第71話 覚悟してはいても

文字数 594文字

 隼人たち三人が乗りこむと、渡してあった板が外され、船がゆっくりと動き出す。
 甲板から多くの将兵に混じって三人が手を振る。女たちもまた見送りの人々の中、大きく手を振り返す。
 覚悟してはいても、愛しい者を乗せた船が遠ざかっていくさまは、胸が引き裂かれるように痛んで、藤音は唇をぎゅっと噛みしめた。
 何ともどかしいのだろう。自分にできるのは、無事を祈って待つだけだ。
 はるか遠く水平線の彼方に船影が見えなくなるまで、女たちはじっと桟橋に佇んでいた。
 やがて船は完全に視界から消え、見送りの人々も潮が引くように去っていく。
 冷たい海風に桜花は身震いした。気がつくと身体がすっかり冷たくなってしまっている。
 桟橋に残っているのは、自分たちと藤音の護衛の者くらいだ。
 寒風の中、刀を下げた二人の初老の侍はやや離れた場所で、藤音にひっそりと付き従っている。
 水平線を見つめたまま、身じろぎもしない藤音に桜花はそっと声をかけた。
「お身体が冷えてしまいますわ、藤音さま。わたくしの祖父の屋敷が近くにございます。立ち寄って、暖かいお茶をたててもらいましょう。瀬奈さまも、どうぞご一緒に。そちらの護衛の方々も」
 桜花にうながされ、残された女たちは身を寄せあうようにして、ゆっくりと歩き出した。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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