第二十九話◇夜戦、シウタグラ商会長パリアクス主役回
文字数 6,088文字
夜の街に狼の遠吠えが響く。窓から見えるものは、この世のものとは思えない。
「なんてことだ……」
窓の外を見る男が呟く。父の代からシウタグラ商会を支えた、私の片腕とも言える男でも、この光景に声が震えている。
ここはシウタグラ商会の建物、もとはこのローグシーの街にあったバストルン商会の建物を改装したもの。柱も壁もローグシーの街らしく頑丈にできている。この建物の中であれば安全、と、頭で解っていても恐怖で膝が震える。
同じシウタグラ商会の商人は私と同じ中央で産まれ育った者が多い。だから、街の中に魔獣が侵入して暴れるなど、初めての体験だ。これまで私は、いかに守られた環境でぬくぬくと生きていたのかと、この夜の恐怖が教えてくれた。
ここにいるシウタグラ商会の者達も、今は二階の窓から見える夜の街の様子に怯えている。
どんな商談も怯んだことは無い。密輸程度のことならたいしたことは無い。危ない橋を渡り、野盗に襲われたことだってある。だが、魔獣には言葉も通じなければ金の力も意味が無い。魔獣に対して商人は無力だ。恐ろしくてたまらない。
狼の頭、狼の毛皮を被ったような黒い人影が、街の中を走り、屋根の上を跳ぶ。ここはローグシーの街、魔獣深森に近いウィラーイン領。この魔獣の恐怖が、この地のもうひとつの顔か。
だが、何よりも不可解なことが、今、二階の窓から見える。
蜘蛛の姫が屋根の上を跳び跳ねて、街を明るく魔法の明かりで照らすと、街の住人は武器を手に、建物の中から夜の街へと出てきた。信じられない。
今も下の通りで魔獣と戦っているのは、あれは槍を持つのは花屋の娘で、剣を握るのは、向かいの酒場の看板娘だ。
「うちの店に火をつけようなんて」
「躾のなってねえ犬っころが!」
「ちょっとお父さん! 腰を痛めてるんだから無茶しないで!」
「うるせえ! 娘に負けてられるか!」
両手持ちの剣を振るうのは酒場の親父で、酒場の二階の窓から弓で援護するのは、酒場のおかみさんだ。私と同じように窓から見ている商会の者が呟く。
「なんだこの街……」
私も口に出しかけた言葉。コボルトもゴブリンも鎌と鍬で追い返すウィラーイン領、と噂で聞いたことがある。
かつて蛮人の地と呼ばれたスピルードル王国。その土地柄を揶揄し、尾ひれのついた噂だと思っていた。
だが、信じられないことに、この噂は事実だったようだ。それも過去の。
今では街の住人も立派な剣に槍で武装して、ウェアウルフを狩っている。嬉々として、雄叫び上げて。
「これが、ウィラーイン領の民の姿なのか……」
中央では住人が武装することは無い。為政者にとって、住人が武装し力を持つことは、集って反乱に繋がると嫌う。為政者が民を従える為には、武力を持つのは貴族だけで無ければならない。
盾の国ではそんなことは言っていられない。魔獣深森に近く、魔獣の脅威が身近にあるところでは、農民も武装しなければ家と畑を守れないという。
全ての村と町に兵を常駐させれば、軍事費用が嵩み、賄うには税が増える。重税を科せば民の不満も募る。
ウィラーイン領では住人の反乱という不安を度外視し、領民に一年訓練を義務づけた。
結果、武術を学び鍛えられて武装した、半狩半農という逞しくも恐るべき領民が増えた。それが目の前のこの光景。
「花屋の娘が、槍でウェアウルフと戦うとは……」
「まー、明かりがあればこのくらいは」
平然と後ろから軽く話すのは髭の男。私の護衛にローグシーの街のハンターギルドで雇った者のひとりだ。
街壁の外に領主館を建設するという、恐ろしい計画をルミリア様より聞いた。魔獣深森の近くの街で、街壁の外に出て作業するなど、正気とは思えない。それなのにウィラーイン伯爵はことも無げに決めた。
湧き上がる恐怖を顔に出さぬようルミリア様と話はしたが、私は急いで自分と商会を守る護衛を増やすことをハンターギルドに依頼した。
今も護衛のハンターは、私達を守る為にこの部屋と商会の建物の中にいる。その護衛のハンターのリーダー格の男は髭を撫でながら、余裕を見せて、
「蜘蛛姫様のおかげで、夜なのに随分と明るいなぁ」
「ゼラ姫が魔獣を退けてくれるだろうか?」
「けっこうな数が街に入ってきてるみたいだ。やってみねぇと相手の強さが解らんが、うちの無双伯爵がなんとかするだろうよ」
ウィラーイン伯爵の魔獣討伐の話は有名だが、私は街の中で魔獣に襲われるなど初めてなので不安だ。ハラード様の強さを疑う訳では無いのだが。
「商会の護衛は俺達に任せろ。商会長にはキズひとつつけさせねぇよ」
「頼もしい。よろしく頼む」
膝の震えは止まらないが、それでも熟練のハンターの言葉で少し落ち着いた。冷静さを取り戻して、ようやく頭が回り出す。
これがローグシーの街、これが魔獣深森から中央を守りし盾の国。この地にシウタグラ商会の拠点を構える為に、ウィラーイン領のことは調べた。バストルン商会のもと商会長、バストレードさんからも、いろいろと話は聞いている。
その話を疑っていた訳では無いが、実際を目にしてようやく合点がいく。
ウィラーインの民はお人好しが多い。他の地域からはわりと言われることだ。その理由がこれか。
この街の住人にとって、同じ街の隣人は背中を任せる仲間であり、肩を並べて戦う戦友なのだ。魔獣が攻めてきたならば、共に戦う同士となる。それを邪険にすれば、これは己の命の危機に繋がる。
故にただのお人好しでは無い。同じ戦場に立つ同胞となれば、常日頃の信頼が重要となり、共に戦う仲間を信じなくてどうするというのか。
そしてウィラーインの民は金使いが荒い。財産を溜め込んでも、魔獣に殺されてしまえば、それで終わりだ。金を稼いでも使う前に死んでしまえば、意味が無い。だから、生きている内に金を使う。
それでも無駄使い、というものでは無い。
ちょっとした収入で隣人や友人に服やお菓子を贈り、酒を奢り飯をふるまい、一緒に旨い物を食べる。そんな気前が良い者が多い。
それもそうだろう。この街でケチくさい奴に嫌われ者は、いざという時に誰も守ってくれなくなる。気前の良く、気分を良くしてくれる者には、隣人の助けが期待できる。
それがお人好しと呼ばれるのは、この土地ならではの処世術でもあるのか。
領民でも武装が許されるこの街では、誰もが武器を買う。盾に弓矢も、誰もが普通に手にして、新しく買った武器を自慢する。一年訓練で武器の扱いに習熟し、その後も自主訓練で身を鍛えた領民は、自分に相応しい武器に金を使う。
中にはダイエット目的で訓練場で再訓練を望む者もいて、技量も上がる。
新しい武器を買えば、古いものは子供に譲ったり孤児院に寄付したりする。
それが街の住人の武装の質を上げて、街全体の戦闘力が強化される。これは中央ではあり得ない。住民の誰もが武装して強さを誇るなど、反乱を恐れる貴族が許さない。
住民の信頼を得て治めることのできるウィラーイン伯爵家が特殊なのだろう。今ではウィラーイン伯爵領を真似して、スピルードル王国には訓練場が増えている。
人間相手では無く、魔獣を相手にする為に鍛えられた住人の武力は高い。
このローグシーの街では、酒場の看板娘が中央の一般兵士よりも強いだろう。
他の土地で腕を鳴らした魔獣狩りのハンターが、ローグシーの街に来て、この地のハンターの水準の高さに高くなった鼻っ柱をへし折られる。そんな笑い話を聞いたことがある。
そのハンターは改めて腕を磨こうと、街の訓練場に足を向けるという。この話は事実なのだろうと、今なら解る。
魔獣深森の側とは危険が多い。だが、その危険に対抗できる程にウィラーインの領民は強い。
そこに住めるならば、土壌は豊かであり作物も豊富に取れる。魔獣深森の浅いところで森の恵みも得られる。魔獣素材も魔獣を狩れるならばふんだんに取れる。
中央であれば、魔獣の肉を食えば魔物になる、などと言う者がいる。それもスピルードル王国では、魔獣の一種である長角牛、グリーンラビットなど、民は普通に食べている。
勧められて食べてみたグリーンラビットの肉は、クセは強いがなかなかいける。
この地は魔獣という危険はあっても、得るものが多い。魔獣の危険を跳ね返せる強さのあるウィラーインは、これから更に栄えることだろう。
この地に住む者の強さがあれば、この地は、富を産む宝の地となる。
胸に下げた守り袋、服の中に隠したお守りを服の上からそっと握る。ここにあるのも特別な魔獣の素材。
『試しに作ってみたものだけど、パリアクスにあげるわ』
ルミリア様にいただいたお守り。ウィラーインの博物学者が手ずから作ったもの。ルミリア様は少女のようにイタズラっぽくクスリと微笑み、
『ローグシーの街の為に、手を貸してくれると嬉しいわ』
と、これを私にくれた。プリンセスオゥガンジーで作られた、対魔術防御の力のある守り袋。中には香りの良いゼラニウムの花のポプリに、自然治癒力上昇効果のあるゼラ姫の蜘蛛の体毛。
蜘蛛の姫の人気の高まる中、蜘蛛の姫しか作れない極上の布と、不思議な力のある蜘蛛の姫の蜘蛛の背中の毛。価値を知り欲しがる者は、これにいったい金貨を何百枚と積むのだろうか?
それを試作品だと気前良くひとつ私にくれたルミリア様。これは私を試しているのだろう。
ポン、と王子も喉から手が出る程に欲しがる至宝を渡したルミリア様の目は、
『あなたはそのお守りに見合う、どんなことができるのかしら?』
と、無言で問うているようだった。エルアーリュ王子に中央の情報を流し、スピルードル王家に一目置かれるシウタグラ商会を。その商会長であるこのパリアクスを試すように。
先に渡して、さぁやってみせろ、というのがウィラーイン流なのか。
ならばここで、シウタグラ商会がすべきことは?
「オオオオオオオオ!!」
夜の街から咆哮が聞こえる。狼の遠吠えでは無く、狼の声を掻き消す街の住民と兵の声。夜気を震わせる戦の雄叫び。
膝が震える。いまだ魔獣への恐れで指先が震える。
だが、この腹の底から湧き上がってくる熱は何だ? この街で今、私ができること。ろくに戦闘訓練などしたことの無い商人が、戦える訳が無い。
それでも、この街でケチ臭い輩は、今後、やっていくことなどできはしない。
振り向き窓を背に商会の者を見る。私と同じ中央出身の者は怯えて、商会の護衛のハンターは堂々としている。いや、若いハンターは外の戦いに参加したいと、不満げな顔をしている。
声が震えぬように気をつけて指示を出す。
「商会の門を開けろ! 負傷者に避難者をこの商館で守るぞ!」
「パ、パリアクス商会長? ここはウィラーインの兵に任せましょう!」
「街が無事であってこそ商人は利が得られる。この商会長パリアクス、今宵の祭りに参加する!」
「祭り?」
「
「商会長! それは!」
これがシウタグラ商会がローグシーの街でやっていく最適解だろう。緊急の折り、品薄になる物資を高値をつけて売れば稼ぐことはできる。
だがこの街で、いやらしい商売で住民に嫌われてしまえば、次に魔獣に襲われたときに生き残れるかどうか解らない。ここにいる護衛のハンターも、ほとんどがウィラーイン領出身だ。
髭を撫でる手を止めたハンターの男に訊ねる。
「この建物に魔獣が入って来れないよう、守ってくれるか?」
「お安い御用よ。バッズ、メフィル、ロックは俺と商会長の護衛だ。残りは外に出ていいぞ」
髭のハンターの言葉にニヤリと笑みを浮かべ、駆け出すハンター達。私も後を追うように階段を降りて一階へ。
後ろに続く髭のハンターが楽しげに言う。
「青髪の商会長は中央育ちのボンボンかと思ってたが、なかなか胆が座ってる」
「いやいや、正直に言うと街中に魔獣が来るなど初めてのことで、今も怖くてほら、指が震えている」
「そういうのは武者震いって誤魔化すと、上に立つ奴はカッコがつくもんだ」
「私はハンターでも剣士でも無いから、要らない見栄は張らないよ」
「ここでカッコつけたら商会長の人気が上がるぜ?」
「さて、商人としては利益無視でやるのもどうなのか?」
「あんたはいい買い物したんじゃねえの?」
髭のハンターはニヤニヤと笑う。これで上手くいけば私が買えるものは、ローグシーの住民の好意か。
「義の貴人ハラード様は、あんたを高くかってくれるだろうよ」
「なるほど、で、君は?」
「もちろん俺もだ。見直した。しっかり守ってやるから安心してやってくれ」
「実に頼もしい」
護衛を多めに雇っておいて正解だったようだ。商会の建物は門を開き、シウタグラ商会は臨時の治療所兼防衛拠点に。フクロウの隊員と連絡を取り負傷者を運ばせて、子供の手を引く母親をハンターが守り建物の中へと。
緊急時の為の
中央から来た青髪の商会長が、いざというときに奥に引っ込んで隠れていた、などと噂されぬように外に出る。
街の外は夜とは思えぬ程に明るい。
「みー」
屋根の上を飛び回るゼラ姫が、魔法の明かりを街に落とす。その手からは白い稲妻に銀の蜘蛛の糸を飛ばし、ゼラ姫に乗るカダール様がクロスボウの矢を放つ。撃たれたウェアウルフが屋根から落ちる。
「屋根の上を跳ね、狼男を蹴り落とす蜘蛛の姫。夜を切り裂く雷の鞭に、舞い降りる魔法の明かりと、吟遊詩人の歌う英雄譚でもこんなデタラメなものは無いか」
まるで子供向けの紙芝居か、お伽噺のようだ。星を降らす蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士が、昼のように明るい夜の中を跳ね回り、街を襲うウェアウルフを退治する。
武器を持ち街を走る住人もこんな気分なのか? 今や私もそのお伽噺の端役なのか? 出遅れた分を取り返そうと、護衛のハンターが商館の前でウェアウルフを待ち構える。
これを話せばエルアーリュ王子が羨ましがるだろう。星降る夜のローグシー街防衛戦。この夜の祭りに僅かな後方支援とはいえ手を貸して、間近にゼラ姫の勇姿を見、私もそこに参加しましたよ、と。
今からその自慢話をするのが楽しみだ。
「シウタグラ商会には
知らず口元に笑みが浮かぶ。
気が付けば、いつの間にか膝の震えは止まっていた。