第30話 非礼

文字数 482文字

 一瞬、蘇芳の眼が見開かれ、続いて高笑いが響いた。
「これはまあ、なんと殊勝な」
 額に手をやり、おかしそうに笑う。そしてぽつりと、
「……あいつは、誰からも愛されるのだな」
「え?」
 真意をはかりかねて藤音は聞き返したが、返答はなかった。代りに今度は顎に指がかけられ、強引に蘇芳の方を向かされる。
「そう邪険にするな。その健気さ、ますます気に入ったぞ」
「お離しくださいませ!」
 藤音は語気を強めた。ここまで非礼が過ぎると、もはや客人だからと遠慮してはいられない。
 きっと蘇芳を見すえた時、藤音は自分を呼ぶ声を聞いた。
「藤音さま、どちらでございます?」
 聞き慣れた如月の声が天の助けに思えた。姿の見えない自分を探しに来てくれたのだ。
「如月、わたくしはここよ!」
 広間の人々のざわめきの中、藤音も声を張り上げて如月に呼びかける。
「乳母が探しておりますので、失礼いたします」
 思いきって蘇芳の手を振り払い、廊下に出て来た如月の方へ逃げるように急ぐ。
「まあ、藤音さま、こんなところにおいでに……」
 言いかけて如月は眼をまるくした。藤音が助けを求めるようにしがみついてきたのである。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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