第77話 自然体

文字数 675文字

 慣れとはすごいもので、あれほど船酔いで苦しんでいた九条軍の将兵たちも日を追うごとに症状は軽くなっていき、今では大半の者が回復していた。
 行く先が戦場(いくさば)でさえなければ、楽しい航海だった。
 隼人は持ち前の明るさで曽我水軍の者ともすっかり打ち解け、さまざまな海の話を聞かせてもらっている。
 そしてお礼にと自分が覚えた羅紗の簡単な言葉を教えている。
「戦といっても羅紗国のすべての者が敵というわけではない。戦闘とは無縁の民と言葉をかわしたり、ひょっとしたら美しい娘御を助けたりする場合があるかもしれない。その時に自分のことを伝え、相手を知ることができるのは、決して悪くないと思うけど」
「美しき娘御を救うとは、ぜひ、そんな機会に恵まれてみたいものですな」 
 手の空いている者たちは、甲板で隼人を取り囲むように座りこみ、どっと笑い声を上げる。
「不思議なお方ですな、隼人どのは」
 少し離れた場所で主を見守る和臣と伊織に、声をかけてきたのは曽我兼光だ。
「気性の荒い海の男たちをこうも和ませてしまうとは。一国の領主だというのに、少しも構えたところがない。自然体とでも申しましょうか。わしも長年生きておりますが、あのようなお方は初めてですぞ」
 兄と弟は顔を見あわせると、誇らしげに答えた。
「それがわれらが殿でございます」
 しかし充実した航海も終わりを告げようとしていた。明日の朝には船団は羅紗の港、麗江(れいこう)に到着する予定になっている。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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