第八話

文字数 5,973文字


「スコルピオ?!」

 我が家の護衛メイド、サレンの説明に思わず大きな声が出てしまう。
 アルケニー監視部隊がローグシーの街に帰還して早々に、出迎えたサレンの話に驚いた。
 ルブセィラ女史が眼鏡の位置を指で直す。

「スコルピオ、またはアンドロスコルピオと呼ばれる、上半身は人間、下半身は大サソリの魔獣ですか。南方での伝承に現れますね。目撃例はほとんど無いですが、お話で伝わっているところはラミア、アルケニーと似かよっています。そのスコルピオを捕獲したと?」
「捕獲した、というよりは保護した、というところですね」

 サレンはあっさりと言う。伝承でしか聞いたことの無い魔獣を保護したというのに、何の動揺も無く自然体。いや、少し不満そうか? しかもそれは、半人半獣。と、なると。

「そのスコルピオは、もしや進化する魔獣か? それとも深都の住人なのか?」
「それは解りません」

 サレンから話を聞くが、聞けば聞くほど余計に訳が解らなくなる。

「父上と母上が魔獣深森に訓練ピクニックに行ってそのスコルピオを見つけたのだな?」
「カダール、その訓練ピクニックとはなんだ? 訓練キャンプじゃ無いのか?」
「エクアド、似たようなものだろう? キャンプよりはピクニックの方が気軽な感じだ」
「魔獣深森の奥に気軽に行く、というのがおかしい気がする」

 サレンの話をまとめると、上半身が男の子のスコルピオを発見。スコルピオが瀕死の状態なので、保護して治療。その後、ウェアウルフの集団が現れて返り討ちにしたという。

「ウェアウルフは動きが素早く手こずりましたが、奥様がボンとして残りは旦那様が片付けられました。あの場面では、私と執事グラフトの見せ場だと思うのですが」
「サレンが手こずる相手となれば、誰かケガでもしたか?」
「いいえ。こちらは損害は無く、奥様の火系魔術もアステの水系魔術で消火したので、森で火事の心配もありません」
「そうか。父上と母上は?」
「旦那様はウィラーイン領兵団とフクロウを連れて、スコルピオを発見した周囲の探索に出ています。奥様はスコルピオの看護をなさってます」
「では母上に会い、そのスコルピオを見せてもらおう」
「倉庫でお待ち下さい。今、お呼びしますので。こちらも皆さんのお帰りを待ってましたから」

 二ヶ月半に及ぶアルケニー監視部隊の遠征も終わり、隊員には交代で休暇を取らせようと考えていたが、ローグシーの街に戻ってみれば奇妙なことが起きている。

「ゼラはスコルピオを知っているか?」
「スコルピオ……、聞いたことあるような気がする。えと、大サソリ、だよね?」

 ゼラが首を傾げて考えている。それを見てルブセィラ女史が、

「サソリは蜘蛛の仲間で同じ八本脚です。毒を持つのが特徴ですが、猛毒を持つのは少ないですね。そのサソリを下半身に持つ半人半獣がスコルピオ。私も絵図でしか見たことはありませんが、蜘蛛とサソリと、まるでゼラさんとは親戚のようですね。新たな未知の魔獣に興味が湧きますが、それよりも発見した状況の不可解さが気になります」
「スコルピオを追って出てきたというウェアウルフも妙だ。母上に説明してもらおう」

 倉庫で待っている間にゼラを着替えさせる。赤いブレストプレートから白のキャミソールへと。サレンから聞いた話では、スコルピオに危険は無いという。
 エクアドが倉庫の中で椅子を並べる。

「またも半人半獣、伝説の魔獣にこうも次々と出会えることになるとはな」
「深都からの来訪者だろうか」
「そのスコルピオから話を聞けると良いのだが」
「クインのように話ができる者だと良いが、アシェンドネイルもまた深都の住人だ。そのスコルピオは人に対してどのように考えているか」
「遠征が終わり、少しは休めるかと思っていたのにな」

 エクアドが呟くように騒動の予感がする。倉庫に母上が来た。医療メイドのアステ、護衛メイドのサレンを連れて。

「お帰りなさいカダール。ゼラもご苦労様」
「母上……」

 ニコニコと笑顔の母上を見て絶句する。母上が胸に抱くのは赤い髪の男の子だ。母上は男の子を抱っこしたまま椅子に座る。その男の子は怯えるように母上の胸にしがみついている。

「母上、その子がスコルピオ、ですか?」
「えぇ、そうよ。可愛いでしょう?」

 母上は上機嫌だ。男の子は顔の左半分を包帯で巻いているのが痛々しい。右の金の瞳が俺達を見て、なんだか怖がっている様子。ブカブカのシャツを着ていて、腰から下は白い布で包まれて下半身が見えない。左手は肘から先が無く、右手は母上の胸をしっかと掴んでいる。
 母上は男の子に、大丈夫、怖くないわよ、と、背中をポンポンと叩き、医療メイドのアステが男の子の赤い髪を撫でる。
 それを見て、サレンが憮然(ぶぜん)として、

「ハウルルは手当てをしたアステと、面倒をみた奥様にべったりなのです。奥様とアステ以外にはなついてくれません。私も抱っこしたいのに」
「なんでこうなっている? 母上、詳しく教えて下さい」
「何処から話せばいいかしら?」

 母上が言うにはスコルピオを保護してウェアウルフを返り討ちにした後、出血で朦朧とするスコルピオの治療の為に撤退。屋敷にスコルピオを連れて来たのが、半月前のこと。

「アステに治療してもらって、私とアステとサレンで看病したのよ。そうしたらなついてしまって。ハウルルは甘えんぼなの」
「いつも奥様か私のおっぱいにしがみついて、まるでぼっちゃまの小さい頃みたいです」
「肌は真っ白だけれど、髪の色は似てるし。胸に顔を埋めて目を細めるとこはそっくり」

 母上とアステが嬉しそうに語るが、俺はそんな小さい頃のこと憶えて無いぞ。おっぱいにしがみつく、なんて小さい子供だったら普通じゃないのか。
 ルブセィラ女史が母上とアステを見て、主に胸の辺りを見て、なるほど、と頷く。

「カダール様は幼少の頃より豊乳好きだった、ということですね」

 おいこら、ルブセィラ女史。何がなるほどだ。

「カダールも小さい頃は甘えんぼだったのに、ある日突然『いつまでも母上に甘えていては、立派な男にはなれません』と、言って甘えなくなったのよ。あのときは私の方が寂しくなったわ」
「そうですよね、奥様。私もまだまだ甘えてくれていいのに、と残念でした。あ、もしかして、あの頃、変に我慢した反動で今、」
「そうかもしれないわね。子供の時にハウルルみたいに素直に甘えさせてあげたら良かったのかしら?」

 アステ、今の俺がなんだって? とにかくそんなことより、

「母上、アステ、俺の昔の話はどうでもいいでしょう。ハウルルというのがその子の名前ですか?」
「それが解らないのよ」

 母上はよしよしと男の子の赤い髪を撫でる。俺と母上よりは髪の色が薄いか。その子は俺達を怖がるように顔を背けて、母上の胸に顔を埋めている。

「この子、喋れなくて名前も解らないの。はー、とか、うー、って唸るだけで。それでハウルルと呼ぶことにしたわ。言葉が解らないみたいで私達の話も理解できてないみたいなの」
「喋れないのですか。それではその子から話を聞くことはできませんか」
「ハウルルの身体を治してもらおうと、ゼラが戻ってくるのを待ってたのよ」

 母上が椅子から立ち上がりハウルルを運んで倉庫の中、俺とゼラの寝床にハウルルを寝かせる。医療メイドのアステが、

「私も“再生(リヴァイブ)”は使えますが、ゼラちゃんには敵いません。それに上級回復薬(ハイポーション)がかなりの量、必要になりますので」
「怪我をしたのは左手と顔の左半分か?」
「それは見てもらえれば解ります」

 母上とアステが寝かせた男の子、ハウルルのシャツを脱がせて下半身に巻いた布をほどく。現れたのはほっそりとした幼い男の子の裸身。それを見て俺達は言葉を無くす。
 顔に巻いた包帯はそのまま、左手が肘から先は無い。
 ハウルルの身体には青黒い刺青がいくつも描かれている。古代文字に魔術刻印。胸から腹にかけていくつも肌に描かれ、ところどころに切られて縫われた痕がある。
 仰向けになったハウルルの下半身は、ひっくり返って腹を上に向けた赤いサソリ。だが、サソリらしい鋏は右だけで、左は根元から無くなっている。脚も八本中、三本が途中から折れて無い。長い尻尾の先も千切られたようになっていて、針が無い。

「私達が見つけたときは血塗れでもっと痩せてあばらが浮いていたわ。アステが治癒をかけて、私とサレンでご飯を食べさせて、少し肉がついてきたところかしら」
「ウェアウルフに襲われて死にかけていたと」
「もしくは、酷い目に合わされて逃げて来たのかしらね。まるで実験でもされてたみたいじゃない」

 確かに、この姿は珍しい魔獣を捕まえたイカれた研究者が、おかしな実験でもしていたような有り様だ。幼い男の子になんということをするのか。
 ルブセィラ女史が眼鏡を指で押さえる。

「研究者としては三流ですね。貴重なサンプルを傷だらけにするとは」
「カダールも皆も怖い顔をしないで。ハウルルが怖がってるわ。それで、ゼラ」

 呼ばれたゼラが仰向けに寝るハウルルに近づく。母上はハウルルの右手を握って。

「ハウルルを治して欲しいのだけど、いい?」
「ハハウエ、任せて!」

 ゼラの治癒の魔法は失った部位を再生させることができる。しかし失った部分が大きいと再生させる際に火傷するような痛みを感じる。
 ハウルルの口を開けさせて手拭いを噛ませる。これで歯を食いしばり過ぎて、歯が折れたり欠けたりしないようにする。
 俺とエクアド、サレンでハウルルの身体を押さえて暴れ無いように。下半身のサソリ体をどう押さえてよいのか迷うが、ここはサレンの捕縄術で。
 このときハウルルの身体を良く見ることになったのだが。

「本当に男の子、なんだな」
「ええ、ちっちゃ可愛いのがついてます」

 サレンがサソリの脚に細い縄をかけながら答える。その頬がちょっと赤いのは照れているのだろうか。
 ハウルルの身体、人間体部分とサソリ体の繋ぎ目とでもいうところ。そこに小さいながらも男と証明するものがついている。

「これまで出会った半人半獣は女ばかりだったが、男もいたのか」
「スコルピオにまつわる伝承もまた、ラミア、アルケニーのように女性体なのですが。進化する魔獣だとすると子供、というのが変ですね」

 ルブセィラ女史が手を伸ばしてハウルルのおちんちんを触ろうとする。その手を俺が払いのける。

「ルブセィラ、またゼラみたいにこの子が泣いたらどうする」
「すみません、カダール様。そうですね、デリケートな部分はそっと扱わないと」
「この子の詮索は一旦、後回しにして治療をしようか。ゼラ、頼む」
「ウン、左手からいくよ」

 ハウルルの身体を手で押さえて、不安そうなハウルルの手を母上が握る。

「なー! だー!」

 ゼラが両手を白く光らせてハウルルの左の肘を包むように。再生する痛みからハウルルは首を振ってもがきだす。

「は、うぅー!」
「ハウルル、我慢して。すぐに終わるからね」

 呻き声を上げるハウルルを母上が宥める。俺とエクアドで暴れるハウルルを押さえるが、子供のような力しか感じない。エクアドもサソリの鋏を簡単に押さえ込んでいる。どうやらゼラのような怪力は無いらしい。身体強化の魔法が使えないのだろうか。
 顔に胸に汗を浮かべて、真っ白な肌に血の気が昇りうっすらと赤くなる。右の金の瞳が涙ぐんで、イヤイヤと首を振る。口にくわえた手拭いの隙間から、うー、うー、と声を出して。

「ウン、終わった」

 ゼラの両手の光が消える。ハウルルの左手が肘から先が再生した。

「ちゃんと動く?」

 ゼラがハウルルに顔を近づける。ハウルルは再生したばかりの左手を、顔の前で握ったり開いたり。驚いているようで金の瞳がパッチリと開いている。ハウルルはその左手をゼラに伸ばして、

「?アン、」

 ゼラのおっぱいをムニュンと掴む。おい、ハウルル。何をしている。

「左手は再生したから次は左目かしら?」
「ですがルミリア様、痛みを堪えるのに体力を消耗しているようです。これは様子を見ながら、一日一ヶ所ずつにした方が良いのではないですか?」
「そうね、汗まみれになっているし」

 母上とルブセィラ女史が治療計画を立てている。確かにハウルルは息を少し荒げて疲れているようだ。……おい、いつまでゼラのおっぱいを揉んでいる?

「カダール、この屋敷の防衛態勢を見直さなければ。このスコルピオのハウルルが何者かは解らんが、首輪をしたウェアウルフが追っていたというなら何者かが狙っていることになる」
「あ、あぁ、この屋敷だけで無くローグシーの街も注意しなければ。ハンターギルドとも話をするか。サレン、その辺りはどうなっている?」
「え? えぇ、屋敷は領兵にフクロウで守りを固め、ハンターギルドにはローグシーの街壁での警備強化を依頼してます」

 珍しくサレンが気を抜いていたが、この一件で疲れているのだろうか。しかし、ハウルル、お前いつまでゼラのおっぱいをムニュンムニュンしてやがる。そろそろ離せ。
 ゼラが手を伸ばしたハウルルをそっと抱き上げる。

「ン、かわいい」

 ニコリと微笑むゼラ。母上がゼラに、

「そうでしょう? カダールが子供の頃を思い出すわ」
「ちっちゃいカダール、こんな感じ?」

 俺の髪は同じ赤だが、そんなに薄い色じゃない。肌もそこまで白く無い。目も金色に光ったりしないぞ。ハウルルは右手と再生したばかりの左手で、ゼラの褐色の双丘を両方ともムニュムニュとする。ハウルル、お前は再生した手の具合を何を揉んで確かめてるんだ。いい加減に手を離せ。

「アン、くすぐったい。むふん。ハウルルもおっぱい好き?」

 ゼラはニコニコして楽しそうだ。むぐう。今度はハウルルはゼラの胸に顔を埋めている。いや、これは子供のすることだ。何があったか解らんがハウルルもきっと心細いのだろう。だがなんだ? このイライラする感じは?

「カダール、そんなに睨むな。余計に怯えるぞ」
「む、そんなに険しい顔をしていたか?」
「隣を見てみろ」

 俺の隣ではぶすっと不満そうな顔をした護衛メイドのサレンが、ハウルルとゼラをじったりと見ている。

「……私も抱っこしたいです」

 そうか、こんな顔になっていたのか。確かにちょっと怖い。恐ろしくは無いが、なんか怖い。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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