第44話 心のままに

文字数 659文字

 しかも藤音にはわかっていた。蘇芳が本当に手に入れたがっているのは自分自身ではなく、九条隼人の妻だ。ちょうど子供が他の子供の玩具を欲しがるように。
 長い沈黙の後、藤音は決意をこめて告げた。
「お心のままに、なさいませ」
 静かな、しかし凛とした口調。
「隼人さまがどのような決断を下されようと藤音は沿います。決して後悔などいたしません」
「藤音……」
「わたくしはあなたさまの妻です。覚悟はできておりますわ」
 強い想いを秘めて微笑んでみせる。
 世界中が敵になろうと自分だけは隼人と共にありたい。たとえ、どんな結末になろうとも。
 ひっそりと夜はふけていった。
 返答の期限は明朝。蘇芳が京の都へ発つ刻限までだ。
「いかがいたしましょう。もし隼人さまがおひとりでゆっくりと考えたいのでしたら、わたくしは自室に下がりますが……」
 遠慮がちに問いかける藤音の手を取りながら、いや、と隼人はかぶりを振った。
「藤音にはここにいて欲しい。わたしのそばに」
「では、おそばにおります。このままご一緒に」
 二人はひとまず座り、寄り添った。隼人の胸に顔を埋める藤音の耳に、規則正しい鼓動が伝わってくる。
 こんなに大変な時なのに、ひどく静かな夜だった。
 侍女たちは事情を察して誰も来ない。あたりは物音ひとつせず、まるで世界に二人きりでいるかのようだ。
 隼人の考え事の邪魔をしないよう、藤音はただ黙って腕の中に身をまかせていた。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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