第二十五話

文字数 3,737文字


「……お前、何やってんだ?」
『あ、起こしちゃった』

 夜、暗い部屋の中。ゼラはかごから抜け出して子供の俺の手の上にいる。

『ねぇ、痛くない? 噛んじゃったの、痛くない?』

 包帯でグルグル巻きになってる右手の人差し指に腹を擦り付けるようにして、しがみついている。

「お前、もしかして、俺に噛みついたこと気にしてるのか?」
『気にしてる? これ、気にしてるって言うの? ウン、じゃあ、気にしてる。ねぇ、痛くない?』
「……変なヤツだ」

 言いながらゼラの背中を撫でる。焼けた体毛はまだ短いが生え変わっている。

『ふう、この手、気持ちいい。フワフワする。ねぇ、なんで他の人間と違うの? どうして恐くないの?』
「お前の目って暗いところだと薄く光るのか。宝石みたいに綺麗だ」
『キレイ? キレイって何? 目がホウセキ?』
「赤紫の宝石って、なんて言うんだろうな。ルビーとかサファイアとかとは違うし。色は庭の花に似てるか」
『庭の花? 窓から見える?』
「母上の好きな花で、ゼラニウム。……うん、ゼラ。ゼラにしよう」
『ぜらにするの? 何を?』
「お前のことゼラって呼ぶことにする。いいか?」
『ゼラって呼ぶの? オマエって誰のこと?』
「いいか悪いかって聞いても返事はできないか。たまに俺の言うことが解ってるような気がするんだけど」
『ウン、特別な人間の言うこと、少しわかるよ』
「ゼラはタラテクトの子供にしては、賢いのか?」
『賢い? ゼラ? タラテクト?』

 途切れ途切れに巡るゼラの記憶。あのときゼラに話しかけていたことが、ゼラにとっては初めて人の言葉をちゃんと聞くことになったらしい。

〈言葉など、人の知恵など無用のはずが――〉

『特別な人間、他の人間より小さい。頭が赤い。カダール? カダール。助けてくれた。食べ物くれた。カダール、何かしたい。カダール、何を喜ぶ? ウーン。!そうだ。食べ物捕ろう。食べ物貰う、嬉しい。食べ物捕って、カダールにあげる。カダール喜ぶ』

 ゼラは夜中にモソモソと動きだして、部屋の中を彷徨いて壁を昇る。そして部屋の中に大きな蜘蛛の巣を張っていく。
 朝になって目を覚ました子供の俺が、部屋に張られた立派な蜘蛛の巣を見て驚いている。

「……何やってんの? ゼラ?」
『カダール! おうちができた、これで食べ物、捕まえる。捕まえて、カダールにあげる』
「これ、見つかったら怒られるから外すぞ」

 巣のまん中でしゅぴっ、とするゼラを手で掴みベッドに投げて、見つかる前にと急いで蜘蛛の巣を木の剣で絡めて外す子供の俺。

『あー! なんでゼラのおうち壊すのー!? 大きくできたのにー、食べ物捕まえたら、カダールにあげるのにー。えと、見つかったら、怒られる? 他の人間に見つかったら、カダール、怒られるの? うー、ゼラのおうち。でも、ゼラが他の人間に見つかるはダメ。むー』

 俺にお礼をするつもりだったのか、あの蜘蛛の巣は。悪いことしたな。しかし、ゼラが虫を捕まえてそれを貰っても、俺はどうすればいいのやら。

〈……ふふ、まったく、どうして……〉

「いいか、ゼラ。人を襲うな、人の家畜を襲うな。そうしたらゼラは人に討伐されることも無い。森で仲間を見つけて暮らしていけ」
『人をおそうな? カチクをおそうな? 人にトウバツされることも無い? あ、カダール、どこにいくの? ゼラ、カダールと一緒にいたい』
「ついてくるな!」
『うー、なんで置いてくの? 森でナカマを見つけて、なんだっけ? ……ここ、やだ。さみしい。カダール、一緒にいたい。でも他の人間に見つかるはダメ。カダールが怒られるはダメ。でも、さみしい。さみしいはいや。むーん、むーん。ン! 見つからなければいい! 夜、人間寝てる。夜中にこっそり行く。ゼラ、賢い! カダール!』

 夜になるのを待って、屋根に登り煙突から屋敷の中に忍び込み、ドアノブにジャンプしてしがみつくゼラ。こうやって夜に侵入していたのか。

『ここ、動かすと扉が開く。ゼラ、見てた。うぐぐ、開け! ひーらーけー!』

 ドアを自力で開けられるタラテクト。凄いなゼラは。開いたドアの隙間から部屋の中に入っていく。

『カダール、寝てる? 起こさないように、そっとそっと』

 ベッドに登り寝ている俺の腹の上へと。

『ぷー、疲れた。ゼラも寝るー』

〈――業が求めるは、運命なのか?〉

「……なんでいるんだよ、ゼラ?」
『あ、カダール起きた。撫でて、ゼラを撫でてー』

 ただ一度、子供の気まぐれでゼラを助けた。その一度がゼラにとってはこれほど大きな出来事だったのか。これがゼラの思い出ならば、ここには俺のことばかりじゃないか。

「いいか、ゼラは魔獣で、俺は人だ」
『ゼラは魔獣、カダールは人』
「人と魔獣は一緒に居られ無いんだ。解ってくれ」
『そうなの? 人と魔獣、一緒はダメなの? なんで? どうして? やだ、カダールと一緒にいたい』

 走って遠ざかる子供の俺を見送りながら、ゼラは考えている。

『むー、人と魔獣、一緒には居られない。ゼラとカダール、一緒には居られない。むーん、他の人間に見つからないようにしても、また、置いてかれた。むーん。どうしてもダメ? さみしいはやだ。やさしい、あったかい、欲しい。むーん、人と魔獣はダメ。人と人ならいい? 人と人なら一緒にいてもいい? じゃあ、じゃあ、ゼラは人になる!』

 ゼラが考えて、人になると決めたのも、俺のせいか。これでは俺がゼラの生を歪めた原因ではないか。

『むーん? どうしたら、人になれる?』
〈それを望むか、蜘蛛の子よ〉
『ンー? だれ?』
〈その身に余る願いの果てを、望むのならば応えよう〉
『願い? ゼラは人になれる?』
〈人に近づくことはできよう。我ら人の業より産まれしもの。もとより人に近きもの故に〉
『どうすればいいの?』
〈願いを持ち、想いを失わず、保ち続けること。魔獣を喰らい、己が持たぬ因子をその身に取り込むこと〉
『えーと。どういうこと?』
〈想い人を忘れずに、強き魔獣を食べるのよ〉
『ウン、わかった! カダールのこと忘れない! 強い魔獣、やっつけて食べる』
〈この道はか細い苦難の道〉
『だれ?』
〈道の終わりに、また(まみ)えよう〉
『ありがとう。ゼラ、がんばる!』
〈狂気と絶望に堕ちたならば、この母を恨め……〉

 ずっとブツブツと悲しげに呟く声。この声がゼラに聞こえたのか? さっきまでゼラは反応していなかった声、この女の声がゼラに人になる方法を教えたのか? いったい誰だ? 何者だ?

〈お前こそ何者だ? 先程からブツブツとやかましい〉

 !聞こえたのか? 俺の声が聞こえていたのか?

〈蜘蛛の子の心奥に根付きおって、いやらしい男だ〉

 蜘蛛の子の心奥? ここはゼラの記憶じゃないのか? そこで呟きながらゼラの記憶を覗き見てるお前もいやらしいと思うが、お前は誰だ?

〈それをお前に説明する義理は無い〉

 ……怒ってるのか? 姿も見えずに声しか聞こえないが、なんだか俺のことを嫌ってるのか?

〈蜘蛛の子を窮地に誘い込み、泣かせた男はさっさとここから出ていけ〉

 俺がどうしてここにいるのかも解らないし、ここから出る方法も解らない。それに蜘蛛の子の窮地?

〈お前がしたことが、今、蜘蛛の子を泣かせているだろうが!〉

 怒声と共に視界がグルリと回り変わる。目の前にはひどく近いところに、目を覗き見るように、いやらしく笑う男の顔。額にサークレットをつけた男、邪神官ダムフォス。

〈蜘蛛の子はあの男の隷属の約に抗っている。泣いて苦しんでいる〉

 ダムフォスの持つ赤い宝石、ボサスランの瞳が赤い光を煌々と放つ。あの赤い光に飲まれて、気がつけばここにいた。ここがゼラの心奥? 

〈蜘蛛の子の力を頼り、蜘蛛の子を利用し、その上でいまだに蜘蛛の子の心奥に居座る恥知らずめが。何故こんな愚かな男に……〉

 ゼラに頼っていたのはその通りだが、俺はゼラを利用する気など無い!

〈霞がかった頭では考えることもできぬか? このままでは蜘蛛の子が哀れ……、己のしたことを省見るがいい〉

 己のしたことだと? 俺が何をしたと?
 パキンと何かが割れる音がする。急に周りがハッキリと見える。乱暴に頭の中に手を突っ込まれて何かを引きずり出されるような、おかしな感覚が。

『ならば、カダール、一度捕まってしまうか?』
『そうだな。わざと騙されて捕まって黒幕の本拠地まで案内してもらうか』
『お前ら、ワシがおらん間に無茶な策を立てるで無いわ』
『雑なシナリオだが、相手が間抜けにこの策に乗ってくれるといいのだが』

 あぁ、俺は自分で言っている。雑なシナリオだと、相手の間抜けに期待するような、穴だらけの策だと。……なんだこれは? 俺は何故、こんな策が上手く行くと確信していた? 俺は何を考えていたんだ? 

〈蛇の子に誘われたとはいえ、この程度のことすら見抜けず気がつかぬか。愚か者め〉

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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