第151話 悲痛な声

文字数 736文字

 敗残兵たちの険しかった表情がゆるんだ。どの顔もやつれ、髭が伸び放題でぼさぼさになってしまっている。
「われらは白河の兵にござる」
 声に親しみがこもった。白河は草薙の隣国であり、領主である林家は藤音の実家である。
「姫さまはご健勝でありましょうや」
「嫁いできたばかりの頃は体調を崩したこともあったが、すっかりよくなって出陣を見送ってくれた」
 留守の間に藤音の身に起きた「出来事」を、隼人はまだ知らないのだが。
 彼らのやりとりを息をつめて見守っていた阿梨は、急速に緊張が解けていくのを感じた。
 何なのだ、あの打ち解けた雰囲気は。
 話している内容は自分にはさっぱりわからないが、険悪な空気が消えたことだけは理解できた。
 構えていた弓を降ろす。本人が言っていたように必要なさそうだ。
 不思議な者だ、と胸の内でつぶやいた。
 誇る武勇も何もない。なのに惹きつけられる。太陽のような笑顔に、いつの間にか心を許してしまう。
 阿梨がそんな風に考えている間にも、隼人は懸命に説得を続けていた。
「そなたたちも本当はわかっているだろう。たとえ食糧と船を手に入れたところで、航海術も持たない自分たちだけで倭国まで帰り着くのは到底不可能だ」
「ならば、われらはいったいどうすればよいのだ⁉」
 悲痛な声で彼らは叫んだ。
 この北の地で食糧が底を尽き、仲間たちは飢えと寒さで次々と倒れていった。暴挙だとわかっていても、残った三人はこうするしか手段がなかったのだ。
 隼人には故国へ帰りたいという彼らの望みをかなえてやる力はない。己とて阿梨や白瑛の情けで生かされている身にすぎないのだ。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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