第140話 憔悴

文字数 793文字

 子を授かった喜びとは裏腹に、ひどい吐き気が藤音を苦しめていた。
「思い起こせば、藤音さまのお母上がやはりそうでした。藤音さまの時はどうにかやり過ごせましたが、二度目は重いつわりで弱ってしまわれ、弟君を出産されると亡くなられてしまったのです。きっと藤音さまも体質が似ておられるのでしょう」
 遠い昔の話なのに、つい昨日のように思い出されてくる。まだ幼かった藤音は母を慕って泣いたものだ。
 月日の経つのは何と早いものだろう。その藤音が母になろうとしている。
 桜花はもの思いにふける如月をのぞきこむようにして、
「わたくしの祖父はとても薬草にくわしい者です。よい薬湯を作ってくれると存じますが」
 如月は悲しげに首を横に振った。
「お気持ちは感謝しますが、おそらくは無理でしょう。そもそも薬湯が飲めないのですよ。無理に飲んでもすぐに吐いてしまわれて……」
 眼がしらに手を当てる如月に、桜花は懸命に言いつのる。
「些少ではありますが、わたくしは家系に伝わる癒す力を継いでおります。どうぞ藤音さまにお会いさせてください。お辛さを和らげることができるかもしれません」
 如月は改めて、胸の前で両手を組みあわせる桜花を見た。
 どうやらこの巫女には不思議な力があるようだ。
 以前にも鬼退治だったか魔封じだったかをやったとかいうし、試してみる価値はあるかもしれない。
 どうせ他によき手だてなど、ありはしないのだから。
 わかりました、と如月はうなずいた。
「少しでも藤音さまが楽になられるのでしたら……お願いいたします」
 二人は館へ入るとまっすぐに藤音の居室へと向かった。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、如月」
 藤音は寝床から微笑んでみせたが、その姿はすっかり憔悴してしまっている。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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