第41話 嵐の始まり

文字数 741文字

「隼人さまは、そのような命令を承知されたの ⁉」
「いや、少し考える時間が欲しいと即答は避けられた。だが結論は同じだ。帝の命令に逆らうことは許されぬ。もし拒めば、羅紗に出兵する前に草薙が滅ぼされよう」
 武人である伊織にはよくわかっていた。この小さな領地など、帝の名の下に集まった大軍の前にはひとたまりもないだろう。
「ついては桜花にも要請があった」
「わたしに?」
 桜花は大きくまばたきした。戦えもしない自分に何をしろというのか。
「九条家に仕えし巫女は舞いの名手。出陣の際には戦勝祈願の舞いを奉納せよ、との意向だ」
 どう返答してよいか、桜花はわからなかった。
 いったい、どんな勝利を祈れと?
 そして下された命令は二人にとって重い枷となった。
 つまり桜花は出陣の時まで巫女であり続けなければならない。
 後任の者が見つかっても、すぐには巫女の座を降りられない。祝言を挙げて伊織と結ばれることはできないのだ。
 かといって断るなどできるはずもなかった。拒絶すれば隼人の立場を悪くしてしまう。
 桜花はすがるように伊織を見上げ、問いかけた。
「ねえ、教えて。何のための戦なの? 羅紗国が攻めてきたわけでもないのに、どうしてわざわざ海を越えて、そこに住む人たちを殺しに行くの……?」
 伊織はひとことも答えられなかった。この戦の不毛さを、自身もいやというほど感じていたからだ。
 ただ桜花を抱きしめたまま、無言で肩を震わせる。
 桜花もまた黙って伊織の背中に両手を回しながら、巨大な(あらが)いがたいものの存在を感じていた。
 静かで穏やかなこの地に、嵐が吹き荒れようとしていた。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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