第142話 穏やかな姿

文字数 674文字

 本当は隼人がそばにいて励ましてくれることが、一番の薬になるのだろうが、今はかなわない。
「どうぞ眼をつむってお楽になさってくださいませ」
 少しでも藤音の辛さが和らぐように、桜花は自分も眼を閉じて意識を集中させた。
 二人を柔らかな金色の光が包み、重ねた手から桜花の持つ清らかな「気」が流れこむ。
 藤音はほうっと息をついた。何と暖かくて心地よいのだろう。
「……あの時は、ごめんなさいね」
 ぽつりと告げる藤音に、手を重ねたまま、桜花は眼を開けて小首をかしげた。
「伊織どのが報告に城に帰ってきた日よ。わたくしはあなたたちに扇を投げつけてしまったわ。伊織どのはあんなにひどい怪我を負っていたのに」
 もたらされた知らせはあまりに残酷で、どうしてよいか混乱するばかりで。
 どうぞお気になさらないでください、と桜花は微笑んだ。
「藤音さまがどれほど苦しまれたか、お心はわかる気がいたします。きっと伊織も同じだと思います」
「あなたは優しいのね……」
 閉じたままの瞼から涙がひとすじ、頬を伝わっていく。
 ほどなく藤音は静かな寝息をたて始めた。
 藤音が眠りについたのを確かめると桜花はそっと手を離し、如月の方を振り返った。
「これで少しは落ち着かれたかと存じます」
 如月は眼を見張って何度もうなずいた。
 話には聞いていても、桜花の力を実際に見たのは初めてだ。
 正直、これまでは半信半疑だったのだが、藤音のこんなに穏やかな姿は久しぶりに眼にする。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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