6-1. アエンナガル ①

文字数 4,105文字

 がちゃりと音を立ててドアが開き、中から〈癒し手(ヒーラー)〉がうなずいて手招きした。リアナとデイミオンは待ちかねたように部屋へ入った。

「閣下は極度の疲労状態ですが、外傷もなく、健康に異常はありません」
 青の竜の〈乗り手(ライダー)〉および〈呼び手(コーラー)〉は、オンブリアでは〈癒し手(ヒーラー)〉と、人間たちの世界では医師と呼ばれている。二人はほっとして顔を見合わせた。

北部領(ノーザン)からここまで、ほぼ不眠不休で飛んでこられたのでしょう」
「おそらくはな」デイミオンはうなずき、おもむろに寝台に近づくと大声で呼ばわった。
「ナイル卿! ジェンナイル・カールゼンデン! 起きて報告しろ!」

「デイミオン卿!」〈癒し手(ヒーラー)〉が悲鳴を上げた。「病人が起きてしまいます!」

「病気ではないと言ったのはあなたよ」王太子の代わりに、リアナが淡々と言った。「メドロート公の置かれた事態は切迫しているはず。ナイル卿は、それを伝えに来たのよ。細部まで報告してから、また休めばいいわ」

「デイミオンだ! 起きろ!」

 軍隊に命令しなれたデイミオンの声は、進軍ラッパ並に大きく響くことで知られている。ナイル卿ははっと目を開けた。
「デイミオン卿……?」ぼんやりしていた目が、すぐに焦点を結ぶ。
「私はっ……いつまで眠って……!?」
「半刻も経っていない。安心しろ」デイミオンが言う。

「メドロート公が行方不明になり、ケイエの近くで〈()ばい〉の絆が切れたところまで聞いた。……事態を整理して、必要があれば王都に戻らず、私みずから救出に向かう。心配するな。そして順を追って話せ」
 ナイルは上半身を起こすと、一度、強くまばたきをした。自分と同じ虹彩の色を見るのは、(竜術を使用中のルーイをのぞいては)はじめてだ。
 リアナは寝台の脇の卓から水差しを取り、コップに注いでわたしてやった。
「かたじけない、陛下」


「陛下とデイミオン卿がイーゼンテルレにおられると聞いて……飛竜を飛ばしてきた甲斐がありました」水を口に含むと、またまばたきをした。遠い距離にいる相手と、長時間にわたって〈()ばい〉を続けることは精神的にも非常に疲れるはずだ。

「大叔父は……メドロート公は、農耕にかかわる夏季の務めを果たすため、南部に向かう途中に行方不明になったようなのです」

「正確にいつの話だ?」と、デイミオンが尋ねる。
「タマリスの竜神祭の三日後ですから、いまから半月前になります」
 ナイルはとつとつと説明をはじめた。

「天候もよく、慣れた道ですので、道中は念話での報告もほとんどありませんでした。大叔父は慎重な人ですし、われわれもまったく心配していなかったのです。しかし、南部領(フロンテラ)に到着予定の日を過ぎても到着しないと、エサル公からの使者が早竜(はやうま)で報告をくださって……」
 その件なら、イーゼンテルレに到着してすぐ、リアナも彼から報告を受けた覚えがある。うなずいて先をうながす。

「〈()ばい〉も非常に遠かったので、後継者の私が大叔父を探しに出ました。ご存知のように、領主とその後継者も、王と同じように〈()ばい〉の力でその所在がわかるものですから。
 国境沿いあたりまで来ると、〈()ばい〉の絆は感知できるようになったのですが、非常に混乱が強く、会話がなりたちませんでした。応援を呼ぼうにも、詳細がわからず……ようやく、つい先刻、〈()ばい〉の画像(イメージ)が流れ込んできて、場所が特定できたのです。周囲にはたくさんの人間が、大叔父を取り囲んでいました」

?」
 嫌な予感は、もはや確信に変わろうとしていた。リアナは知らないうちに自分の肩を抱いていた。その腕ごと、デイミオンが彼女を抱き寄せる。

「場所は?」と、デイミオン。
「アエディクラ――旧イティージエン領内の、いまはアエンナガルと呼ばれている地区です」

 二人は顔を見合わせた。行かなければ、とリアナは思った。助けに行くと、彼にそう伝えなければ。メドロートは彼女の大切な身内だから。
 いつものように、籠と卵の話になるかと思って構えたが――デイミオンはしっかりと目を合わせ、決意の表情で言った。


「――行こう。私とおまえと、ナイル卿とで。……メドロート公を助けよう」


                 ♢♦♢


 ケイエの〈隠れ里〉にどこか似た、山に囲まれたけわしい渓谷が広がっている。人が近づくことのできない高地に滝と水場があり、竜たちにはかっこうの住処となっていた。その、天然の竜の巣の真下に岩棚があり、狭い隙間から、ひとりの青年が周囲を警戒しながら、滑りこむように入っていった。
 入り口の狭さからは想像もつかないほどの広さの洞窟が、目の前に広がっている。

 青年イオは(サギ)めいた仮面を脱ぎ、頭を振って顔にかかる短い金髪をはらった。
 暗闇と湿気、それに静けさが、彼とその種族にとっての安息の地となる。住居区のほうへ歩いていくと、外界の刺激で過敏になっていた感覚がしだいに落ち着いてくるのがわかった。
 亡霊のようにゆっくりと、従者役のデーグルモールが近づいてくる。シッ、シュッ、と蛇のような音を立ててなにごとかをしゃべった。イオはほとんど音に出さずに「わかっている」と答え、マントと仮面をわたす。鍾乳洞のようにところどころが光る洞窟を奥のほうへと進んでいく。彼らは明かりを使うことはめったになかった。音の反響と、皮膚に感じる風の流れで、歩いていくべき方向がわかるからだ。

 その場所は、かつてはイティージエンという大国の領土であった。戦争のたびに名前が変わり、現在では、古くからのアエンナガルという名称で呼ばれることが多い。
 そこに、オンブリアでは〈デーグルモール〉〈半使者(しにぞこない)〉と呼ばれ、彼ら自身は〈不死者〉と自称する者たちが群居していた。

 彼らの頭領、ダンダリオンの私室はみすぼらしかった。

 まず、ドアがない。かつてはあったのだが、長年の湿気で腐り落ちて、修繕する者がいないのだ。見かねたイオが布を張って目隠しにしている。もっとも、頭領の威厳を気にかけるようなものは彼らの種族のなかにはいないので、まあ、どうでもいいことではあるのだが。
 ――この布も、そろそろ替える必要があるな。

 イオがなかに入ると、頭領がふりむいた。

 青白い肌だが、見た目は往年のまま、竜族の貴公子といってもさしつかえない。イオ同様、体格は小柄で、優美な眉、すっと通った鼻筋、やや薄い唇を持つ。細い金髪は、肩につかないくらいの長さで切りそろえられている。

「ただいま帰着しました」
 頭を下げて堅苦しくあいさつするが、頭領は、「皮膚が焼けているな」と言うと、部屋の隅にある小さなチェストへ近づいた。
「おいで、イオ、軟膏を塗ろう」

「自分でやりますよ。あとで。一人で」イオはため息をついた。
「それより、報告をさせてください……父さん?」
「報告を聞きながらでも塗れるよ」
 有無を言わさず腕を引っ張られ、イオはあきらめて父のやりたいようにさせることにした。

「ガエネイスの狩りに同行しましたが、新兵器は予想以上でした。捕竜銃(ボムランス)は旧来よりかなり性能が上がっています。捕竜砲(ハープーン)の飛距離も、目視ですが、二倍近く伸びているように見えました。この分だと、古竜の体内に打ち込んで、爆破させて殺す方法が現実に可能になってきていると思います」

「ガエネイスならやるだろうな」息子の腕にアロエとジベリーの軟膏を塗りつけながら、ダンダリオンがつぶやいた。薬草のツンとくる匂いがあたりにひろがる。
「このままでは、あいつはデーグルモールの軍隊を必要としなくなるでしょう。こちらも危機感を持って臨まねば……。イーゼンテルレは軍備を増強したがっています。アエディクラの拡張を喜ばない点では、手を組める相手かもしれない」
「ガエネイスは配下と同盟国に目を光らせている。イーゼンテルレと再び手を組む動きは王を余計に刺激するかもしれん」

「では、どうしろと?」イオはいらだちを募らせる。「オンブリアとアエディクラがぶつかれば、イティージエンの二の舞だ! 俺たちは、両者の戦いで摩耗し、また流浪(やどなし)の民になる」
 ダンダリオンは黙ったまま軟膏の壺にふたをし、部屋をわたってそれをチェストにしまった。そして言う。
「次はそうはなるまいよ。おまえの言うとおりなら、今度こそオンブリアが敗ける。竜とその子孫たちは滅び、大陸は人間たちの住む地となる……われわれはオンブリアと手を組むべきか?」整った顔を鳥のように傾げた。

「父さん、実は――」
 イオが口を開きかけると、入り口からシューシューと声がして、会話が中断された。

 不死者たちの王は、歩み寄ってかれらの声に耳をかたむけた。シー、シューッ、と同じ音で答える。
『後で行くから、寝かせておきなさい。頭を動かさないように。柔らかい布で胴をしばって』
 低い感謝のつぶやきが聞こえ、同族たちが去っていく。

「蘇生中の者ですか?」

「ああ」王はふたたびチェストに近づき、薬とおぼしい壺をいくつか取りだした。
「一度蘇生したが、言葉が通じず、暴れだしたので、殺してしまったらしい。もうしばらくしたら息をふきかえすだろう」
「ニエミにやらせればいいのに」
「他のものには他の仕事がある。……それに、ニエミはケガをしている」
「ケガ? なぜ?」
「例の、

のために」
 イオが名前をあげたのは、古参のデーグルモールで、王の片腕の役割だった。もっとも、彼やイオのようにまっとうに思考して会話ができるものは多くなく、さらに、その数は減り続けている。それなのに、ダンダリオンが受けたその依頼のために、少なからぬ兵士を命の危機にさらしている。

 半死者(しにぞこない)の蔑称は、たしかに彼らの種族の一面を正しく言い表している。傷や病気で死ぬことはないが、熱と腐敗と精神の退行がいずれ彼らを塵へと帰さしめる。ほとんどの兵士はただ命令に従い、少しずつ朽ち果てていくだけの生き物でしかない。われわれはゆっくりと滅びつつあるのかもしれない、とイオはときどき思うことがある。頭領の息子である自分は、それをとどめねば。


「もう一つあります」イオの声が熱を帯びた。「オンブリアの新しい王、あれは、デーグルモールだ」


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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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