第110話 最後の命令

文字数 727文字

 おおっ、という歓声が湧き起こる中、さらに続けて、
「鎧や兜はつけるな。地下道を抜ければ、足場の悪い湿地帯だ。重い防具などまとっていては身動きが取れなくなる」
 隼人は最初から腰に刀を差しただけの軽装である。
 美々しい鎧にがっちりと全身を固めた桐生元基は一瞬、えもいわれぬ複雑な表情を浮かべたが、息子二人の手を借りて黙々と鎧を外していく。
 息子たちは両側から父の耳元で、
「父上、ですから張り切り過ぎだとお止めしましたのに……」
「兄上に同感です。鎧兜は戦場の華などと申されて……ここは倭国ではないのですぞ」 
「ええい、うるさいっ。しのごの言わず、さっさとこの紐を解かぬかっ」
 副将にならい、あちこちでがしゃがしゃと鎧や兜を脱ぐ音が響く。
 やがてその音も絶えると、隼人は再び兵たちを見回した。
「最後にひとつ命令する。生きよ。誰ひとり欠けず故国に──草薙に帰ろうぞ‼」
 
 隼人は軍をいくつかの小隊に分け、松明の灯りを頼りに注意深く王宮の地下道を進んでいった。
 今のところ羅紗の兵が侵入してくる気配はない。
 皮肉なものだ。昨日残党狩りをした抜け道を、今度は自分たちが追われる身となって歩いている。
 地下に降りた時点から、伊織と和臣は隼人のそばにぴったりと添っていた。
 困難が予想される戦いで、二人は何としても隼人を守らねばと心に誓っていた。それが自分たちの役目であり、遠い異国まで来た理由なのだ。
 長い地下道の先にわずかに光が見えた。出口だ。
 あと少しだ。この闇から抜け出せば、眼の前には葦の生い茂る湿地帯が広がっている──はずだった。




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登場人物紹介

九条隼人(くじょうはやと)


若き聡明な草薙の領主。大切なものを守るため、心ならずも異国との戦に身を投じる。

「鬼哭く里の純恋歌」の人物イラストとイメージが少し異なっています。優しいだけではない、乱世に生きる武人としての姿を見てあげてください。

藤音(ふじね)


隼人の正室。人質同然の政略結婚であったが、彼の誠実な優しさにふれ、心から愛しあうようになる。

夫の留守を守り、自分にできる最善を尽くす。

天宮桜花(あまみやおうか)


九条家に仕える巫女。天女の末裔と言われ、破魔と癒しの力を持つ優しい少女。舞の名手。

幼馴染の伊織と祝言を挙げる予定だが、後任探しが難航し、巫女の座を降りられずにいる。

桐生伊織(きりゅういおり)


桜花の婚約者。婚礼の準備がなかなか進まないのが悩みの種。

武芸に秀で、隼人の護衛として戦に赴く。

柊蘇芳(ひいらぎすおう)


隼人とはいとこだが、彼を疎んじている。美貌の武将。

帝の甥で強大な権力を持ち、その野心を異国への出兵に向ける。

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の長。戦の渦中で隼人の運命に大きくかかわっていく。

白瑛(はくえい)


王都での残党狩りの時、隼人がわざと見逃した少年。実はその素性は……。

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