第121話 自責の念

文字数 575文字

 伊織の視線を感じたのか、やがて桜花は眼を覚まし、微笑んだ。
「お帰りなさい、伊織」
「また無茶をしたな、桜花」
「だって……」
 伊織は手を伸ばして桜花の柔らかな頬にそっとふれた。みるみるうちに桜花の瞳がうるんで、頬にふれた伊織の手を両手で包みこむ。
「あのね、九条家にお仕えする後任が決まったわ。柏木(かしわぎ)さまという立派な神官さまよ。亡くなった父さまに少し似ているわ」
 それはよかった、と伊織は小さく笑む。
 これでやっと祝言が挙げられる。しかし今の二人は自分たちのことより、隼人の身が気がかりでならない。
「隼人さまは……」
「報告した通りだ。最悪の事態を覚悟したが、いくら探してもご遺体さえ見つからなかった。俺は羅紗まで行きながら殿を守れなかった……」
 うつむき、肩を震わせる伊織を、桜花はそっと抱きしめる。
「お願い、今は何も考えないで」
 戦場に隼人を置き去りにしてしまったという自責の念は、伊織から生きる気力を奪ってしまう。
 いくら桜花が力を尽くそうと、生きようとする意志のない者を救うことはかなわない。
 痛みは楽になったが、体力はまだ回復していなかった。抗いがたい眠気に襲われ、伊織は瞼を閉じて再び深い眠りの底に落ちていった。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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