第154話 予感

文字数 813文字

 伊織は頭をぽりぽりとかいて、
「せっかく動けるようになったんだ。だいたい、桜花のいない城でひとりで寝ていても……つまらん」
 ぼそっと言うと、近くに人がいないのを確認して、桜花の肩を抱き寄せる。
「会いたかった……桜花に」
 耳もとで久しぶりに聞く声に、桜花は胸の音を弾ませながら、こくりとうなずいた。気持ちは同じだ。
 寄り添ったまま、二人は浜辺に視線を向けた。
 役目を終えた救い小屋はすでに半分以上が撤去されていた。
 手当てを受けた兵たちは回復すると、それぞれの郷里へと帰って行き、今では流れ着く船とてない。
 ただ、隼人は戻らない。消息さえつかめない。
 あの日。あの時。自分がもっと注意していれば……。幾度となく繰り返した苦い後悔が伊織の胸に広がっていく。
 それでも藤音は遠海にとどまり続けていた。
「藤音さまは今も隼人さまのお帰りを信じて、待っていらっしゃるわ」
 如月に乞われて藤音のそば近く仕えた当初は、頻繁に癒しの力が必要だったのだが、今ではひどかったつわりもだいぶ治まってきている。
 体調が落ち着いた藤音は食事も充分に取れるようになり、ふっくらし始めたお腹の子に愛しげに語りかけている。
「あなたのお父さまは優しくて、勇気があって、とても立派な方なのよ。必ず帰ってくるとお約束くださいました。一緒にお帰りを待ちましょうね」
 そっと自分のお腹を撫でては、部屋から海を眺めて日々を過ごしている。
「わたしもよ。隼人さまはきっとどこかで生きておられる、そんな気がするの」
「それは巫女としての予言か?」
 桜花の言葉が真実なら、藤音も自分もどれほど希望が持てるだろう。
「予言なんて大げさなものじゃないわ。でも、うまく説明できないけれど、予感がするの」
 彼方の水平線を見つめながら、確信めいて桜花は言った。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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