第104話 異様な光景

文字数 713文字

 次の日の朝、まだ陽も昇りきらぬうちに隼人は眼を覚ました。
 ふっと隣に眼をやって苦笑する。
 こうして遠く離れていても、藤音がかたわらで眠っているような気がして、つい無意識のうちに探してしまう。
 二人で寄り添って眠ることに慣れてしまうと、一人寝とは何と寒々して味気ないものなのだろう。
 艶やかな長い髪。温かな肌。小さな穏やかな寝息。すべてが懐かしく恋しかった。
 遠き異国に分かつとも君を想う──どこの詩人の恋歌だっただろうか。
 そうだ、今までは連日の進軍で余裕もなかったけれど、文を書こう。こんな混沌とした状況では、無事に藤音の手元に届くかは定かではないが。
 まだ時刻は早かったが、隼人は起き出して長衣をまとい、部屋の外へ出た。
 今朝も辺りは濃い霧でおおわれ、外気が冷たい。
 河に面した石造りの回廊に立ちながら、隼人は昨日出会った少年を思い出した。まだ幼い面差しと怯えた瞳。
 あの少年はどうしただろう。無事に逃げおおせればよいが……。
 そんなことを考えていた時だった。
 強い風が吹いて、一瞬、河をおおっていた霧が晴れ、現れた景色に隼人は自分の眼を疑った。
 それは異様な光景だった。束の間、晴れた霧の向こうには河にひしめく船団が見えたのだ。
 船は皆、船体を黒く塗り、あたかも水面が真っ黒に盛り上がったかのようだ。
 大きさはさまざまだが、最も大きなもので四十メートルくらいはあるだろうか。
 ひときわ大きな、おそらく大将船は頑丈な装甲でおおわれ、羅紗国の象徴である緋色の地に金色の獅子の旗を高々と掲げている。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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