第134話 大きな問題

文字数 862文字

 一旦、言葉を切って、遠くを見るように視線を宙に泳がせる。
「わたしの母は先代の長の娘だった。国王である父と深く愛しあっていたが、王妃となって宮廷で暮らすことはできなかった。
 母は海から離れて生きられなかったのだ。わたしと同じように。父は母の生き方を尊重し、別の妃を迎えた。白瑛は腹違いの弟だ。そして祖父の死後、わたしが水軍の長を引き継いだ」
 母も王妃もすでに亡い。側近たちにどんなに勧められても、父はもう誰も(めと)ろうとはしなかった。
 阿梨の両親の昔語りは隼人に藤音を思い起こさせた。
 藤音は今頃どうしているだろう。きっと自分の身を案じているに違いない。
 曽我水軍と九条軍も気がかりだった。無事に故国まで帰り着いただろうか。
 せめて自分が生きていると知らせることができたら、と思うが、海の上、しかも羅紗水軍の船にいてはどうしようもない。
 藤音に会いたい。笑顔を見て、柔らかな声を聞いて、ぬくもりにふれたい。
 そう願いながらも隼人が身動きが取れないでいる間に、草薙では大きな問題が浮上していた。
 当主の長引く不在である。 
 羅紗での敗戦以来、隼人の消息は知れない。八方手を尽くして情報を求めたが、依然、行方不明のままである。
 もう隼人が戻ってくる望みはないのではないか。諦めにも似た空気が家臣たちの間に漂い始めていた。
 藤音は遠海に行ったきりで、今は筆頭家老の結城が当主代行を務めている。
 が、いつまでも一国の主が不在というわけにはいかない。他国につけ入れられる好機とされかねない。
 とすれば次の当主を早々に立てねばならない。
 だが、後継者を決める、というのが難題であった。
 隼人には兄弟がいない。子供もない。近しい身内がおらず、天涯孤独に近いのである。
 直系がおらぬのなら分家筋から、しかるべき者を探さねばならないのだが、
「古賀家の雅之どのはいかがであろう。賢明なお方との評判だが」
「いやいや、血筋からいえば早坂家の幸平どのの方がふさわしいかと」
 家臣たちが各々自分の思惑の者を推挙するので、話し合いは一向にまとまらないでいた。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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