第42話 衝動

文字数 644文字

 同じ頃、隼人はひとりでぼんやりと部屋の壁を眺めていた。
 どうやって自室まで戻ってきたのか、あまりよく覚えていない。
 ああ、そうだ。
 蘇芳が羅紗国を攻めると宣言して、草薙からも兵を出すようにと……。
 そこで宴は終わりとなり、人々は動揺しながらも各々の部屋に帰っていった。
 のんびり呆けている場合ではない、とわかってはいるのだが、頭の芯が麻痺しているかのようだ。
 隼人は二、三度頭を振り、手だてを考えなくては、と自分に言いきかせた。
 父の跡を継いで領主となった時から、領地と領民を守ることが隼人の最大の使命だった。
 今までにも困難はいくつもあった。その度、強い意志と渾身の知恵で乗り切ってきた。
 だが、今回は。あまりにも強大な権力の前に打つ手がなかった。
 もし拒めば、蘇芳は何のためらいもなく草薙を蹂躙するだろう。
 草薙を守るためには、蘇芳の──帝の命令に従い、羅紗へと出兵するしか道はないのか。
 そう思った瞬間、身体の奥から強い衝動がこみあげてきて、隼人は思わず拳で壁を叩いた。
 ──嫌だ。
 何度も壁を叩きながら、あえぐように息をした。吐き気すらしてくる。
 領民を守るためとはいえ、平和に暮らしている他国の人々を殺戮に行くなど、嫌だ!
「隼人さま ⁉」
 耳に入ってくる、自分を呼ぶ声。
「おやめください、手が……!」
 駆け寄ってきた藤音が隼人の腕にしがみつく。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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