第113話 散り椿

文字数 717文字

「──あ」
 草薙にある九条の城の一室で、花を活けていた藤音は思わず声を上げた。
「いかがなさいました、藤音さま?」
 隣で同じように花を活けていた如月が顔を向ける。
「花が……」
 見れば、藤音の膝の上には椿の花が一輪、転がっている。
「さっきまでは何ともなかったのに、突然、ぽろりと落ちてしまったの」
 如月はまあ、と軽く眉をひそめてみせた。
「でもお気になさることはございませんよ。椿の花はちょっとした拍子に落ちますから。首から落ちると言って嫌う者もおりますが、わたくしは好きですよ」 
「ええ、そうね。わたくしも好きよ。厳しい真冬にこんなに鮮やかな赤い花を咲かせてくれるのだもの」
 藤音は鋏を置き、窓の外に眼をやった。
 どうしてか妙に心が騒いで落ち着かない。得体の知れない不安がのしかかってくる。
 蒼穹を見つめる視線の先を(はやぶさ)が一羽、軽やかによぎっていく。
 藤音は思わず立ち上がり、空へと手を差し伸ばした。
 隼人と同じ名を持つ鳥はさながら、かのひとの魂の化身のように思われた。

 王宮の南の湿原では徐々にではあるが、霧が晴れようとしていた。
 霧が晴れてしまえば、陸戦に不慣れな水軍の兵は容易には攻撃をしかけられない。
 隼人があらかじめ指示してあった伝令は街道沿いの陣地までたどり着き、援軍を連れて戻ることに成功していた。
 佐伯は有能な指揮官だった。九条軍が先鋒を務め、開いた突破口を無駄にしなかった。
 あちこちで小競り合いを繰り返しながらも、倭国の軍は犠牲を最小限にとどめながら、撤退を遂行していった。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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