国で鍛えられた人間の危機感知能力、なのかもしれん」
「それがアシェンドネイルを懐に抱えた判断に繋がる、か」

 俺を見るエクアドが苦笑する。

「俺もウィラーイン家の一員となるには、学ばねばならないことが多いな」
「エクアド、俺もそうだ。父上のように人を率いることはできないし、母上のように頭は回らない。部隊を指揮することはエクアドの方が上手い」
「俺が上手くやってるように見えるのは、旗頭の副隊長が立ってるおかげなんだが」

 俺が何かした覚えは無いのだが。いや、逆にいろいろとやらかしてしまった覚えはあるが。アルケニー監視部隊の仲が良いのは、ゼラの人気とエクアドの采配だろう。
 俺はエクアドに薬湯スープの入ったカップを掲げる。

「これからもよろしく頼む、兄上」
「こちらこそ、だ。弟」

 エクアドとは同い歳だが、エクアドの方が三ヶ月早く産まれている。エクアドがウィラーイン家に入れば俺の兄、ということになる。
 エクアドが持つカップと俺の持つカップがあたり、コンと小さく音を鳴らす。木製のカップの立てる音は小さいが、静かな森の奥では確かに聞こえる。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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