第26話 主の席

文字数 552文字

 見知らぬ客人が座っていたのは、この城の主──隼人の席だったのである。
 立ちつくす藤音に隼人が気づき、呼びかける。
「藤音、こちらへ」
 わけのわからぬまま、呼ばれた藤音は隼人のもとへ向かった。
 隼人は上座のいつもの自分の席ではなく、そこを客人に譲り、自らは当然のように下座に座っている。
「紹介するよ。こちらは(ひいらぎ)蘇芳(すおう)どの。ご挨拶を」
 言われて藤音は座り、両手をついた。
「初めてお目にかかります。九条隼人が妻、藤音にございます」
「ほう……これは美しい。(おもて)を上げられよ」
 よく通る低めの声に乞われ、藤音は顔を上げた。
 今までは席の件で驚いて顔もろくに見なかったのだが、こうして向かいあってみると、眼の前に座っているのは美しい若者だった。
 背中まで伸ばした漆黒の髪。すっと鼻筋が通った、涼やかな眼もと。こういう青年を美丈夫と呼ぶのだろう。
 年の頃は隼人より少し上だろうか。どこの貴公子なのか、身にまとっている狩衣(かりぎぬ)は上質の絹だ。
「わが名は柊蘇芳。いとこ殿が祝言を挙げたというのでな、はるばる京の都から花嫁の顔を見に来たのだよ」
 いとこ、と藤音は心の中でつぶやいた。
 考えてみれば藤音は隼人の身内の話を聞いたことがない。両親は他界しているし、兄弟もいない。
 だから隼人は家臣を大切にする。家族のように思っているからだ。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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