第62話 二人が出会えて

文字数 771文字

「藤音──」 
 改まった口調で呼ばれ、白い夜着姿の藤音は隼人を見た。
「出発する前に、いくつか話しておきたいことがある」
 はい、と答えると、藤音は寝床の上に座る隼人の向かいに正座した。
「予定通り九条軍は明日、曽我水軍の船で出港する。わたしが不在の間は藤音が当主だ。留守を頼む」
「承知いたしました。どうぞお任せくださいませ」
 両手をつき、藤音は頭を下げた。
 自分は当主の正室だ。心づもりはできている。
「困った事態が起きたら、家老の結城に相談するといい。藤音には如月もついているから大丈夫だと思うけど」
 確かに如月は物事をよくわきまえた、頼りになる存在だ。
「えっと、あとは……」
 隼人は頭の後ろに手をやり、照れくさそうにぽそりと告げる。
「わたしは、藤音と出会えてよかった」
 不意にそんな風に言われ、藤音は胸の前で手を握った。
「……わたくしも、隼人さまに出会えてよかったと思っております」
 互いの顔さえ知らない政略結婚だった。心が通いあうまでには、二人は長い道のりを経なければならなかった。
「藤音はわたしには過ぎた妻だ。だからこそ言っておきたい。もしわたしに万一のことがあったら、藤音は自由だ。遠慮せず、好きなように生きるといい」
 思いがけない言葉に、藤音は愕然として隼人を凝視した。
「嫌でございます!」
 思わず鋭く叫んでいた。どうして隼人はそのような話を持ち出すのか。
「不吉な話はおやめください。わたくしはここで殿のお帰りをお待ちしております。なのになぜ、自由などと(むご)いことを仰せになりますの?」
「藤音はまだ若く美しい。わたしがいなくなった後まで縛りつけておくわけにはいかない。新しい幸せを探さなくては」




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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