第145話 聞き覚えのある名

文字数 716文字

 ひとしきり言葉を交わした後、ふと王は背後に控える隼人に眼をやった。
「あの者は?」
 阿梨は振り返ると、こめかみに指を当てて首をひねった。
「うーん、人質の価値はないそうだし、かといって捕虜でもないし、まあ客人といったところかな」
「倭国の者か?」
 王の表情が険しくなる。
 隼人は黙って片膝をつき、(こうべ)を垂れた。
 無邪気な白瑛に誘われるまま、つい同行してしまったが、本来なら敵国の人間である自分が国王の御前になど顔を出していいはずがない。
 己の迂闊さが悔やまれた。
 いくら阿梨や白瑛がかばってくれても、国王が本気になれば命令ひとつで自分の首など簡単に()ねられるだろう。
 そんな事態になれば二人の立場を悪くしてしまう。
「なぜ倭国の者がここにいる?」
「この者は白瑛の命の恩人です。戦場で怪我をしていたところを、王子の願いで助けました」
 冷静に説明する阿梨に白瑛は重ねて、
「本当だよ、父さま。みんなと離れて動けずにいた僕を王宮の抜け道で見つけた時、隼人は黙って見逃してくれた。王子を捕らえれば手柄になったのに。僕はその後で水軍の兵に発見されて姉さまと会え、こうして父さまとも再会できたんだ」
 わずかに表情を和らげる父に阿梨は畳みかけるように、
「父上は倭軍の中に、戦で死んだ者を敵も味方も同じように丁重に弔っていた部隊があったのをご存知ですか?」
「ああ、知っている。敵にしてはよき心がけだと思ったものだ」
「この隼人が、その部隊の将です」
 九条軍という名に聞き覚えがある、そう感じたのは、だからなのだ。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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