第54話 本当の恋

文字数 605文字

「茉莉香姫──」
 両手で顔をおおう姫に、隼人は優しく語りかけた。
「人には(えにし)というものがございます。姫ならば、わたしなどよりもっとふさわしいお相手がきっと現れましょう」
 茉莉香はべそをかいていた顔を上げた。
「本当に、そう思われます?」
 もちろんです、と微笑してみせる。
 この少女が自分に寄せてくれているのは淡い憧れのようなものだ。いずれは姫も大人になり、本当の恋を知る時が来るだろう。
 しばらくの間、庭の草花を眺めていた姫は思い切ったように唇を開いた。
「奥方さまはどのようなお方ですの? たいそう美しい姫君だという噂は、耳にいたしましたけれど」
 隼人はしばし考えこんだ。藤音の人となりを説明するのは、いささか難しい。
「……とても情の深い人です。この度の羅紗行きも、悩んでいたわたしに心のままにするようにと言ってくれました。わたしがどのような決断を下そうと、沿うと。決して後悔などしないと」
 愛されておいでなのですね、と姫は感慨をこめて告げた。
「到底、わたくしの入る隙間などありませんわね」
 瞳をうるませながら、かろうじて微笑んでみせる。
「海風が強くなってきましたわ。中に入りましょう。茉莉香が美味しいお茶をたててさしあげます」
 ひらりと着物の裾を返すと、姫は軽やかに歩き出した。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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