第二十四話
文字数 6,450文字
アルケニー監視部隊が護衛する特大テントの中。王子が戻った後、エクアドがお茶のカップを片付けて、俺はゼラの蜘蛛の背から鞍代わりの畳んだ毛布、使わなかったが手槍とクロスボウを下ろして、胸の赤いブレストプレートを外す。
「ぷーは」
ブレストプレートを外し、鎧下もポイと投げ捨てて、やっと脱げて楽になったとくつろぐゼラ。隠されていた褐色の双丘がプルンと弾む。うむぅ、毎日目にしてるのに、魅惑の曲線に目を奪われる。視線を逸らすと、ゼラのポムンに目が行ってしまったエクアドがいる。あぁ、男、とは。ゼラはそのまま重ねた毛布の上に、うつ伏せにパタリコと寝転ぶ。蜘蛛の脚も力無く投げ出すように。
「ゼラ、夕飯はどうする?」
「ンー、今日は、いい」
「調子悪いのか? お茶か?」
「ンー? なんだか、力が入らない」
エクアドと顔を合わせる。いろいろあった一日だったがゼラがこんなにグッタリするとは。
「エクアド、ルブセィラ女史を呼んでくれないか?」
「そうしよう。それと俺達の夕飯も取ってくるか」
エクアドがテントの外に出る。ゼラの横になる毛布の山に座ると、ゼラがずりずりと這ってきて俺の膝の上に頭を乗せる。
「ゼラ、お茶に酔ったか? 気持ち悪くないか?」
「気分いーよ? フワフワする」
ゼラの黒髪を撫でながらルブセィラ女史を待つ。テントの外が少し騒がしい。耳を澄ませてみると、どうやらスピルードル王軍の誰かが挨拶に来ているらしい。それを護衛のアルケニー監視部隊がやんわりと断っている。早速、黒蜘蛛の騎士と縁を持とうというのがいるようだ。気が早いのか手が早いのか。
しばらく待っているとルブセィラ女史が来た。いつもより元気の無いゼラを見ながら何か考えている。今もまだルブセィラ女史にはゼラの触診は許していない。
「魔力切れ、でしょうか。あとは神経の疲れかと」
「ゼラが魔力切れ? 底無しかと思っていたが」
「
「治癒は高度な魔術というのは知ってはいるが」
「折れた骨などいい加減に繋げば、後で支障が出ます。極端な例だと、胃の一部だけを活性化させると胃酸が大量に出て胃に穴を開けたりします。ただ治癒力を上げたり肉体を活性化させればいい、というものでは無いので。体内の折れた骨を繋ぐのもけっこう難しいんですよ。得意な系統にも依りますが、火とか氷を飛ばす簡単なものとは違うので、治癒はその分、術者が疲れます」
「治癒の魔法の疲労、ということか。どうすればいい?」
「“
エクアドが戻って来た。その後ろから父上もテントに入ってくる。父上が手に持っている袋の中身を出して、
「調理前の鶏肉を持って来たんだが、ゼラの様子は?」
俺の膝の上に頭を乗せてたゼラが手を着いて、上体を起こす。お茶の酔いもあるのか、いつもより動作が緩慢だ。
「ゼラ、食べられるか?」
「ンー、ウン、チチウエ、ありがとう」
ゼラが父上から鶏肉を受け取りモソモソと食べ始める。血抜きが終わってるようで、溢れる血で顔を汚したりはしてない。
「私は今日の資料をまとめます。また何かあれば呼んで下さい。ゼラさん、気分が悪いとかあればすぐにカダール様に言ってくださいね」
「ウン」
ルブセィラ女史がテントを出て、エクアドが折り畳みのテーブルの上に食器を並べる。丸パンに温かなシチュー。
「こっちも飯にしよう」
ゼラの食事のときは外の護衛にしっかりと守ってもらう。ゼラが生の肉を食べる、というのは今も隠している。見られて怖れられても困る。それで俺とゼラとエクアドはテントの中で食べるということで、いつも三人前を中に運んでもらっている。
アルケニー監視部隊はスピルードル王軍の部隊より少し離れたところにテントを立てているが、注目されているので注意しなければ。今も遠目に観察されていることだろう。
父上とエクアドと俺、三人でテーブルを囲む。夕飯を食べながら今後の相談を。
エクアドが父上に。
「ウィラーイン伯爵の兵でテントの護衛に手を貸してもらえませんか? どうもチョロチョロしてるのが増えたもので」
「アルケニー監視部隊はまだ人員も少ないか。信の置ける者で援護しよう」
「あとはカダールとゼラに会わせろ、という貴族。こちらも今のところは王子の威光で追い返してますが」
「息子は疲れているから、先ずはワシのとこに来い、ということにしとくか」
俺も気になってることを、
「エクアド、アルケニー監視部隊には夜も交代で護衛に立って貰っているが、大丈夫か? 昼は移動で夜は見張りと、ここまでの行軍中もずっとで疲労してないか?」
「まだ、大丈夫だ。交代で休息はとっている。それに今日の昼間は見てるだけだったし」
「見てるだけでもワシは驚き過ぎて疲れたが、二人ともゼラの戦闘力は知っていたのか?」
「父上、試すことも恐ろしいものをどうやって事前に知ると? 灰龍より強いということしか解っておりません」
「伯爵、試すだけで地形が変わります」
「それで突っ込むか。お前ら胆が太いのか、鈍いのか。二人とも不死身の騎士などと呼ばれているが、それはゼラのおかげなのだろう? 守られて危機に鈍くなっておらんか?」
エクアドと顔を見合わせる。言われてみるとそういうところはあるかもしれない。
「どんな窮地からも生還する二人の騎士と、貴族の子女向けの物語のモデルになったりしているが、こうしてタネが解ったのだから今後は気をつけよ」
「父上、アレを読んだのですか?」
「『剣雷と槍風と』は、息子とエクアドがモデルと聞いたのでな。しかしあれは、なんというのか、その、まさかカダールとエクアド、お前たちは」
「「断じて違います!」」
「そうであるよなぁ。カダールもゼラのオッパイにドギマギしとるのだし」
「父上、そこで納得されるのもどうかしてませんか?」
あの本の内容と、俺とエクアドを一緒にされると敵わない。アルケニー調査班の女研究員とか、俺とエクアドが話をしてるのを見るだけで、何か興奮してるし。俺とエクアドにそういう趣味があるとか、勘違いされることもあるし。アレが人気がある、というのが解らない。
アルケニー監視部隊の夜間の警備を見直して。敵よりも味方に気を付けねばという夜警もどうかと思うが、父上のウィラーイン領兵団からも護衛を出して貰うことに。これでどうにかなるか。
「ゼラ、もういいのか?」
「ンー、もういい」
いつもなら一羽丸々食べるところが、半分も口をつけていない。コテンと横になるゼラ。
「本当に大丈夫か?」
「ン、寝たら、良くなる」
父上がゼラの様子を見ながら、
「昼間に治療部隊でやったことを聞いたが、妙なことになっていたぞ」
「妙なこととは? 怪我人を治しただけですが?」
「どんな怪我もたちどころに治す、死者を生き返らせた、などと盛り上がっている。黒き魔獣の聖女よ、奇跡の御使いよ、と泣きながら祈る者もいてな」
「並の治癒術師にはできないことですが、そんなことに?」
「ゼラの蜘蛛の体毛、抜け落ちた黒い毛には、蜘蛛の姫の守りの力があると、奪い合いのケンカが起きた」
ゼラの治癒は凄かったが、それでゼラの毛が奪い合いになるとか、どうなっているのか。
「二人とも今日は休め。外の守りは任せろ」
「頼む、エクアド」
父上とエクアドがテントの外に出て、ゼラ専用の特大テントの中、ゼラと二人になる。いつもなら暗くなればゼラに魔法の明かりを灯して貰うのだが、今はその元気も無いらしい。魔法の明かりに慣れてしまったのか、ランプの明かりは薄暗く見える。
俺も鎧を脱いで楽になる。鉄帽子と鎧の汚れを拭いておく。グローブは片方落としてしまったから代わりを用意しなければ。剣は使ってもいないので綺麗なままだ。
軽く手入れを済ませて振り向く。ゼラは俺が明日の用意をしているところを見ていたようで、目が合う。ん?
ゼラの目がとろんとして、何だか色っぽい。口がもぐもぐと動いている。
「ゼラ、何を食べてる?」
「ン、ンー?」
口の動きを止めて目を逸らすゼラ。肘を着いて寝そべっているが、その肘の近くにあるのは、高級そうな布包み。エルアーリュ王子が持って来た、高級茶葉の包み。ゼラ?
慌ててゼラに近寄る。
「ゼラ、口を開けて」
「ンー?」
「んー、じゃなくて、ほら、ペッしなさい。ペッて」
「ンー、ぺ」
上目使いで赤い舌を出すゼラ。その舌にあるのは、唾液まみれの茶葉。……おい。
「ゼラ、茶葉をそのまま食べたらダメだろ」
「あにゅ」
「酔って無いか? 意識はあるか?」
「ウン、ふわってして、気持ちイイよ?」
薄く光る赤紫の瞳は、細められてはいるが正気の光。これなら大丈夫か。
「カダールー」
抱きつくゼラを受け止める。
「茶葉なんて口にして、苦くないのか?」
「おいしいよ? じわって出てくる」
「また、おかしくなるぞ」
「まだ、大丈夫」
こうして抱きしめてしまえば、上半身は細い少女の身体。長い黒髪が俺の首をくすぐる。伸ばすゼラの右手をとり見てみても、もうそこに矢傷は無い。腕を貫いた矢の跡はどこにも無い。
「カダール?」
「ゼラ、もう俺を守る為に無茶はしないでくれ」
「ゼラはカダール守る」
たった一度助けただけで、そのあと何度救われたか解らない。無垢な赤紫の瞳が俺を見詰める。
「ゼラは、カダールのもの」
「俺にはゼラに返せるものなんて、何も無い」
「カダール、いっぱい優しい。いっぱいあったかい」
ゼラは甘えるように俺の胸に頬をつける。
「カダール、優しい。優しすぎて、心配」
「俺はそんな優しい男では、」
「カダール、ゴブリンのとき、
「それは騎士の務めであるし」
「魔獣、助けて守る。怒られるのに、ゼラを、助けてくれた」
「それは、」
子供のときの話だ。害になる魔獣を殺すことは人として当たり前、それは頭では解っていた。だが、あのときの俺は何故、子タラテクトを助けたのか。ただ、可哀想と思い、助けたくなった。それだけのこと。頭で解ることに心が逆らって、あのときは自分でもよく解らなかった。
「ゼラは、カダールの優しい、守りたい。ずっと一緒にいたい」
「ゼラはそれでいいのか? それで人間の都合に巻き込まれて、窮屈じゃないのか?」
「ンー、鎧、服、きゅうくつ」
「服のことだけじゃ無くて」
ゼラが俺にしがみつく。昼間の治癒の魔法の使い過ぎか、その手にいつもの力は無くて、弱々しい。人の怪我を魔法で治す魔獣、それも俺が喜ぶから、と。
「ゼラ、がんばる」
「これ以上、何をがんばるんだ?」
「ちゃんと全部、人間になる。そしたら、カダールとずっと一緒」
人間になる。伝説の進化する魔獣が、ドラゴンよりも強い魔獣が、弱点だらけの脆い人間の身体になると。それも俺の為に、ゼラの何もかもは全部、俺の為に。どうしてそこまでするのか。その想いに俺は何を返せるのか。胸にすがるゼラを抱きしめる。上半身だけならすっぽりと抱えてしまえるゼラ。
「むふん」
抱きしめれば、嬉しそうに鼻から抜けるような呼気で目を細める。
エルアーリュ王子が言ったように、いっそ駆け落ちでもしてしまうか。父上も母上もゼラのことは気に入っているが、ウィラーイン家の後継ぎが魔獣を嫁になどすればどうなるのか。教会も何を言ってくるか解らない。他の貴族もだ。なにもかもを強引にゼラの力で押し通せば、それは人の恐怖を産む。まったく人間とは面倒だ。
頭ではおかしなことと解ってはいる。だが、あのときと同じだ。吹き飛ばされて落ちてきた、子タラテクトを見たときと同じ。俺がゼラを見てどう思うのか。
ゼラの肩を掴んで、俺の胸から離す。
「カダール?」
キョトンと見上げてくる赤紫の瞳、あどけない少女の顔。俺がゼラを見てどう思うのか、そんなことはもう決まっている。俺はとっくにこの蜘蛛の巣に捕まっている。だったら、なってやろう黒蜘蛛の騎士に。俺がゼラの騎士に。
人と魔獣が一緒にはいられない? それでゼラが人になるのを待つ? それは灰龍以上の怪物を見つけてゼラをぶつけるということ。進化の為に、より強い魔獣を倒して食らうこと。
上半身人間体という弱点を抱えてしまったゼラに、そんな危険なことはさせられない。
だったら、魔獣がどうした、蜘蛛がなんだ。いつも側にいて、ずっと守ってくれて、毎日一緒に寝ているゼラのことを、俺は、
「カダール? どうした、の?」
見上げてくるゼラの赤い唇に、俺の唇を重ねる。もう誤魔化すことはやめよう。
「んむ? ンー?」
驚いて、それでもおとなしいゼラ。口づけのことが解っているのか、解っていないのか。舌を伸ばして舐めてくる。キスというよりは血を舐めとるかのように、俺の唾液を舐めて吸うゼラ。その唇と舌は、ゼラがさっきまで噛んでいた、中央から取り寄せた高級茶葉の香りと苦さ。ゼラの舌が俺の前歯をなぞる。はぁ、と、息をついて顔を離して、俺を見る赤紫の瞳。
ゼラの想いに応え、俺の想いを口にする。
「ゼラ、俺のツガイになってくれ」
「あ、にゅ、カダール? ゼラはまだ、人間じゃ、無いよ?」
「構うか」
手を伸ばす、ゼラのへその下へ。ルブセィラ女史が言うには、人間の女性器に酷似しているというそこへ。
「きゃう」
驚いたゼラの身体が跳ねる。蜘蛛の脚がワキワキと動いて立ち上がる。ゼラのわき腹を手でなぞって肩を引く。蜘蛛の脚が跳ねて、大蜘蛛の身体が腹を上に見せて、ズンと転がる。仰向けに寝転がるゼラの上に覆い被さって。
「完全な人間体にならなくても、ゼラはゼラだ。そうだろう?」
「ン、ウン、でも、カダール、怖くない?」
「ゼラが側に居れば、俺に怖れるものは何も無い」
「あ、う、……いいの?」
「嫌か? ゼラ?」
「ちょと、怖い」
「……じゃ、やめる、か?」
「や! カダール!」
弱々しくしがみついてくるゼラと唇を重ねる。全て背負おう。魔獣と契った者として人の世を追われることになろうとも。
腕の中で、俺の名を呼びながら涙を溢すゼラを見て、愛しくて、たまらなくて、止まらなくなった。
「カダール、カダールぅ、だいすき……」
「ゼラ……」
甘くせつなく囁く声に、応えるように身体を重ねる。蜘蛛の脚が俺の足を抱えてくる。もう捕まったなどとは言うまい。ゼラは俺が見つけて、俺が拾った蜘蛛の子だから。
先に手を伸ばしたのは、俺の方なのだから。
褐色の胸に浮かぶ汗の玉を舐める。ゼラの熱い吐息が返事のように返ってくる。
「ン、あぅ、カダールぅ」
熱く震える身体を強く抱く。ゼラのしがみつく手が俺の背を掻く。全て抱えてその先へ。ロマンでもお伽噺でも英雄でも勝手に重ねて見るがいい。ゼラはゼラだ。命を救ったことで、ゼラが俺のものだと言うなら、俺もまたゼラのものだ。
ゼラとひとつになる。
格好をつけようとしたところで、俺の胸の底意を言葉にして吐けば、簡単でありきたりのものしか出てこない。
「ゼラ、好きだ」
この先に何があろうとも手離すものか。
「ふぁ、カダール……」
泣きながらせつない声で名を呼ぶ口を、俺の口で蓋をする。
この蜘蛛の姫の意吐は俺のものだから。