第59話 押し問答

文字数 556文字

 出発の仕度はすっかり整っているし、伊織も明日の朝までは、たいしてやることもない。
 二人は手を取りあって子供の頃の話をしたり、未だ決まらない桜花の後任の者について考えたりしているうちに夜はふけてゆく。
 と、遅ればせながら伊織はある事実に気づいた。
 普段は伊織がひとりで使っている簡素な部屋だ。当たり前だが寝具などひとつしかない。
 この状況は、どうしたものか。
 やはりここは潔く桜花に譲るべきだろう。
 考えこむ伊織を桜花が不思議そうにのぞきこむ。
「どうかしたの? 黙りこんで」
「明日は舞いの奉納があるのだろう? 少し寝ておいた方がいいんじゃないかと思って」
「伊織だって明日は出陣でしょう。身体を休めておいた方がよくなくて?」
 俺は大丈夫だ、と言いながら、とりあえず部屋の隅に置いてある寝具を畳に広げていく。
「これは桜花が使うといい」
 そこでようやく桜花は伊織が考えこんでいた意味を理解し、赤くなった。この部屋には寝具がひとつきりなのだ。
「わたしは勝手に押しかけてきたんですもの。伊織が使って」
「いや、桜花が」
 しばらく押し問答が続いたが、(らち)があかず、二人は困惑気味に顔を見あわせた。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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