第68話 立会人

文字数 773文字

 しかし瀬奈は和臣のもの言いが不満だったらしい。
「どうして許嫁(いいなずけ)だと、おっしゃってくださいませんの?」
「何度も申し上げたでしょう。その件は、わたしが生きて帰ってきてからだと。今、婚約などすれば、わたしが戻れぬ時には瀬奈どのの将来に傷がつきます」
「ひどい言い方をなさいますのね。好きなお方と約束を交わすことが傷だなどと……」
「わたしはただ、あなたのためを思って……」
 二人のかたわらで隼人と藤音は顔を見あわせた。同じというわけではないが、どこかで聞いたようなやりとりである。
 藤音はまったく、とため息をついた。男というものは女の気持ちがまるでわかっていない。
 一方、桜花は出ていく機会を逃してしまい、少し離れた場所でもじもじしていた。その姿を見つけ、伊織が手招きすると、ほっとしたように小走りにやって来る。
 装飾品を外し、地味な肩掛けをまとった桜花はごく普通の、むしろ内気そうな娘で、先程人々を魅了した舞姫とは別人のようだ。
 もっとも伊織は素のままの桜花も好きなのだが。
 瀬奈の出現で足を止めたままの一行を、伝令の者が呼びにくる。
「殿、皆すでに船に乗り込み、準備を整えて待っております」
 わかった、と隼人が答え、一行をうながした。
「時間があまりありません。話は歩きながら……」
 桟橋へ向かいながらもやりとりは続いたが、和臣と瀬奈は平行線のままだ。
 じれったく思いながら聞いていた藤音は、ついに決心して話に割りこんだ。
「和臣どの」
 奥方に呼ばれ、先頭を歩いていた和臣が振り返る。
「いっそこの場で婚約してしまいませ。わたくしが立会人になりましょう」
「ええっ⁉」
 日頃は冷静な和臣もさすがに驚愕の声を上げる。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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