3-5. 届かない声・侍女たち ①
文字数 3,398文字
空が燃えていた。
曇天 に火の粉が舞う。男の、女の、子どもの悲鳴と泣き声。近くからも遠くからも、四方を取り囲まれているよう。建物が焼け落ちるミシミシ、バキバキという轟音。
意識のどこかでは夢だとわかっている。映像はだんだんと鮮明になっていく。本来はその場にいなくて、目にすることはなかったはずの光景。自分が生み出す、脳が補って見せる地獄絵図。その景色のなかに、ハゲタカのように旋回しながらデーグルモールが降りてくる。不気味な仮面から突き出た、鋭いくちばしでつつくようにして、里人たちの生死を確認するもの。ぞろりとしたマントを引きずらせ、死体から臓物をつかみあげてすすり上げるもの。生まれてまもない赤子をぶら下げて持っているもの。
(やめて! もう殺さないで! 連れていかないで!)
精いっぱい叫ぼうとするが、声にならない。
一人のデーグルモールがマスクを外した。頭を振って長い巻き毛を払うと、そこに自分の顔があらわれた。
リアナは今度こそ叫び続けた。
ドンドンドンッ、と激しく扉を叩く音がして、はっと目を開けた。ふたつの心臓が早鐘を打っている。悪夢と目ざめの混乱で、一瞬、〈隠れ里〉の自分の部屋にいるのではないかと思った。寝過ごしてしまった自分を、養父のイニが起こしにきたのではと。だがそれは一瞬だけの夢想に終わった。ここはイーゼンテルレの仮住まいで、外遊中で、自分はライダーに憧れる少女ではなく、王だった。
「リアナさま!」
「陛下!」
ドアを叩きながら呼びかけるのは侍女のルーイと、ハダルクの声だった。リアナも負けずに叫び返す。
「大丈夫よ!」
「ですが、お声が――」
「なにもないわ! 放っておいて!」
身体を起こして、膝を抱える。上ずった自分の声は、まるでヒステリーを起こした女のようだ。
扉の向こうではまだ安否を気遣う声が響いていたが、リアナは耳をふさいで自分の膝に顔をうずめた。
(なんて夢なの……!)
『
あのデーグルモールとの遭遇以来、悪夢は続いている。
何ひとつ自分の思うようにならず、誰もかれもが彼女を傷つけたがっているとしか思えなかった。故郷はデーグルモールに滅ぼされ、養い親は行方不明で、デイミオンは自分以外の女性と寝ていて、フィルバートは自分のもとを黙って去り、そして自分は恐ろしい半死者 かもしれないのだ。
あまりに多くのことが重なりすぎていた。もう無理よ、と何度も思う。もうこれ以上は耐えられない。脳の片隅では、今日の公務の予定を冷静に数え上げている自分がいるのがわかった。だが、構うものか。
タマリスを出てから張りつめていたものが切れ、もうこらえることはできなかった。声をあげて泣き、はばかることなくしゃくりあげた。
燃えあがるケイエで見た、不気味なデーグルモールのなりそこない……球形にふくれあがり、樹木めいた黒い模様が全身を這いまわり、最後には燃えながら腐り落ちていった。自分は彼らの仲間なのだろうか?
いつかは自分も、あんなふうになってしまうのだろうか?
それは、震えあがるほど恐ろしい想像だった。こんなことは誰にも言えないという思いと、誰かに助けてほしいという強い願いが、波のように交互に襲ってくる。
……そして、彼に助けを求めた。あのデーグルモールに遭遇したときと同じように。
〔デイミオン、デイ〕
〔お願い、応 えて〕
そこには確かに〈呼 ばい〉の絆を感じるのに、やはり応答はなかった。それでもリアナは、手の甲で涙をぬぐいながら、必死で呼びかけを続けた。
だってデイミオンは何度もそうしろと言ったのだ。手遅れになる前に自分を呼べと。
『おまえが苦しんでいるときにそばに行くこともできないなら、〈呼 ばい〉など何の意味もない』
あの日確かに、息ができなくなるほどきつく自分を抱きしめて、そう言ったのに。
〔怖いの、不安なの。助けて、デイミオン〕
〔どうして応 えてくれないの……〕
♢♦♢
疲れきって泣きながら眠り、もう目ざめたくないと思いながら目を開けた。
さんざん泣きちらしたせいで、全身が気だるくなるほど疲労している。だが、枕もとの時計を見るにそれほどの時間は経っていなかった。まだ昼にもなっていない。
しかたなく扉を開いて、ほっとした顔の侍女たちに朝の(昼の?)支度を任せた。自分のあきらめのよさはもっと賞賛されてしかるべきね、とリアナは皮肉げに考える。
泣いてもわめいても、現実は待ってくれない。今日はガエネイス王主催の大切な宴席で、王として欠席するわけにはいかなかった。やるべきことも、そのための準備も、すでに済ませているのだ。
でも、たぶん自分は、王にふさわしくはないのだろう。王には若すぎるとか必要な資質や能力に欠けるとか、そういうあいまいで悠長な問題ではない。竜族の王がゾンビであっていいはずはない。
かといって、自分が忌むべきデーグルモールかもしれないなんて、誰に相談することもできそうにない。
いや、もしかしてメドロートになら……と思いなおす。
そうだ、ネッドに相談しよう。それはいい考えに思えた。
――これが全部終わったら。フィルを探しだして、デーグルモールたちを捕まえて、子どもたちを見つけたら。そうしたら、もう一度五公会にかけてもらって、自分は退位しよう。デイミオンが王位を継ぐのだから、今度こそ、誰にもなんの問題もないはずだ。
そう考えると、みじめな気分が少しだけ落ち着くのを感じた。あれだけ呼びかけて応答がないのだから、デイミオンはきっと自分のことなどどうでもよくなってしまったのだ。そういう投げやりな気分も混じってはいたが、それでもいくらかの心の安らぎには違いなかった。メドロートのことを考えると、さらに効果があった。見たことのない母の故郷、北の領地に思いを馳せる。親戚のジェーニイからすこし聞きかじっただけだが、ノーザンはずいぶんと南の領地 とは違うらしい。
アイスブルーの海に浮かぶ氷山や、長く厳しい冬、短い夏のまばゆい緑の絨毯。いつまでも陽が沈まないという夏……
「陛下、あの、考えたのですが」
手を動かしながら、ミヤミがふとそう言った。リアナはもの思いをやめ、侍女がためらっている様子を見守った。
「もし間諜がご入用なら、はなはだ力不足ながら、わたしも多少はこなせます。侍女がルーイ一人になってしまうのが心配ですが……」
どうやら、到着後すぐの会議での話を聞いて、また今日の夜会のこともあり、この侍女なりに考えていたらしい。
やっぱり、間諜の訓練も受けているのか。うすうす感づいていたリアナは嘆息した。
「あのね、申し訳ないけど、あなた侍女としてはあんまり役に立ってないわよ。ルーイ一人でも今とたいして変わらないわ」
黒髪で小柄のこの侍女は、ドレスを着させればボタンを掛けちがえ、髪を結わせれば頭皮にピンを刺すといった具合で、間諜でもなければなぜ侍女に推薦されたのか理由がつかない。
「さようですか」
まったく表情に出してはいないが、どうもミヤミはがっかりしたようだった。「お役に立ちたかったのですが、残念です」
「別にいいわよ、そこまで忠誠を尽くしてくれなくっても」
そう言うと、ミヤミは「いえ」と首を振った。
「忠誠というか、ときには朝起きたらリアナ陛下が露のごとく消えておられないかと期待することもあるのですが――もが」
「ちょ……ちょっと!!」
リアナは侍女の口を手で覆った。
あまりにも率直な願望に、怒るよりも先に心配になる。仮にも王たる女性への暴言、聞きとがめられればどんな処分が下ってもおかしくはない。
こんなに嘘がつけなくて、この子、大丈夫なんだろうか。フィルに嘘のつき方を習ったらよかったのに。剣技やスパイ術だけじゃなくて。
「ですが」ミヤミはリアナの懸念も知らず、口もとの手をはがして続けた。「身命を賭してお仕えします」
「なんでよ……」
ミヤミは居住まいをただした。「わたしは〈ハートレス〉。『剣こそわが安寧 の祖国』。立てた誓いが重いほど、それは生き延びる力を与えてくれる」
その言葉はまるでフィルそのままのようで、リアナは胃が重くなった。
自分よりも若いほどの、こんな少女に言わせていいセリフではない。それに、フィルにだって、本当はそんなことを言わせたくない。
意識のどこかでは夢だとわかっている。映像はだんだんと鮮明になっていく。本来はその場にいなくて、目にすることはなかったはずの光景。自分が生み出す、脳が補って見せる地獄絵図。その景色のなかに、ハゲタカのように旋回しながらデーグルモールが降りてくる。不気味な仮面から突き出た、鋭いくちばしでつつくようにして、里人たちの生死を確認するもの。ぞろりとしたマントを引きずらせ、死体から臓物をつかみあげてすすり上げるもの。生まれてまもない赤子をぶら下げて持っているもの。
(やめて! もう殺さないで! 連れていかないで!)
精いっぱい叫ぼうとするが、声にならない。
一人のデーグルモールがマスクを外した。頭を振って長い巻き毛を払うと、そこに自分の顔があらわれた。
リアナは今度こそ叫び続けた。
ドンドンドンッ、と激しく扉を叩く音がして、はっと目を開けた。ふたつの心臓が早鐘を打っている。悪夢と目ざめの混乱で、一瞬、〈隠れ里〉の自分の部屋にいるのではないかと思った。寝過ごしてしまった自分を、養父のイニが起こしにきたのではと。だがそれは一瞬だけの夢想に終わった。ここはイーゼンテルレの仮住まいで、外遊中で、自分はライダーに憧れる少女ではなく、王だった。
「リアナさま!」
「陛下!」
ドアを叩きながら呼びかけるのは侍女のルーイと、ハダルクの声だった。リアナも負けずに叫び返す。
「大丈夫よ!」
「ですが、お声が――」
「なにもないわ! 放っておいて!」
身体を起こして、膝を抱える。上ずった自分の声は、まるでヒステリーを起こした女のようだ。
扉の向こうではまだ安否を気遣う声が響いていたが、リアナは耳をふさいで自分の膝に顔をうずめた。
(なんて夢なの……!)
『
なぁ、あんた本当は、もう死んでんじゃないの
?』あのデーグルモールとの遭遇以来、悪夢は続いている。
何ひとつ自分の思うようにならず、誰もかれもが彼女を傷つけたがっているとしか思えなかった。故郷はデーグルモールに滅ぼされ、養い親は行方不明で、デイミオンは自分以外の女性と寝ていて、フィルバートは自分のもとを黙って去り、そして自分は恐ろしい
あまりに多くのことが重なりすぎていた。もう無理よ、と何度も思う。もうこれ以上は耐えられない。脳の片隅では、今日の公務の予定を冷静に数え上げている自分がいるのがわかった。だが、構うものか。
タマリスを出てから張りつめていたものが切れ、もうこらえることはできなかった。声をあげて泣き、はばかることなくしゃくりあげた。
燃えあがるケイエで見た、不気味なデーグルモールのなりそこない……球形にふくれあがり、樹木めいた黒い模様が全身を這いまわり、最後には燃えながら腐り落ちていった。自分は彼らの仲間なのだろうか?
いつかは自分も、あんなふうになってしまうのだろうか?
それは、震えあがるほど恐ろしい想像だった。こんなことは誰にも言えないという思いと、誰かに助けてほしいという強い願いが、波のように交互に襲ってくる。
……そして、彼に助けを求めた。あのデーグルモールに遭遇したときと同じように。
〔デイミオン、デイ〕
〔お願い、
そこには確かに〈
だってデイミオンは何度もそうしろと言ったのだ。手遅れになる前に自分を呼べと。
『おまえが苦しんでいるときにそばに行くこともできないなら、〈
あの日確かに、息ができなくなるほどきつく自分を抱きしめて、そう言ったのに。
〔怖いの、不安なの。助けて、デイミオン〕
〔どうして
♢♦♢
疲れきって泣きながら眠り、もう目ざめたくないと思いながら目を開けた。
さんざん泣きちらしたせいで、全身が気だるくなるほど疲労している。だが、枕もとの時計を見るにそれほどの時間は経っていなかった。まだ昼にもなっていない。
しかたなく扉を開いて、ほっとした顔の侍女たちに朝の(昼の?)支度を任せた。自分のあきらめのよさはもっと賞賛されてしかるべきね、とリアナは皮肉げに考える。
泣いてもわめいても、現実は待ってくれない。今日はガエネイス王主催の大切な宴席で、王として欠席するわけにはいかなかった。やるべきことも、そのための準備も、すでに済ませているのだ。
でも、たぶん自分は、王にふさわしくはないのだろう。王には若すぎるとか必要な資質や能力に欠けるとか、そういうあいまいで悠長な問題ではない。竜族の王がゾンビであっていいはずはない。
かといって、自分が忌むべきデーグルモールかもしれないなんて、誰に相談することもできそうにない。
いや、もしかしてメドロートになら……と思いなおす。
そうだ、ネッドに相談しよう。それはいい考えに思えた。
――これが全部終わったら。フィルを探しだして、デーグルモールたちを捕まえて、子どもたちを見つけたら。そうしたら、もう一度五公会にかけてもらって、自分は退位しよう。デイミオンが王位を継ぐのだから、今度こそ、誰にもなんの問題もないはずだ。
そう考えると、みじめな気分が少しだけ落ち着くのを感じた。あれだけ呼びかけて応答がないのだから、デイミオンはきっと自分のことなどどうでもよくなってしまったのだ。そういう投げやりな気分も混じってはいたが、それでもいくらかの心の安らぎには違いなかった。メドロートのことを考えると、さらに効果があった。見たことのない母の故郷、北の領地に思いを馳せる。親戚のジェーニイからすこし聞きかじっただけだが、ノーザンはずいぶんと
アイスブルーの海に浮かぶ氷山や、長く厳しい冬、短い夏のまばゆい緑の絨毯。いつまでも陽が沈まないという夏……
「陛下、あの、考えたのですが」
手を動かしながら、ミヤミがふとそう言った。リアナはもの思いをやめ、侍女がためらっている様子を見守った。
「もし間諜がご入用なら、はなはだ力不足ながら、わたしも多少はこなせます。侍女がルーイ一人になってしまうのが心配ですが……」
どうやら、到着後すぐの会議での話を聞いて、また今日の夜会のこともあり、この侍女なりに考えていたらしい。
やっぱり、間諜の訓練も受けているのか。うすうす感づいていたリアナは嘆息した。
「あのね、申し訳ないけど、あなた侍女としてはあんまり役に立ってないわよ。ルーイ一人でも今とたいして変わらないわ」
黒髪で小柄のこの侍女は、ドレスを着させればボタンを掛けちがえ、髪を結わせれば頭皮にピンを刺すといった具合で、間諜でもなければなぜ侍女に推薦されたのか理由がつかない。
「さようですか」
まったく表情に出してはいないが、どうもミヤミはがっかりしたようだった。「お役に立ちたかったのですが、残念です」
「別にいいわよ、そこまで忠誠を尽くしてくれなくっても」
そう言うと、ミヤミは「いえ」と首を振った。
「忠誠というか、ときには朝起きたらリアナ陛下が露のごとく消えておられないかと期待することもあるのですが――もが」
「ちょ……ちょっと!!」
リアナは侍女の口を手で覆った。
あまりにも率直な願望に、怒るよりも先に心配になる。仮にも王たる女性への暴言、聞きとがめられればどんな処分が下ってもおかしくはない。
こんなに嘘がつけなくて、この子、大丈夫なんだろうか。フィルに嘘のつき方を習ったらよかったのに。剣技やスパイ術だけじゃなくて。
「ですが」ミヤミはリアナの懸念も知らず、口もとの手をはがして続けた。「身命を賭してお仕えします」
「なんでよ……」
ミヤミは居住まいをただした。「わたしは〈ハートレス〉。『剣こそわが
その言葉はまるでフィルそのままのようで、リアナは胃が重くなった。
自分よりも若いほどの、こんな少女に言わせていいセリフではない。それに、フィルにだって、本当はそんなことを言わせたくない。