第63話 約束

文字数 662文字

 もどかしさがつのり、藤音は大きく首を振った。隼人は何もわかっていない。
「新しい幸せなどと……わたくしの幸せは殿と共にありますのに」
 正面から隼人を見すえ、きっぱりと言い放つ。
「生涯、わたくしの夫は九条隼人、ただひとりでございます」
 柊蘇芳に宣言した決意は、今も少しも揺るがない。
「しかし、それではわたしに何かあった時、藤音が不憫で……」 
「心配してくださるなら、殿がご無事にお戻りになってくださればよいのです」
 額に手をやって隼人は苦笑した。
「やれやれ、ずいぶんと無茶を言う」
「少しも無茶ではございません」
 藤音は情深く一途な気性だ。こうなると頑として意志を曲げないだろう。
 隼人は根負けしたように、
「もちろん、わたしとて生きて帰ってくるつもりだよ」 
「ならばお約束してくださいませ。必ずご無事でお帰りになると」
 ああ、とうなずく隼人に、
「きっとお守りくださいませね」
 満足げに微笑もうとした時だ。急に涙があふれてきて藤音の頬を濡らした。
「明日は泣きませぬ」
 眼をこすりながら、自分に言いきかせるようにつぶやく。
「わたくしには九条家当主の奥方として、明日の出陣を見送る務めがございます。ですから明日は泣きませぬ」
 精一杯の、凛とした口調。
「されど、今夜は泣かせてくださいませ……」
 細い肩を震わせる藤音を隼人は力をこめて抱きしめた。かつてこれほど自分を想ってくれた者があっただろうか。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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