第53話 茉莉香姫

文字数 590文字

 予想していたよりすんなりと話がまとまると、隼人は茉莉香姫に案内されて庭に出た。
 海に面した高台に建つ城からは、曽我水軍の本拠地である港がよく見え、絶えず波の音が聞こえてくる。
「もう少し早い時期でしたら、秋の花が咲いていたのですが、だいぶ枯れてしまいましたわ」
 わずかにまだ花をつけている萩に手にふれながら、姫が残念そうに話す。
「隼人さまには美しい庭をご覧になっていただきたかったのに」
「季節は移ろっているのですから、仕方ありません」
「そうですわね。嘆いてみても詮ないことですわね」
 茉莉香姫は口をつぐんでうつむいた。眼に涙がたまってこぼれ落ちそうになっている。
「姫、いかがされました?」
 隼人がのぞきこむと、姫はあわてて目もとを手でぬぐった。
「何でもございません。ただ……」
「ただ?」
「詮なきことなのに、やはり考えずにはいられませんの。どうか笑わずにお聞きくださいね。茉莉香は隼人さまの花嫁になりとうございました」
 細い声で告げると、姫は泣き顔を見られないように隼人から顔をそむけた。
 ふと隼人は思った。
 もし藤音との縁組がなかったら、自分はこの愛らしい姫を(めと)り、曽我水軍の後継者となっていたかもしれない。
 藤音には決して聞かせられない話だが。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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