第146話 新しい風

文字数 889文字

(おもて)を上げ、立たれよ」
 王の(げん)に従い、隼人は顔を上げて立ち上がる。
「ひとつ訊きたい、倭国の者よ。なぜ、わが国に戦をしかけた?」
 怒りというより哀しみをたたえた眼で問う王に、隼人は静かに答えた。
「この戦は野心を持った側近が帝を煽り、始めたものです。言い訳に聞こえるでしょうが、わたしは地方の一領主にすぎません。帝の命令には逆らえず、戦を止めることはできませんでした」
 出兵を拒めば、羅紗攻めより先に草薙が滅ぼされていただろう。
 守らなければならなかった。ささやかな領地と、そこで暮らす民と、そして愛する者を。
 ただ、と隼人は言葉を続けた。
「決して倭国すべての者が戦を望んでいたわけではありません。戦を憂い、他国に刃を向けることに心を痛めていた者たちがいたという事実だけは、知っておいていただきたいのです」
 想いは伝えた。
 もともと白瑛と阿梨に拾われた命だ。後は国王の御心にゆだねよう。
「帝といえば……」
 隼人の覚悟とは無関係に、突如、阿梨が口をはさんできた。手には何やら報告書とおぼしき紙束を持っている。
「東に情報収集に行っていた船から報告が入っている。先月、そなたの国の帝が崩御されたそうだ」
「え──⁉」
 予期せぬ知らせに隼人は愕然とした。
 病気がちとは聞いていたが、こんなに急とは……。
 驚愕する隼人に阿梨はさらに続けて、
「帝には子がないので、次の帝には弟が即位するそうだ。どんな人物か知っているか?」
「直にお会いしたことはないが、新しく帝になられる弟君は、温和で英明な方との評判だ」
「では、これで(いくさ)は終わるか?」
 まっすぐにこちらを見つめてくる阿梨に、隼人は力強くうなずいた。
「きっと、帝はそうなさる」
 無謀な戦の責を問われ、柊蘇芳が失脚した事実を、この時の隼人はまだ知らない。
 新しい帝はすでに羅紗国と講和の準備を始めていた。
 二つの国を覆っていた重苦しい雲を払うように、新しい風が吹こうとしていた。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み