第135話 変調

文字数 690文字

 家臣たちの間で隼人の後継者問題が持ち上がっているとは露知らず、藤音は遠海の浜で粥を作り続けていた。
 いつものように鍋に米と水を入れ、弱火でぐつぐつと煮込んでいく。すっかり日課となった作業だ。
 だが、その日はいつもと違っていた。
 朝からあまり体調は良くなかったのだが、米を煮る匂いをかいでいるうちに、胃のあたりがむかついて気分が悪くなってしまったのだ。
「如月」
 藤音は小声で近くにいる如月を呼んだ。自分も大鍋をかき回していた如月が振り返る。
「何でございましょう」
 藤音の蒼白な顔を見て、如月は息を呑んだ。
「いかがなさいました⁉ 藤音さま」
「何だか、気分が悪くて……。この鍋を頼めるかしら」
 如月はあわてて侍女を呼び、自分たちの作業していた鍋を任せると、藤音の肩を抱くようにして小屋の戸口まで来た。
「外に、出たいわ」
 藤音は口もとを押さえ、やっとの思いで言った。今は食べ物の匂いをかいでいたくない。
「いったいどうされたのでしょう。お疲れが出たのかしら……」
 小屋の外に置かれた木箱に座りこんでいる藤音は見るからに具合が悪そうだ。
 無理もない。遠海に来て以来、毎日欠かさずに傷病者たちの食事を作り続けてきたのだ。しかも帰らぬ隼人を心配しながら。
「お館へ戻られた方がよろしいでしょう。駕籠を呼びましょうか」
 藤音は無言でうなずき、如月は暖簾を手でかき分けると、中にいた侍女に使いを頼んだ。
 館と浜は目と鼻の先なのだが、今の藤音の様子では歩くのも辛いだろう。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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