第159話 帰還

文字数 823文字

 春も終わろとするその日、朝から遠海の浜は騒がしかった。
 沖合に初めて見る異国の船が姿を現したのだ。
 船は黒塗りで、へりの部分にだけ朱や青といった極彩色が施されている。
 最初は羅紗の水軍が攻めてきたのかと蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、船は一隻だけで、どうも戦をやりに来たわけではないらしい。
 危険がないとわかると、村人たちは珍しい異国船を見物にこぞって集まってくる。
 船は徐々に海岸に近づき、やがて停止した。甲板から一隻の小舟が降ろされる。
 小舟には四名ほどの人間が乗っており、砂浜へむかって漕いでくる。
 一連の様子を遠眼鏡(とおめがね)から覗いていた者が叫んだ。
「殿が乗っておられるぞ!」
 人々はまたもや蜂の巣をつついたような騒ぎになり、知らせはすぐさま館にもたらされる。
「殿が……? それはまことなのですか⁉」
 あまりに突然の知らせに、詳細もわからぬまま、海辺へと急ぐ藤音を追って如月が叫ぶ。
「藤音さま、走ってはなりませぬ! 転びでもしたら大変ですよ!」
 桜花もまた、いまだ足の不自由な伊織と共に浜へと向かった。
「……生きて、おられたか」
 眼がしらを押さえる伊織に、桜花は黙って寄り添いながら歩いた。
 人々がわれ先にと追い越してゆくが、二人は一歩ずつ、踏みしめるように足を運んでゆく。
 心ならずも主君を残して撤退してしまったという事実に、伊織がどれほど苦しんできたか、桜花は誰よりもよく知っている。
 だから隼人の帰還は、伊織と桜花にとっても特別な意味を持っているのだ。
 白河の兵たちが漕ぐ小舟に乗っていた隼人は、岸辺近くまで来て、人々の中に藤音の姿を見い出した。
 一瞬、なぜ藤音が遠海にいるのか疑問が浮かんだ。が、すぐに察しがついた。
 藤音は城を離れ、海に面したこの地で自分を待っていてくれたのだ。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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