第111話 濃霧

文字数 730文字

 だが、葦の葉を払いのけ、出口に立った隼人は眼を見開いた。
 もうとっくに晴れる時刻のはずなのに、湿原は未だ濃い霧に包まれたままだった。
 霧が深く、視界がほとんどきかない。
 これでは伝令を遣わそうにも、どちらの方角に自軍の陣地があるのかさえわからない。
 隼人は唇を噛んだ。相手の方がはるかにこの地を知りつくしている。霧の晴れるのが遅い、そんな気象条件の日を選んだのだ。
 近くで水鳥が一斉に羽ばたいた、その直後だった。
 それを合図にしたかのように、鬨の声が上がった。待ちかまえていた羅紗水軍の兵が一斉に襲いかかってくる。
 全くの不意打ちだった。九条軍は応戦したが、不利は明らかだった。
 斬り合いが始まったが、深い霧に閉ざされ、少し先の相手の姿さえ見えない。下手をすれば同士討ちになりかねず、声と音、気配だけを頼りに戦わねばならない。
 すぐそばで何かが動いた。いきなり霧の中から刃を突き出してくる。
「殿!」
 かたわらにいた和臣の刀が一閃し、どさりと相手が倒れた。重い防具など一切、身につけていない軽装の羅紗の兵だった。
 水軍の将も湿地帯の足場の悪さを考慮したのだろう。
 いったいどんな人物なのか。自分たちはまんまと地の利を活かした相手の計略にはまってしまったのだ。
 この霧さえ晴れれば、と隼人は祈るような気持ちでいた。
 そうすれば街道沿いの陣地まで伝令が送れ、援軍が頼める。援軍が来れば共闘して撤退の道を開くことができる。
 しかし霧はなかなか晴れようとしなかった。混乱する戦局の中、いつの間にか隼人は自分がひとりになっていることに気づいた。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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