8-1. 竜騎手(ライダー)フィルバート ③
文字数 1,566文字
「じゃあ、わたしは茶器を準備するから、イニはお湯を沸かしてちょうだい」
「そうしよう」
今は王二人となったかつての老人と養い子は、彼らなりの手順で用意をはじめた。だが、もともと家事一般があまり得意ではなかったうえに、最近では周囲がやってくれることに慣れきっているため、見ているほうが危なっかしい手つきだった。マリウスは着火したあと竜術で空気を温めていたが、力加減がよくわかっていないのか、近くの足場に燃え移りそうな勢いだ。リアナはといえば、鉄製の土瓶を鍋つかみもなしに火にかけている。
見ているほう、つまり上空のクローナンとフィルが、訓練も忘れて同時に悲鳴をあげた。
「マリウス卿! よそ見をするな!」
「リア、その取っ手は熱くなるから……」
が、親子はまるで聞いていなかったかのように続け、結果として、リアナが「あつっ」と言って放した土瓶が地面に落ち、地面からあがりかけていた煙をじゅっと消火した。
「消えたな」「こぼれたわね」
二人は地面を凝視して、他人事のような感想を述べた。
「訓練したてのコーラーといってもこんな初歩的な失敗はしないぞ。卿らときたら、まったく……」地面へ降りてきたクローナンが言う。フィルがそのあとに続いた。「フィル、陛下の指を冷やしてさしあげなさい」
「すみません、実験台にして。ちょっと見せて」
リアナは、フィルに手を取られるにまかせた。空気中の水分を凍らせるのは自分でもよくやっていたので不安はないが、やはりすこし複雑な気持ちだ。
「こうしているのは嫌?」
「え?」
「俺が、あなたの心臓を使って、あなたの竜を従えるのを見るのは……」
フィルはリアナの指に落としていた視線をあげて、彼女を見た。なにかを恐れるような、気がかりそうなその顔に、リアナは罪悪感を覚えた。
(馬鹿ね、わたし。フィルのほうがずっと気にしているはずなのに。わたしを〈ハートレス〉にしたって、気に病んでいるんだわ)
それで、わざと冗談めかして言った。
「実を言うと、ちょっと懐かしくなっていたところよ。部屋も食べ物もみんな凍らせて、ネズミをかじってまわりから化け物扱いされていたころがね」
フィルは「ハッ」と白い息を吐きだすように笑った。めったに見せない、皮肉気な笑みだ。それから、笑みをひっこめて真面目な顔をつくった。
「時間をとって、すみません。最低限の能力の使い方は頭に入れておきたくて。……明朝には出立できます。飛竜とレーデルルと一緒に――今度は竜上だから、タマリスまで二日もかかりませんよ」
リアナは強いてにっこりした。「よかった」
フィルはまだなにかを言い足りない顔を見せたが、結局、「じゃあ、またあとで」と言って訓練に戻っていった。
彼が去ると、マリウスが隣にやってきた。
なにを思ったのか、養い子に向かって不穏な声でささやいた。「『〈竜の心臓〉なんて要らない。あなたの心が欲しい』」
リアナは正面を向いたまま問うた。「……フィルがそう言ったの?」
「いいや、言わない」見あげると、斜め上に邪悪な笑みがあった。「だが、そう思っているのではないかな、わが子よ」
本当に、この男は。
人心を惑わすような悪趣味な元養い親に、リアナは何と言ったものかと思った。イニにも空気を読まないと言うか人をイライラさせるようなところがあったが、メナやアミたちは「年寄りの言うことだから」と流していたのである。若くハンサムな王の言葉だと思うと、許してやろうという気にならない。それで、辛辣に言った。
「わたしはあなたの娘じゃないし、フィルはそんなこと言わないわ」
男は笑みを深めたようだった。「おまえにあの男のことがわかると?」
リアナは戦闘訓練に戻ったフィルの背中を見ていた。
「ええ」そして、胸に手を当てて、わきあがる喪失感をやり過ごそうとした。「わかっているわ」
「そうしよう」
今は王二人となったかつての老人と養い子は、彼らなりの手順で用意をはじめた。だが、もともと家事一般があまり得意ではなかったうえに、最近では周囲がやってくれることに慣れきっているため、見ているほうが危なっかしい手つきだった。マリウスは着火したあと竜術で空気を温めていたが、力加減がよくわかっていないのか、近くの足場に燃え移りそうな勢いだ。リアナはといえば、鉄製の土瓶を鍋つかみもなしに火にかけている。
見ているほう、つまり上空のクローナンとフィルが、訓練も忘れて同時に悲鳴をあげた。
「マリウス卿! よそ見をするな!」
「リア、その取っ手は熱くなるから……」
が、親子はまるで聞いていなかったかのように続け、結果として、リアナが「あつっ」と言って放した土瓶が地面に落ち、地面からあがりかけていた煙をじゅっと消火した。
「消えたな」「こぼれたわね」
二人は地面を凝視して、他人事のような感想を述べた。
「訓練したてのコーラーといってもこんな初歩的な失敗はしないぞ。卿らときたら、まったく……」地面へ降りてきたクローナンが言う。フィルがそのあとに続いた。「フィル、陛下の指を冷やしてさしあげなさい」
「すみません、実験台にして。ちょっと見せて」
リアナは、フィルに手を取られるにまかせた。空気中の水分を凍らせるのは自分でもよくやっていたので不安はないが、やはりすこし複雑な気持ちだ。
「こうしているのは嫌?」
「え?」
「俺が、あなたの心臓を使って、あなたの竜を従えるのを見るのは……」
フィルはリアナの指に落としていた視線をあげて、彼女を見た。なにかを恐れるような、気がかりそうなその顔に、リアナは罪悪感を覚えた。
(馬鹿ね、わたし。フィルのほうがずっと気にしているはずなのに。わたしを〈ハートレス〉にしたって、気に病んでいるんだわ)
それで、わざと冗談めかして言った。
「実を言うと、ちょっと懐かしくなっていたところよ。部屋も食べ物もみんな凍らせて、ネズミをかじってまわりから化け物扱いされていたころがね」
フィルは「ハッ」と白い息を吐きだすように笑った。めったに見せない、皮肉気な笑みだ。それから、笑みをひっこめて真面目な顔をつくった。
「時間をとって、すみません。最低限の能力の使い方は頭に入れておきたくて。……明朝には出立できます。飛竜とレーデルルと一緒に――今度は竜上だから、タマリスまで二日もかかりませんよ」
リアナは強いてにっこりした。「よかった」
フィルはまだなにかを言い足りない顔を見せたが、結局、「じゃあ、またあとで」と言って訓練に戻っていった。
彼が去ると、マリウスが隣にやってきた。
なにを思ったのか、養い子に向かって不穏な声でささやいた。「『〈竜の心臓〉なんて要らない。あなたの心が欲しい』」
リアナは正面を向いたまま問うた。「……フィルがそう言ったの?」
「いいや、言わない」見あげると、斜め上に邪悪な笑みがあった。「だが、そう思っているのではないかな、わが子よ」
本当に、この男は。
人心を惑わすような悪趣味な元養い親に、リアナは何と言ったものかと思った。イニにも空気を読まないと言うか人をイライラさせるようなところがあったが、メナやアミたちは「年寄りの言うことだから」と流していたのである。若くハンサムな王の言葉だと思うと、許してやろうという気にならない。それで、辛辣に言った。
「わたしはあなたの娘じゃないし、フィルはそんなこと言わないわ」
男は笑みを深めたようだった。「おまえにあの男のことがわかると?」
リアナは戦闘訓練に戻ったフィルの背中を見ていた。
「ええ」そして、胸に手を当てて、わきあがる喪失感をやり過ごそうとした。「わかっているわ」