第130話 真っ先に

文字数 989文字

 察した通り、祖父が診ているのは主に病人だった。病で弱った彼らに薬湯を飲ませ、体を拭き、食事を取る手助けをするのである。
「桜花」
 呼ばれて瞳を向けると、祖父は声をひそめ、耳打ちしてくる。
「むやみに治癒の力を使ってはいかんぞ。ここにはあまりにも怪我人や病人が多すぎる。皆に力を使おうとしたらそなたの体がもたない。そなたの力は、いわば切り札じゃ。使うのはよほど苦痛のひどい者だけに限るように。よいな?」
 桜花は真剣な顔つきで、承知しました、と答えると、祖父の指示のもと、さっそく病人に薬湯を飲ませ始めた。
 今日は巫女装束ではない。髪はいつものようにうなじですっきりとまとめ、小豆色の小袖にたすき掛けといった、動きやすいいでたちである。
 巫女の衣装など着てこなかったのは正解だった、と十耶は思った。
 天女の末裔と呼ばれ、人々を癒す天宮の巫女の存在は半ば神格化されている。もしあの格好だったら、苦しんでいる者たちが救いを求めて殺到しただろう。
 ああして小袖姿ならごく普通の娘だ。傾国の美女とまではいかなくても、可憐で愛らしく見えるのは身内のひいき目だろうか。
 薬湯を鍋から椀に注ぎながら、十耶はひとり口もとをほころばせた。

 一方、藤音は傷病者たちの食事を用意する、炊事小屋にいた。
 着いた早々、こちらも小袖にたすき掛けで粥を作っている。
「何も奥方さま自ら粥など作らなくても、よろしゅうございますのに」
 女にとって大切な着物を売り払い、救い小屋を建てただけでも充分ではないか。
 なのに、わざわざ遠海まで来て、飯炊き女をやる羽目になろうとは……。
 ぶつぶつと愚痴をこぼし続ける如月に、藤音は苦笑いを浮かべながら、
「如月、いくらぼやいてもかまわないけど、ちゃんと手は動かしていてね」
「もちろん、わかっておりますとも」
 何のかんの言っても、結局のところ如月も主にならい、大鍋いっぱいに粥を作っている。
「ここでわたくしにできることなど、食事を作るくらいですもの。動いていた方が気が紛れるし、それに……」
 藤音は一旦、言葉を切って鍋から顔を上げた。
 小屋の外、海の方角へと視線を向ける。
「それに、ここにいれば殿がお戻りになられた時、真っ先にわかるでしょう?」




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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