第三十二話

文字数 6,057文字


 翌日の朝、アルケニー監視部隊がローグシーの街を出る時には、街の住民の激励に送られるという騒ぎになった。
 街にウェアウルフが夜襲を仕掛けた後に即、出撃となれば、反撃と思われて当然。街の方にはウェアウルフの王種を探す為、魔獣深森に調査に向かうと説明してある。
 ゼラとその蜘蛛の背中に乗る母上が注目を集める中、アシェンドネイルとハウルルは馬車の中に隠して、なんとかローグシーの街を出発。

 街を出て四日目には魔獣深森の中へ。奥に行けば行く程に危険になるはずの魔獣の森。しかし、その道程は呑気なものだ。
 クチバが率いるフクロウの隊員が周囲を警戒。移動中、彷徨くオークの集団と出会ったときは、アシェンドネイルが、

「道のり途中の戦闘は盛り上げるのにいいかもしれないけれど、今はさっさと行きましょうか」

 と、言ってオークの前に立てば、十数体いたオークは悲鳴のような声を上げて逃げていった。豚のような頭を持ち人を食らう亜人型魔獣が、人に出会ったねずみのように逃げていく。
 ゼラはその身の魔力や強い魔獣としての気配や威圧などを、人を脅かさないようにと隠蔽している。ゼラにとっては無自覚でコントロールできないらしい。
 ゼラの姉を名乗る同じ進化する魔獣、ラミアのアシェンドネイルは自在にその威圧を出せるようだ。
 人を見れば襲う魔獣でも、勝てない戦いを挑むのは少ない。敵わないと判断する知性があれば、アシェンドネイルを視界に入れると怯えて逃げる。

「命知らずな獄門蜂とか、知性の無いアンデッドの類いには効かないけれどね」
「ね、アシェ、それ、やり方教えて」
「ゼラは皆に愛される蜘蛛の姫だから、必要無いでしょ」
「そお? できたら便利そうだけど」
「気配での脅し方は教えるのは難しいわね。ゼラの隠蔽の仕方を教えるのも難しいでしょ? なんとなくでやってるみたいだし」
「えーと、足音を小さくして、静かにこそこそっとね」
「絶対それだけじゃできないわね。ゼラの威圧隠蔽の仕方を教えて欲しい、というお姉様達は多そうなのだけど」

 ゼラとアシェンドネイルがお喋りしながら進み、周りをアルケニー監視部隊が囲む。こちらも今のところ気が抜けている。
 魔獣深森深部に進むからと緊張しっぱなしで疲労するよりはマシなのだが、目に入ると気が緩むものがここにある。

「♪蝶よ、蝶よ、何処へ飛ぶ。赤い蝶よ、こちらへおいで」
「♪らー」

 ゼラの蜘蛛の背で母上が歌を歌っている。母上に抱っこされたハウルルも一緒にだ。
 ハウルル護衛の為にはハウルルがゼラの背に乗ってるのがいい。そして母上とアステも交代でゼラの背に乗っている。
 俺はゼラの蜘蛛の背をハウルルに譲り、隊員と並んで歩いている。

 前にも母上はゼラの蜘蛛の背で横になってたことがある。花壇の側で日向ぼっこしていた。
 そのときから作っていたのだろうか? 高さを合わせたクッションに膝掛け、ミニテーブルがゼラの蜘蛛の背にセッティングされている。
 なんだかゼラの蜘蛛の背が、伯爵婦人の為の移動する極上寝椅子のようになっている。ミニテーブルの上にはカップにポット、お菓子まで。
 母上はジャケットにズボンと動きやすい格好だが、肘をついて優雅に寝転び、ハウルルに歌を教えるように口ずさむ。その歌にハウルルとゼラが声を合わせる。
 それを目にするアシェンドネイルが片手で額を押さえる。

「イカれた古代妄想狂が待ち構えるところへ、殴り込みに行くのよね? 魔獣の住む森の奥、古代の遺跡迷宮に赴くのに、なぜピクニックのようになってるの?」
「アシェンドネイル、目的地の遺跡迷宮まであと五日の道程だ。今から気を張るのもまだ早いだろう」
「これが盾の国の人間のメンタルなのかしら?」
「魔獣を追い払ってくれるアシェンドネイルのおかげで、楽になっている」
「ちょっと気を引き締める為に、適当な魔獣と戦闘した方がいいんじゃない? 赤毛の英雄が戦いに赴く道のりがこれでいいの?」
「英雄物語の為に余計な戦闘を増やさないでくれ」
 
 アシェンドネイルの軽口に返していると、ゼラが不満そうに。

「むー、カダール、なんでアシェとばっかり話しているの?」
「すまない、だが、アシェンドネイルが俺に絡んで来るんだ」

 アシェンドネイルは深都のお姉様達に、俺のことをみやげ話にでもするつもりなのだろう。何かと俺をからかうように話しかけてくる。

「ゼラ、私は赤毛の英雄を盗ったりしないわよ」
「ンー、アシェはカダールにばっかり」
「だって他の人間にはあまり興味が無いもの」
「ン? アシェは母上が苦手?」

 ゼラの声にそっぽを向いて聞こえなかったようなふりをするアシェンドネイル。母上はそれを楽しそうに見ている。

「カダールー」

 ゼラが俺を呼んで手を伸ばす。俺は右手のグローブを外してゼラの手を握る。エスコートするようにゼラの手を取り森を進む。む? 一瞬ハウルルが俺を睨んだような?

「ね、カダール。なんでその研究者? その人は皆が嫌がることするの?」
「それは当の本人を捕まえて直接聞き出してみないと解らない」
「ンー、ルブセも母上も研究は好きだよね? でも、嫌なことはしないし、母上の作ったものは皆が喜んでるよね?」
「研究する分野が違うのもあるが、古代魔術文明の研究者というのはおかしな者が多くて」
「どうして? 古代魔術文明って、何?」
「その昔、この地上で栄えていた文明のことだ。今では失われた古代魔術を使う人達は、今の時代の俺達より遥かに進んだ文明だったらしい。空を飛ぶ乗り物を使っていたとか、あらゆる問題が優れた古代の魔術具で解決し、病も飢えも無かったという。魔獣に怯えることも無い平和で平穏な文明は栄華の頂を極めた、なんて伝わっている」
「今はその古代魔術文明の人はいないの?」
「かなり昔のことで誰も残っていない。隠された秘境に生き残っている、という話もあるが眉唾ものだ」
「なんでいなくなったの?」
「それが解らない。古代魔術文明が滅びた原因は不明のまま。今では世界各地にかつての栄華を誇った文明の遺跡が残るのみ、だ」
「ふうん」

 ゼラが考えながら俺の手をふにふにと揉む。手の甲を指でくすぐるようにして、こそばゆい。

「古代妄想狂っていうのは?」
「あぁ、それは遺跡迷宮から発掘された古代の魔術具で、困った事件を起こす古代研究者のことだ」

 近くで話を聞いていたルブセィラ女史が口を挟む。

「古代の魔術は今の私達の魔術とは違うようで、解明されて無いものも多いのです。かつては魔獣を支配する、とかいう魔術具を暴走させて魔獣の群れに町が襲われたりなど。古代魔術文明を復活させれば、人は古代の栄華を取り戻せる、という思想。そんな彼らが知的好奇心に引きずられて問題を起こすので、おかしな古代の研究者を古代妄想狂と呼んでいます」
「古代の魔術具って、危ないの? ハハウエの扇子は?」

 母上は扇子をクルリと回す。

「これは私が作ったもので古代の遺産では無いわ。魔術具もそうだけど、理解できないもの、動く理屈も解らないものを使うのは、危険でしょ。ローグシーの街を襲った放火狼の持ってた火炎放つ瓶。あれを子供に持たせてはいけないわね」
「あ、うん。なんか解った。ハハウエにルブセみたく、ちゃんと解ってないと危ないのか」

 いや、母上もルブセィラ女史もたまにちょっと心配になるときはあるが。それでも二人の持ってる理性の歯止めを失ったのが古代妄想狂か。母上がゼラに諭すように、

「人の中にはおかしな目的の為に犠牲を厭わない、そんな悪い人もいるからゼラは気をつけてね」
「ンー、ハハウエもカダールもエクアドも、悪い人には気をつけてって言うけど、ゼラ、悪い人に会ったことが無い」

 むう、この辺りゼラは対人経験が足りない、というか俺達で守っていることがゼラを箱入りのお嬢様のようにしてしまったのか?
 かつてゼラを泣かせたことのあるルブセィラ女史の顔を見ると、私がなにか? と、しれっとした顔をしている。どうやらゼラにとって、ルブセィラ女史は悪さはしても、悪い人の中には入れられて無いらしい。ルブセィラ女史はゼラの寛大さに感謝するべきだ。
 アシェンドネイルが、はぁ、と溜め息を吐く。

「悪い人に会ったことが無いなんて、ここは本当にお伽の国なんじゃないの?」

 アシェンドネイルが俺達に何を見ているのか知らないが、伝承に語られる存在にお伽の国の住人扱いされるとは。そんなことは無いだろうと周りを見ると、アルケニー監視部隊の何人かは、アシェンドネイルに同意するように頷いている。おや? なぜ?
 ゼラの蜘蛛の背に横たわる母上が、優雅にカップのお茶に口をつける。

「ゼラもいろいろと人のことを学んで欲しいわ」
「ウン! いっぱい学ぶ。ゼラもハハウエみたくなる。ハハウエみたいな立派な伯爵夫人になるの」

 手を繋いだ先、ニッコリと微笑み俺を見るゼラ。

「カダールを支える、いい奥さんになるの」
「ゼラ……」
「カダール」

 柔らかく微笑む赤紫の瞳。見ていると胸に暖かな熱が湧いてくる。ずっとゼラに守られてきて、俺の方こそゼラを支える良き夫にならねば。
 ゼラの手に指を絡めキュッと握ると、ゼラはくすぐったそうに首をすくめて、嬉しそうに笑う。

「うー、」

 ぷっす

「痛ぁ!?」

 なんだ? ゼラの手を握る右手の甲に急に痛みが、何か刺さってる? 見れば赤い。赤い大きなサソリの尾の針が、俺の右手の甲に刺さっている。その尾の根元を辿って見れば、不満そうに顔をしかめたハウルルがいる。
 ハウルルのサソリの尾に手をぷっすと刺された。

「ぬう、」
「カダール?!」

 手が痺れ、足が痺れる。立っていられなくなって膝を着く。よろめいた俺を見てアルケニー監視部隊がざわつき、先頭のエクアドが慌ててこっちに走ってくる。
 地面に四つん這いになった俺をゼラが泣きそうに見て、ルブセィラ女史が俺の手を見る。

「ハウルルの毒針は強い麻痺毒です。致死性ではありませんから、ゼラさん、安心して下さい。落ち着いてカダール様の解毒を」
「う、ウン! ぬー! なー!」

 母上がペチンとハウルルの頭を叩く。

「ハウルル、めっ」
「はう、」

 まさかこんな危機があるとは。ハウルルから攻撃されるとは、まるで警戒して無かった。不意打ちというのは相手が警戒して無いところを攻めるから効果がある。
 いや、なんで俺がハウルルにいきなり攻撃されるんだ。
 ゼラの魔法ですぐに解毒されて、身体の麻痺は治まったのだが。
 
「……ぜ、ぜー、らー」
「つんっ!」

 ゼラの蜘蛛の背でハウルルが泣きそうな顔をしている。いや、我慢しきれずにポロポロと涙が零れている。ハウルルの呼びかけにゼラはそっぽを向いて応えない。
 俺はというと、麻痺毒は解毒されたものの指先にまだ少し痺れが残っている。それをゼラが心配して俺を抱えて歩いている。
 久し振りにゼラにお姫様抱っこされている。皆が見てるところでゼラに抱っこされるのは、何度やっても気恥ずかしい。今回は胸当ても脚甲も着けてて重いのに、ゼラは軽々と俺を持ち上げている。
 ちら、と横目でゼラの蜘蛛の背を見ると、ポロポロと泣くハウルルと目が合う。母上がハウルルを抱っこしたまま説教している。

「ハウルル、ハウルルがゼラおねえちゃんを好きなのと同じくらいに、ゼラおねえちゃんはカダールお兄ちゃんのことが好きなの」
「はう、」
「ゼラおねえちゃんをとられたくないって、嫉妬しちゃったのね。でも、それでカダールお兄ちゃんに嫌がらせしたら、ゼラおねえちゃんは怒るのよ」
「うー、」
「ハウルルがゼラおねえちゃんを大好きでも、ゼラおねえちゃんの気持ちを考えずにカダールお兄ちゃんに意地悪したら、ハウルルがゼラおねえちゃんに嫌われるのよ」
「うー、ぜー、」
「あとでちゃんとカダールお兄ちゃんに謝るのよ。そうしたらゼラおねえちゃんも許してくれるわ」
「はう、」
「ハウルル、大好きなゼラおねえちゃんに幸せになって欲しかったら、ゼラおねえちゃんの気持ちを先ずは考えてね」

 ハウルルが母上の言うことを何処まで理解しているのか解らないが、神妙にして母上のお説教を聞いている。
 涙を流す金の瞳がゼラの振り向かない後頭部を見つめている。
 なんだろう? この幼い子供を泣かせてしまった罪悪感は? 刺されたのは俺なのに、なんだかいたたまれない。
 ゼラにお姫様抱っこされた俺を、呆れて見るエクアドが呟く。

「カダール、こんなところでおかしな三角関係で揉めないでくれ。ますます気が抜ける」
「エ、エクアド、きょれは俺のせいなのきゃ? ゼ、ゼラ、もう自分で歩きぇるから下ろしてきゅれ」
「ヤー、」

 ぬぐ、まだ舌が少し痺れている。隊員たちは何やら、ほっこりにまにまと俺達を見ている。
 母上がハウルルの頭をそっと撫でて、

「ほら、見なさいハウルル。嫉妬心から小さな意地悪をしたせいで、ゼラおねえちゃんとカダールお兄ちゃんがイチャイチャしてるわ」
「はうぅ、ぜー、らー」
「つーん!」
「なんだか少し懐かしいわね。カダールも小さい頃はハラードに嫉妬してたのよ」

 話を聞いていた医療メイドのアステが母上に、

「そんなこともありましたね。ルミリア様大好きのぼっちゃんが、ルミリア様とハラード様が仲良くしてると不満そうな膨れっ面をして」
「男の子って父親が最初のライバルになるのかしらね?」
「その後、ぼっちゃんはハラード様のような立派な男になる、と言うようになりましたが、あれも対抗心からでしょうか?」
「小さいカダールは、大きくなったら母上と結婚するー、って言ってたのよ」
「あの可愛らしいぼっちゃんが、今ではこんなに立派になって」

 俺も憶えていないような幼い頃の話を、楽しげに話すのはやめてくれないだろうか。ゼラも隊員達も興味深々で聞いている。
 魔獣深森の中を進みながら、何故か俺の子供時代の話で盛り上がっている。俺が父上に嫉妬? うむぅ、微かに覚えがあるような、無いような。
 ハウルルが俺に嫉妬? ハウルルはそんな風に俺を見てたのか? 俺はハウルルの父親か?
 アシェンドネイルが俺達をジロジロと見る。

「なんだかもう、家族の遠足にしか見えなくなってきたわ」

 エクアドが皆を見回して、

「ここから魔獣深森の深部に入るんだ。全員、気を引き締め直してくれ」

 へーい、と軽く応える隊員達。母上とアステは俺の幼児の頃の話をやめる気は無さそうだ。
 いまいち緊張感が足りないが、アルケニー監視部隊はやるときはやるので、たぶん大丈夫だろう。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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