第七話
文字数 7,142文字
晩餐会に呼ばれることになった訳だが、アルケニー監視部隊は全員が貴族という訳では無い。水不足の支援活動に、全員が礼服やドレスを持ち歩いたりはしていない。
隊員の中にも、堅苦しいのはちょっと、と、言う者がいる。
それで慣れた貴族出身だけ参加、というのも良くない。王軍に於いては宮廷序列は無関係だ。これを徹底しているからこそ、アルケニー監視部隊は俺やエクアドにも軽口を叩ける隊員が揃っている。
もともと肝の太い動じない者を選んだというのもあるが。
これをハイラスマート伯爵は、
「別に宮廷序列には拘らないよ。これは王子直属の王軍への慰労だから。気楽に楽しめる宴会にしよう」
と、軽く言いアルケニー監視部隊は全員参加に。隊員はハイラスマート家よりドレスに礼服を借りることになった。
ドレスなんて初めて着る、という隊員が戸惑いながらも喜んでいる様子。
女性隊員は伯爵家長女のティラステアとメイドに連れられて、ドレスを選びに行く。男の隊員でハンター上がりの者は、着慣れない礼服を着てみて首回りが苦しそうだ。
部隊の中には俺とエクアドがスカウトした、騎士訓練校での先輩、後輩がいて、簡単な礼儀作法を隊員に教えている。
「ゼラもおめかししようか」
「ウン」
俺とエクアド、経理のフェディエアでゼラの身繕いを。着替えさせて、フェディエアがゼラの髪を結う。
「ゼラちゃんは口紅いらずね」
「ンー? 赤くしなくていいの?」
「何もつけなくても赤くてツヤツヤなんだもの。目許だけちょっと塗るわね」
ゼラの唇は濡れたように赤くて、それが褐色の肌でより鮮やかに見える。フェディエアはゼラの眉を整えて、お化粧をする。
顔にいろいろ塗るのは嫌がったゼラだが、以前に母上が、『結婚式には花嫁は綺麗にお化粧するのよ。更に可愛くなるとカダールが喜ぶわ』と、ゼラをそそのかして慣れさせた。ゼラもまた、化粧にお洒落が気になってきている。
フェディエアにされるがままに、大人しくしているゼラ。
今回、フクロウのクチバはフクロウの隊員を率いて、身を隠してハイラスマートの領主舘周囲を警戒しているので、不参加。フクロウにはあとで差し入れを持って行かねば。
隊員が準備を整えて、俺とエクアドも久しぶりに礼服などを着て、領主舘の大広間へと。
エクアドを先頭に、その後ろを俺がゼラの手を引いて。
「ンー、歩きづらい」
「ゼラ、ゆっくり歩いて、走っちゃダメだから」
「ウン、ハハウエに教えてもらった。胸を張って、背筋伸ばして、シャナリシャナリって」
「フェディエアに綺麗にしてもらったのだから、今日はおしとやかに行こう」
「ゼラ、綺麗になってる?」
「いつも可愛いが、大人っぽくなっている。髪を上げてうなじが見えて、今日のゼラは一段と麗しい」
「うるわしい、むふん。フェディありがとう。フェディもうるわしくなってる。ステキ」
「ありがと。ゼラちゃんは我らが蜘蛛の姫だから、魅せるところではちゃんとしないとね」
大広間に入れば待ち構えていた人達が、整列して入るアルケニー監視部隊を見る。もちろん注目されるのはゼラだ。
いつもは下ろしている黒い長い髪を結い上げて、銀の三日月の髪飾りが映える。
スピルードル王国ではあまり見られない褐色の肌、浮かぶ美貌は遠い異国から訪れた神秘を醸し出す。
いつもはしない化粧をして、あどけない顔が少し大人びて。耳もアメジストの入った銀の耳冠で飾り、結い上げた髪の下、いつもは髪で隠れて見えない首の後ろから背中が艶かしい。
袖の無いゼラ専用の赤いドレスは背中が大きく開いて、前は立派な双丘が赤いドレスを下から押し上げる。
胸の谷間を強調していて、ついそこに視線が行ってしまう男は、俺だけでは無いはずだ。
ゼラ専用のイブニングドレスはウィラーインで作ったものを持ってきた。母上がゼラに服をいろいろと着せようとした際に作らせたもの。
ゼラの作る極上の布は加工が難しく、このドレスにはまだ使われていない。この生地は通常にドレスで使われるものだ。ゼラの作る布は切るのも染めるのも難しく、従来の加工方が通用しない。
この赤いドレスは腰から下は大きく長く膨らみ、ゼラの蜘蛛の脚を隠すように広がる。
ゼラの下半身、蜘蛛の脚を見て怖がる人には直接見えないようにはなる。とは言ってもゼラの蜘蛛の身体は大きく、それを赤いドレスで覆い隠しても怪しく見えてしまうのだが。
何よりこの蜘蛛の身体が大きく、ゼラは背が高い。馬に乗った人を見上げるようになるので、この大広間にいる者の中でも、ゼラが一番背が高い。
ゼラは蜘蛛の脚に触れる赤いドレスが、絡まらないように静かに進む。これがまるで宙に浮く少女が滑るように進むように見えて、神秘性が増す。
褐色の肌に黒い髪と赤いドレスは、黒と赤で色の取り合わせとしては悪役のようだが、ゼラには似合っている。青や緑よりも、赤か赤紫がゼラの褐色の肌に合っている。
ゼラの手を引いてゆっくりと進む。ここにいる者はゼラを見たことのある者が多いが、改めてゼラに見蕩れているのを見ると、何やら嬉しくなってしまう。
これがうちの子自慢というものだろうか?
「天よりの恵み少なく、悩む我らが地を巡り、水と癒しを与えし蜘蛛の姫に、黒き聖女を守りし黒蜘蛛の騎士、アルケニー監視部隊に感謝を。今宵の宴にて我らが謝意を。ティラステアより聞き、蜘蛛の姫の好物という、甘いデザートとチーズは揃えたつもりだよ。まぁ、これだけの人が我が舘に集い賑わうのは、蜘蛛の姫目当てであろうが、あまりアルケニー監視部隊を困らせること無きように。では乾杯、スピルードル王国に誉れあれ」
ハイラスマート伯爵が軽い挨拶をして、宴会が始まる。気軽にできるようにという配慮か、立食パーティーだ。俺とエクアドはゼラの側に立ち、隊員には好きにしてもらう。早速、隊員に話しかける者がいる。
俺とエクアドのところにも人が来る。そのうち何人かは娘を連れて、娘自慢を始める。遠回しに見合いを薦めるのをあしらいつつ挨拶を交わす。
「男爵家の三男にこれほど見合いの話があるのは、有り難いというところなのだろうが」
「エクアドも身を固めてはどうだ?」
「隊長になりこの先、気になる話が増えて、それどころでは無いな」
エクアドのぼやきにドレス姿のフェディエアがクスリと笑う。
「それで私を側に置いて盾代わりにするというのはどうなんですか? 勘違いされてしまうのでは?」
「フェディエアもしばらくは結婚する気は無いと言っていたから、利害は一致するんじゃないか?」
「それもそうですけど、槍のエクアド様のファンに恨まれますね」
他にもアルケニー監視部隊への入隊希望者がアピールして来たりと。一年訓練の先生をしてた騎士訓練校の同期のラーディもその一人。
アルケニー監視部隊も今、増員を考えている。俺とエクアドが騎士訓練校で知り合った者は、身元も確かで良いのだが、それで集めると騎士ばかりになってしまう。
エルアーリュ王子はゼラに戦闘をさせるつもりは無いし、ゼラの力は人に向けるものでは無い。そうなるとアルケニー監視部隊のすることは、今回の支援活動のようになる。戦闘よりも違う分野の専門家が欲しいところ。土木作業や医療に詳しい者などを揃えたい。
経理にフェディエアが入ってくれたのは、有り難い。
ゼラの力は便利だがこれに頼り過ぎるのは良くは無いだろう。支援活動に少し廻っただけで、予想以上にゼラの人気が高まってしまった。今後は当てにされたのを断るのも必要になる。上手く交渉できる文官も必要だ。
挨拶をしつつ、人材に目星をつける。
ゼラの方は、と見ると人に囲まれ、手にワインの入ったグラスを持ち話をしている。
「えっとね、ゼラはまだ人語が苦手なの。失礼があったら、ゴメンね」
「いやいや、憶えて間も無いとは思えませんぞ。挨拶もしっかりとしたものです」
「ハハウエがね、いろいろ教えてくれるの。でもゼラはまだまだ、ちゃんとできなくて」
「今宵は礼儀に煩い者は居りません。蜘蛛の姫のお話を聞かせて下さい」
物怖じしないゼラは人と話すことを楽しんでいる。これまでおかしな輩を近づけないようにしてたこともあるが、ゼラが人を警戒したのは出会った頃のルブセィラ女史くらいか。
ここに集まる者もゼラに好意的で心配は無さそうだ。いや、ゼラが先に恩を売った形になるのか。
「ハハウエの作るフェルトぐるみは、可愛いの。あ、このドレスもね、ハハウエがデザインしたの」
「ルミリア様は多才ですね」
「職人でもこのようなドレスは、これまで作ったことが無いでしょう」
ゼラはウィラーイン家をネタにするトークを身に付けて、好評のようだ。ゼラと関わる家族というのは話題は尽きないか。
「ゼラちゃんはここでも人気者ね」
言いながら来たのはティラス。いつもと違う青いドレス姿で、久しぶりに着飾るところを見る。横に並ぶのはティラスの妹?
「お久しぶりです。カダールお兄様」
「フィルか、ずいぶんと背が伸びて美しくなって、一瞬誰だか解らなかった」
「カダールお兄様こそ逞しくなられて」
ハイラスマート家の次女、フィルマティア。俺が王都の騎士訓練校に行く前は、隣の領地のこのいとことも会って遊ぶことはわりとあった。
ティラスとは王都で会うこともあったが、フィルの顔を見るのは久しぶりだ。
エクアドとフェディエアにフィルを紹介して、子供の頃の話に花を咲かせる。
「私がカダールお兄様の妻になるはずでしたのに」
「フィル、そんな約束なんてしてないだろう?」
「あら、私がカダールお兄様のお嫁さんになるー、と言ったら、大きくなったらいいよー、と言ってたじゃありませんの」
「それは何歳の頃の話だ?」
「いくつでしたかしら? でも、私か、ねぇ様がカダール様と結婚すると考えてましたのよ。親同士の付き合いもありますし」
「そこは灰龍が現れて、変わってしまったところか」
エクアドが、ん? とフェディエアの顔を見て、フィルを見る。
「カダールは婚約していたのか?」
「いいや、してないぞ」
「正式な契約はしてないわね。子供の頃の口約束だから」
と、ティラスが補って、
「大きくなったらお嫁さんにおいで、って言ってましたのに」
フィルがむくれて文句を言う。そこにゼラがこちらに来た。
「カダール、結婚式の話? その女の人、誰?」
「ゼラ、聞こえていたか」
「ウン、お嫁さん、とか、こんやく、とか」
ゼラにフィルを紹介して、二人は挨拶を交わす。一瞬、二人の視線に火花が見えたような気がするが、気のせいか?
ゼラはフィルを見下ろして、むー、と唸り、フィルはゼラを上から下までジロジロと見る。
フィルの視線がゼラの胸に止まり、ゼラが胸を張る。フィルは驚いた顔で、ゼラの赤いドレスを押し上げる立派な双丘をマジマジと見つめる。次いでフィルは俯いて自身の胸をペタペタと触りながら、悲しそうに、
「ここまで大きくならないと、カダールお兄様のお嫁さんにはなれませんか……」
「いや、フィル、大きくなったらって、そこだけの話では無いハズだぞ」
フェディエアが少し呆れたように、
「カダール様は子供の頃からそうだったのですか?」
「そうだったって、その『そう』とは何だ?」
ティラスがゼラを見上げて、いや、ゼラの胸を見上げて。
「これに勝てるのはハイラスマートにはいないんじゃない? フィル、諦めたら?」
「カダールお兄様は私のお兄様なのに……」
「いや、ティラスとフィルには兄がいるだろう。次期ハイラスマート伯爵のテオディルが」
「血の繋がった兄貴はお兄様では無いのです」
「訳が解らない」
ハイラスマート家の長男テオディルは、武術ではティラスに敵わないが、聡明で頼もしい男なのに。フィルは俺とエクアドを交互に見て、
「……ですが、蜘蛛の姫が現れてもカダールお兄様の真の恋人は、うふふ」
と、不気味な熱視線を飛ばしてくる。ティラスからフィルはあの『剣雷と槍風と』のシリーズの熱心なファンと聞いてはいるが。これはまるでアルケニー調査班の研究員と同じ感じだ。
「フィル、俺とエクアドをそういう目で見るのはやめてくれないか。俺とエクアドは違うからな」
「解ってますとも。これが
「やめろと言うに。おかしな噂を広めないでくれ」
ゼラがキョトンとした顔でフィルに訊ねる。
「ン? 秘めた恋? 真実の愛?」
「ええ、人に知られてはならぬ、秘めた想いを重ねてお二人は」
「ンー? カダールとエクアドは仲良しだけど、カダールは男でエクアドも男だよ?」
「ゼラ様、それではエクアド様の心が女だと想像してみて下さい」
「エクアドの心が女、ンー?」
フィルがおかしなことを言い出した。人の趣味にケチをつける気は無いが、俺とエクアドをネタにして、背筋が寒くなるようなことを言うのはやめて欲しい。
しばらく考えていたゼラの表情が、ピシ、と固まる。ゼラ?
「ダ、ダメ!」
ゼラは俺を抱えるように抱きついてエクアドをキッと睨む。
「エクアド、カダール盗っちゃダメ!」
「誰が盗るか、ゼラ、バカな話を真に受けるんじゃない」
「エクアドの言う通りだ。ゼラ、俺とエクアドはそんなんじゃ無いから」
俺とエクアドでゼラに芽生えそうになる疑念を払う。それを見てフィルはニマニマして、
「ゼラ様、見ての通りカダール様とエクアド様って、仲良しすぎると思いません?」
「仲良しすぎ? ウン、カダールとエクアド、なんだかわかりあってる、親友だって」
「その親友が一線を越えたなら、」
「ダメ! そんなのダメ!」
ティラスがいいかげんにしなさい、と、フィルをたしなめ、俺とエクアドでゼラに親友と恋人は違うから、と説明する。まったくフィルはいつの間にこんな娘に。
落ち着いたゼラを連れてハイラスマート家の長男、テオディル夫妻と話をする。
「なんだか、妹が失礼なことを」
「いえ、ああいうのは少しは慣れてますから」
ティラスとフィルの兄、テオディルはマトモな人で謝られてしまった。続いてハイラスマート伯爵夫妻に、今宵の宴の礼を言う。ハイラスマート伯爵はにこやかに、
「カダール君、ティラスかフィル、どちらか側室にしてみないかい?」
「いえ、俺はそういうところを器用にできそうもありません。ティラスとフィルは、彼女達を幸せにできそうな男を見つけてあげて下さい」
「とは言っても、ティラスの言う強さを認める年頃の男って、剣のカダールか槍のエクアドくらいなんだよね」
二人とも嫁き遅れそうだよ、と苦笑する。ティラスは騎士訓練校の紅白戦で、エクアド相手に鎌槍でけっこういい勝負になっていたか。伯爵夫人の方は。
「フィルのあれは、少女なら思春期にはかかるものだから、気にすることでも無いでしょう。子供が成長するときの反抗期みたいなものよ」
「反抗期、ですか」
ハイラスマート伯爵夫人、俺の父上の妹だが、叔母さんと呼ぶと怒るので注意しないといけない。フィルのことを話してくれる。
「女の子はね、潔癖症だったりすると男が気持ち悪く思えたり怖くなったりするものよ」
「そういうものですか」
「女として、男の欲の対象に見られることの怖さがあるとね。でも、その欲の対象が男に向く男は怖くない、なんてね」
「でもそれは物語の話でしょう?」
「それがいい、という時期もあるのよ。それに幻想の美男子にはスネ毛も胸毛も無いから」
「スネ毛の描写のある主人公の物語は、見たこと無いですね」
「いずれ現実を知れば変わるわ。フィルが『剣雷と槍風と』を好んでいるのも、思春期にちょっとかかった病気みたいなものよ」
そうだろうか。アルケニー調査班の女性陣もルブセィラ女史も、そこそこいい歳だと思うのだが。いまだに俺とエクアドが話してるのを見て、ハァハァしてたりする。
「私も最近の『剣雷と槍風と』は行き過ぎじゃないかと思うのよね。それでルミリアに初期の頃に戻るようなの、書いてもらったんだし」
「え? 母上に執筆依頼したのって?」
「ルミリアの書いた新作はおもしろかったわ。フィルには、邪王子が出て来ないって、不満だったみたいだけど」
ウィラーインが灰龍被害を受けたときに真っ先に援助してくれたのは、ハイラスマート伯爵だ。父上の妹でそのハイラスマート伯爵夫人の頼みでは、母上も断り難かったのか?
「ハンターの男二人、熱い友情の旅の物語。ルミリアの書いた新作は初期のファンに人気で、原作者も喜んでいるわ。売れ行きも好調よ」
晩餐会は賑やかに進み、隊員達の中には貴族相手に気疲れしたのもいるが、慰労にはなっただろう。
ゼラも珍しい甘いお菓子にチーズ各種と、喜んで口にしていた。隊員の中にはこの遠征でちょっと太ったと言うのがいるので、戻ったらダイエット代わりに訓練でもするか。
こうして二ヶ月半に及ぶアルケニー監視部隊の支援活動任務は終わり、ウィラーイン領へと帰還する。
このとき、ウィラーイン領ローグシーの街で待ち構えているものについては、俺達は誰ひとり予想ができなかった。