第三十八話
文字数 5,831文字
「総聖堂の兵五千、内一千は総聖堂聖剣士団。四千は中央の兵士のようです。率いるのは聖剣士団団長クシュトフ。そして数名の神官。ハイラスマート領南方よりウィラーイン領目指して北上中。かなりの強行移動で明日にもウィラーイン領に入るでしょう」
「ふむ、真っ直ぐに中央からウィラーイン領に向かえば、スピルードル王国王都で足止めされるからと、わざわざ南方ジャスパル王国を回って来たということか。中央に戻ったというのは、擬装か」
「はい、私の父上が言うには、聖剣士団はスピルードル王国を出たところで兵と合流、その後、南のジャスパル王国に入ったのでは無いかと」
ティラステアは申し訳無さそうに頭を下げる。
「光の神教会の旗を掲げられては手を出すこともできず、ハイラスマート領を素通りさせることになりました」
「仕方無かろう。教会と戦う訳にもいかぬし、スピルードル王家に伺うまで待て、と言っても聞かぬだろうしの。それを狙ってスピルードル王家に通さずに南から進軍しとるのであろう」
「こちらから聖剣士団に目的を聞いても、教会の秘匿の一点張り。邪魔をすれば光の神教会の敵、邪教徒と同じとみなす、と言われハイラスマートは何もできず……」
総聖堂の聖剣士が兵を率いてウィラーイン領に来る。そんな強引なことをする目的は、ゼラ以外には考えつかない。
スピルードル王国西方のここからでは、王都は遠い。光の神教会の旗を立て、従わなければ教会の敵、人の敵、となれば迂闊に手を出せなくなる。
「しかし、五千とは中途半端な数だの。それではこのウィラーイン領は落とせぬ」
「父上、戦うおつもりですか?」
「一伯爵家の思惑で、スピルードル王国と教会が争う事態にする訳にもいかぬか」
「ならば、俺をウィラーイン家から捨てて下さい」
執務室の全員が俺を見る。こうなったときのことは考えてある。
ウィラーイン領兵団と街の住人ならば、五千の兵相手にローグシーの街が落とされることは無い。返り討ちにできる数だ。
だがこれは戦うこと自体が問題だ。ウィラーイン伯爵家が教会の敵になる。中央で未曾有の魔獣災害がある中で、スピルードル王国と教会が、人同士が争う事態は避けたい。そこに兵を使えば、中央で魔獣から避難する者も救えまい。
俺がウィラーイン家と無縁となり、ゼラを連れて身を隠す。総聖堂の目的のゼラを人目のつかないところへと移動する。言い訳として苦しいが、俺がウィラーイン家と無関係ということにしてしまえば、筋は通せる。
「エクアド、ウィラーイン家を頼む」
「あぁ、任せろ、カダール」
「すぐに馬車の用意を、ゼラを馬車に」
「それは許さんぞ、カダール」
「父上?」
金の髭を片手で弄びながら、父上が俺を止める。
「ゼラを連れて逃げるのは許さん」
「それでは、父上はどうするつもりですか? ゼラを総聖堂に引き渡すのですか?」
「総聖堂聖剣士団に剣を向けろ、と領兵団に命ずるのも酷か。一応は光の神信徒であるし。教会の旗を掲げられては、ウィラーイン領の境を越えて、聖剣士団はこのローグシーまで来るのは止められん」
「では、教会に従うと?」
「誰がだ? カダール。故に教会に剣を向けるとなれば、このワシ、領主自らが先頭に立たねばならん。ウィラーイン領兵団でローグシー街防衛戦といこう」
「父上、スピルードル王国の伯爵家が教会と戦えば、王国と教会の戦争になります」
「そうならん手がひとつある」
人指し指を一本立て、ニヤリと笑みを溢す父上。
「ウィラーイン家が独立し、スピルードル王国と縁を切り、ここに、ウィラーイン王国を興す」
父上ェ? 何を言っているか解ってますか? 母上が扇子を開いてクルリと回す。上機嫌に言う。
「あら、素敵ね。あなたが国王で私が王妃になるのね」
「父上、母上、本気ですか?」
「ふむ、たった五千の兵でワシの娘を寄越せと脅すというのがどれ程の侮辱か、ウィラーイン家というものを教えてやらねばならぬ」
父上、その五千の兵はゼラを捕獲して連れ帰る為の兵数だと思います。教会は敵対されないと傲っているから無茶な行軍をしているかと。
ゼラの体調が万全ならば五千でも一万でも関係無いところで、総聖堂も何を考えているのか。
母上が笑みのまま、
「ゼラが連れてかれたら、ローグシーの人達は蜘蛛の姫がいなくなったと寂しがるでしょうね。ウィラーイン家の一人として、民を悲しませるようなことはできないわ」
母上、微笑みながら言ってますが、そのためにウィラーイン領の民が教会の敵になるのですが? いいんですか? 父上もまた笑みのまま言う。
「だいたいだなカダール。息子の嫁を守れず差し出すような者に、このウィラーイン領の民がついて来る訳が無かろう。家族すら守れぬ惰弱な者が、盾の中の盾の長を名乗れるものか」
「父上、それはそうかもしれませんが、」
「守備隊と領兵団に伝令。聖剣士団の一行はこのローグシーの近くまで通す。この街でワシが迎え撃つ」
父上の笑みにいつもとは違う気迫が滲む。母上の目にも怪しい光がある。敵を前には魔獣よりも獰猛に、魔獣よりも猛々しく、怯むのは気迫が足りない方。そうで無ければ魔獣には勝てない。二人とも国興しとかあっさりと言い出して。
教会を、人を相手に戦う以外の方法は何か無いのか? その為にゼラを逃がそうにも、父上と母上がやる気になってしまった。
テーブルに広げた地図の向こう、エクアドの兄ロンビアが二人の気迫に当てられたのか、血の気の引いた顔で一歩引く。
「これは、俺、もしかして、かなりヤバイところに来てしまったかな?」
そのとき、執務室の隅に妙な気配を感じる。俺が腰を沈め、父上がそちらに首を向け、片手に投鎖を構えたクチバが声をかける。
「そこにいる者、出て来なさい」
「鋭いね、流石ウィラーイン家」
執務室の隅からゆらりと、影から現れるように立つのは、肌も露な東方風の着物の背の高い女。クチバが鎖を握る手を下ろす。
「ササメ、緊迫しているところで驚かさないで下さい」
「鈍ってないねクチバ、それどころか前より鋭くなったんじゃ?」
「ウィラーイン家にいると鍛えられますから。皆さん、この女はササメ、エルアーリュ王子の隠密隊、ハガクの配下です」
「今はアプラース王子の隠密、ササメよ。急いだけれど、出遅れちゃった?」
隠密ハガクの配下か、驚かせてくれる。緊張を解いてササメに向き直る。
「ササメと言ったか、このウィラーイン領に総聖堂聖剣士団が向かっている。それを伝えに来たのか?」
「それと、そのことについて、アプラース王子がウィラーイン家の皆様に、伝達が遅れてすまないって。だけど、王都の方には総聖堂から神官が来てて、アプラース王子と、このササメはその対応をしててね。そいつらが囮だったのか、聖剣士団の動きを掴むのが遅れてしまったのよ」
「エルアーリュ王子は?」
「今頃は中央の総聖堂に出向いている頃ね」
「何故? こんなときに?」
「こうなるとは解らなくて。総聖堂はゼラちゃん寄越せってうるさいからね。エルアーリュ王子はスピルードル王国の大神官を連れて総聖堂に。蜘蛛の姫を御せるのはこのエルアーリュだけだ、と、頭の硬い神官共に啖呵を切りに。ハガクの姉貴の隠密隊もエルアーリュ王子の護衛にとついて行って、その隙を突かれたってところ」
隠密ササメは悔しそうに言う。
教会は聖剣士団を動かす為に邪魔になりそうなエルアーリュ王子を、中央に呼び出していたのか?
ササメは胸元から紙を一枚取り出す。二つに折られたその紙を俺に差し出す。
「このササメがウィラーイン家に来たのは、アプラース王子の手紙をカダール様に渡す為。この手紙はカダール様だけに目を通して欲しいって」
「アプラース王子が? 俺だけに?」
「他の人には見せるなってね」
ササメの差し出す手紙を受け取る。今の状況をどうにかする密命か? 現状をひっくり返すような、何か秘策でもあるのか? 壁を背にし、俺にしか見えないようにして、アプラース王子の手紙に目を通す。
『黒蜘蛛の騎士カダール
先ずは総聖堂と聖剣士団の動向を掴むことが遅れたことを詫びよう。
総聖堂は形振り構わずゼラを手に入れようとしているように見える。
しかし、これは総聖堂全体の総意では無い。遷都反対派が仕組んだものだ。そこに聖剣士団団長クシュトフは嵌められているらしい。上手く行けばゼラを手に入れ、失敗すれば聖剣士クシュトフを失墜させる腹のようだ。
中央で魔獣災害が起きているというのに、総聖堂内での権威争いとは愚かなことだ。
聖剣士団団長クシュトフは、頑固で融通が効かない人物だが、教会への忠信高く、信仰に生きる者。どうやら教会の中で逆らえない立場を利用されているようだ。
黒蜘蛛の騎士カダールよ、カダールの行動如何によっては、スピルードル王国と中央の光の神教会総聖堂との争いともなるだろう。
だが、気にするな。カダールよ、汝が正しいと思うことを為せ。戦うも逃げるも、未だ思い付かぬ策を凝らすも、カダールの思うままにせよ。
黒蜘蛛の騎士に蜘蛛の姫が、国の枠になど囚われるな。国など人の集まり。国の行く末に頭を悩ませるのは、その国の長に任せよ。冷たく聞こえるかも知れんが、中央の魔獣災害は中央の国の長が、その国に住む者が考えることだ。
蜘蛛の姫の主となる者は、国の枠を越え人の憧れと在って欲しい。これは私のわがままだ。
故にカダールよ、好きにせよ。
カダールの行いで何が起ころうとも、このアプラースと兄上がどうにでもしてくれよう。
カダールよ、己が信ずることを成せ。
追記
ゼラから貰った守り袋は事情により手放してしまったので、可能であればゼラに頼んでもうひとつ作ってもらえないだろうか?
また、国の王子が教会と戦うことを唆す内容の入ったこの書面を残すのは不味い。
この手紙は読み終えたなら、ササメに処分させよ。
黒蜘蛛の騎士よ、その身その姿で、私にまた英雄を見せて欲しい』
……これは、アプラース王子に信頼されたのは光栄だが、俺の好きにしろ、と? そして英雄として何かするのを期待されている?
これまで王国の騎士として生きてきた俺に、仕える国のことを気にするな、と言われても。
英雄だと? 俺の武名など俺の力では無く、ゼラの力で作りあげられたものだ。そのゼラが病気で今は動けない。
「読み終えた?」
「あぁ、」
目前に立つササメに聞かれ、アプラース王子の手紙を渡す。受け取ったササメが呪文を唱え、手の中の手紙が燃えて灰になる。
エクアドが近づき俺に聞く。
「アプラース王子はなんと?」
「いや、これといった指示は無い」
母上がテーブルの上に広げた地図を畳み片づける。
「ローグシーの教会と話をしておかないといけないわね。そして戦に備えないと」
「母上、何か他に手は無いのですか?」
「総聖堂聖剣士団がゼラを諦めるといいのだけど、教会が負ける以外で諦める方法は、叶わないと見て逃げる、とかかしら? それでも敵対に変わりはないし」
母上は扇子を回してクスリと笑む。
「それなら敵に回るのもありでしょう。私はこのローグシーで楽しく暮らしたいのよ。ゼラを差し出したりしたら、そのあとは楽しくなんて暮らせないわ」
「うむ、それに病で寝込むゼラを動かすのもよくない。ワシらで守らねばの」
「それに、総聖堂がゼラを手に入れても、魔獣がこの世にいることは変わらないのだから」
俺の思い付くことは母上も考えているだろう。総聖堂がゼラを手に入れても、人と魔獣の関係は変わらない。だからこそ人同士が争う事態は避けておきたい。中央が失った土地の代わりを奪う口実作りにもされたくは無い。
俺にできそうな事など、ゼラを連れて逃げるくらいしか思いつかん。ゼラの体調が戻ったとしても、ゼラの力で新たな魔獣の森を焼き払ったところで、魔獣の被害は無くならないだろう。逆に、次は何処に魔獣が出現するか解らない。
しかもこれを説明しても、闇の母神と深都の住人のことを知らぬ者は理解できないだろう。
説得は無理、交渉するにも何がある? 総聖堂聖剣士団を止めるようなものは?
戦えばウィラーイン領の民は教会の敵。人の敵とされる。父上と母上はそれも構わないと言うが、それでウィラーイン家が国を名乗れば、スピルードル王国はどうなる? 中央から避難民が来ることも考えられる。その中で王国の中で一伯爵家が独立となれば王国に混乱も起きそうだ。
ウィラーイン領だけを守るなら父上の手段も有りだが。
何か無いか? ゼラを渡さずとも済み、教会と敵対しなくともいい手段は? 人と人が争うことを避けるには? 中央で魔獣災害が起きる中、そんなことをしてる場合では無いのに。
俺は、この程度なのか? ゼラを守ると言ったのに、結局はゼラに頼りきりで、具合の悪くなったゼラを治すこともできずに。何も思い浮かばず、どうすればいいかも解らん。いったい、どうすれば。どうすれば、ゼラが、誰もが、笑って暮らせるようになる?
「……なんか、緊迫してるとこに来ちまったか?」
「カダール様、客人が来ておられます」
考え事に沈んでいて気がつかなかった。執事グラフトの声に顔を上げて見てみれば、
「どうも、間の悪いときに来ちまったみたいだな」
「ウィラーイン家と面識があるのが私だけだからって、何で私なのよ」
「いつまでも文句言ってるなよ。こうしてもう来てしまったんだし」
「クインが掴んで飛んで来たんじゃない」
「じゃ、アシェはお姉さまに逆らえるのか?」
「愚痴くらい言わせてくれてもいいじゃない」
そこにいるのは茶色の髪のハンター風の女と、白い長髪の青いドレスの女。
人の姿に化けたクインとアシェンドネイルが執務室にいた。クインは俺達を見まわして、
「何かあったのか?」
呑気に言う。俺は、
「クイン、アシェンドネイル、よく来てくれた!」
思わず飛び付く勢いでクインとアシェンドネイルの手を取り、握りしめて叫んでしまった。