第67話 瀬奈

文字数 606文字

 見送りの人々でごった返す中、ようやく桜花は伊織の姿を見つけ、声をかけようとする。が、それより早く、誰かが呼びかける声がした。
「和臣さま!」
 喧騒の中でもよく通る声だった。桜花も、桟橋へ向かっていた四人も一斉に振り返る。
 そこにはすらりとした美しい娘が立っていた。理知的で、しっかりした意志を感じさせる顔立ちである。
 今しがた駆けつけてきたのだろう、娘は大きく息を弾ませ、胸に手を当てている。
 驚いて口を開いたのは和臣だった。
瀬奈(せな)どの……」
「よかった、間にあって」
 瀬奈と呼ばれた娘は、早足に和臣のもとへ歩み寄った。
「見送りはいらぬと言われましたが、どうしても出発の前に、ひと目お会いしたくて……」 
 娘の姿を見つめながら、和臣はとまどい気味に、
「困ります。わたしは任務中なのですよ」
 瀬奈は和臣のそばにいる二人に眼をやり、はっとした。あわてて数歩下がり、深々と頭を下げる。
「これは大変失礼いたしました。ご領主さまと奥方さまの前とは存じませず、申し訳ございません」
 恐縮する娘に、藤音は柔らかく笑いかけた。
「かまいませんよ。大切な人を見送りたいという気持ちは、誰しも同じ。で、和臣どの、こちらの娘さんはどなた? 紹介してくださいな」 
 藤音に乞われては紹介しないわけにはいかない。和臣は軽く咳払いしてから話し出した。
「こちらの娘御は石上(いしがみ)瀬奈と申します。わたしが羅紗から戻ったら、正式に婚約するつもりでおります」




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み