第2話 短い文

文字数 546文字

「申し訳ございません。わたくしのせいで隼人さままで起こしてしまって……」
「そんなことは気にしないでいいけど、どんな夢?」
「……(いくさ)の夢でございます」
 夢と片づけてしまうには、あまりに生々しい情景。胸はまだ恐怖に波打っている。
 藤音のそんな言葉に隼人の表情がわずかに曇ったが、すぐに微笑して、
「ただの悪い夢だよ」
 安心させるように肩を抱き寄せる。
「戦などもう起こらない。こうして藤音がわたしのもとへ嫁いできてくれたのだから」
 藤音は隼人より三つ年上で、艶やかな黒髪と透き通るような白い肌の美しい姫だ。
 月日の経つのは早いもので、白河(しらかわ)から隣国・草薙(くさなぎ)の九条家に嫁いでから、半年近くが過ぎようとしている。
 長年に渡る領地争いの果て、和睦の証としての縁組。
 人質同然に嫁ぎ、頑なに心を閉ざしていた藤音を変えたのは、夫となった隼人の誠実な優しさだった。
「まだ夜明け前だ。もう少し眠るといい」
 藤音の髪を撫でながら、隼人が耳もとで穏やかな声で告げる。
 なじんだ腕枕に頭を乗せ、ぬくもりに包まれながら藤音は眼を閉じた。
 今度、父に文を書かなくては。
 なかなか書けずに今日まできてしまったが、きっと心配しているだろう。
 長い文は苦手だから短くていい。
 夫に大切にされて藤音は幸せに暮らしております、とだけ……。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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