第1章 平穏 

文字数 520文字

 藤音(ふじね)は闇の中をひとり彷徨(さまよ)っていた。
 ここはいったいどこなのか、まるでわからぬまま、周囲を見回すと遠く前方に光が見える。
 深い闇の中でその場所だけがくっきりと鮮やかな赤い色を放ち、引き寄せられるように足を向ける。
 だが、近づいてみると、すぐさま異変に気づいた。
 赤い光と思ったそれは家々や畑を焼き払う紅蓮の炎だったのだ。
 武具のぶつかりあう音。飛び交う怒号。馬のいななき。逃げまどう人々の悲鳴。
 藤音は慄然とした。ここは、戦場(いくさば)だ。
 なぜ、自分はこのようなところに……!? 
 混乱する藤音の前に突然、黒い影が立ちはだかり、刃を振り下ろそうとする。
 逃げようとしても金縛りにあったように体が動かず、かすれた悲鳴を上げた刹那(せつな)
「藤音」
 どこかから自分の名を呼ぶ声が聞こえ、肩が軽く揺すられる。
 そこで、眼が覚めた。
 まばたきして瞳をこらすと、隣で隼人(はやと)が心配げにこちらを見つめている。
 首の後ろで簡単に髪を結んだ、聡明そうな面ざし。年はまだ十七だが、亡き父の跡を継いだ草薙(くさなぎ)の地の領主である。
 見慣れた城の一室。額に浮かぶ汗を手でぬぐいながら、藤音はほうっと息をついた。
「どうした? うなされていたようだけど」
 夢をみました、と藤音はぽつりと答えた。

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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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