2-5. 悲しい別れ ②

文字数 2,875文字

「リアナ……」
「だって、イニが帰ってくるかもしれない。今日はわたしの成人の儀だから、もしかしたら……」
 フィルの呼びかけに被せるように言う。「今日戻ってくるかもしれないの。何があったか知らないはずだから、危ないってことを知らせなきゃ。……それに、飛竜乗りたちだってきっと戻ってくるもの」
 フィルはもう一度首を振った。
「たとえあなたの大切な人でも、今は待っていられないんです。この村の惨状は、一人二人の兵士でできることじゃない。組織だった犯罪です。何が目当てだったにせよ、もう一度同じことが起こったら、俺と彼だけではあなたを守れない。……生き残った人を探して守る仕事は、フロンテラの領兵にまかせるしかない」
 そして、背をかがめて目を合わせて言った。「俺を信じて、一緒に来て」
 が、リアナはとまどいがちに首を振った。
「助けてくれたことは、すごく感謝してます……でも、村の人が誰か一人でも残ってるなら、これからのことはその人と決めたいの。あなたたちとじゃなくて」

 それまで、二人の会話を少し離れた場所で聞いていた青年が、急に聞いた。
「この村に、リアという名前の女性はいたか」
 石造りの壁に寄りかかって腕を組んで、落ち着いた低い声でそう尋ねる。ふいのことで、リアナは驚いてすぐには答えられなかった。巨大な黒竜とともに現れた、いかめしい長衣に包まれたこの青年に、まったく意識を向けていなかったからだ。

「リアなら……そう呼ばれてるのは、今はわたしだけです」
 慎重に、そう答える。
 青年はゆるりと腕組みを解き、二人に向かって歩み寄ってきた。フィルは村の男たちよりいくらか背が高かったが、男はさらにそれより拳ひとつ分ほどは長身だった。紺色の長衣(ルクヴァ)は喉もとまで高くつめられ、上半身は細身で、腰から下はスカートのようにたっぷりと広がる。竜を駆る男たちの正装だ。イトスギみたいに背が高くて、心も同じくらい無感動なように見えた。

 男は名乗りもせず、しげしげとリアナを見たあと、何かを手渡した。思わず差し出したリアナの手のひらに、ささやかな重さが加わった。
「……若い飛竜乗りの死を看取った。そいつの持ち物だ」
 その目が吸い寄せられるように、手のひらから離せない。リアナの鼓動が速くなった。
「そいつが最後に呼んだ女が生きていれば、渡してやろうと思って持ってきた。……おまえの名だ」
 革ひもと鉱石で作られたペンダント、その持ち主をリアナはもちろん知っていた。
「……ケヴァン……?」
 もはや悲鳴は出なかった。足元から世界が崩れ落ちていくようだった。ついに意識が途切れた瞬間、誰かに受けとめられたことすら気がつかなかった。

  ♢♦♢

 気を失った少女をデイミオンに任せると、フィルは情報収集をして戻ってきた。少女を連れてすぐに王都へ向かわなければならないが、襲撃者のことも気にかかる。二人は竜を使って麓まで降りると、目立つ古竜から下り、交易所で走り竜(ストライダー)を借りて移動をはじめた。目的地は、今回の行動にあたって拠点にしたケイエの街だ。
 晴れた空に竜の影はなく、惨劇が嘘のように穏やかだった。交易所でも、特に変わったことはなかったという話だった。念のため、隠れ里には近づかないように警告しておいたが、それ以上のことは伏せている。今は目的のために、予測外の行動はどうしても慎まざるを得なかったのだ。

「ケイエがこれほど復興しているとはな」
 デイミオンが言った。先の大戦で戦地となったことから、もっと荒れ果てた場所を想像していたらしい。かつて見た焼け焦げた何かの残骸や灰だけが残る空き地は姿を消し、新しい家や店に取って代わられている。青年貴族は興味深そうにあたりを観察していた。
 城塞都市ケイエには活気があふれていた。居酒屋や宿屋に加え、時計の工房や武器を扱う店があるあたり、冶金と工業で知られるこの街らしい。
 彼らが進むのはにぎわった広場だった。竜の背から見下ろしても、テーブルにはさまざまな商品が並べられている。鍋やナイフ、地図、山を越えるための毛皮といったものはいかにも国境沿いらしい品物だ。オリーブオイルの瓶や、ナツメヤシの束、竜の鞍下肉……。デイミオンは、上等の装具や武器が見えないように用心して外衣(コート)をかき集めた。
 
「撤収が速すぎたから、嫌な予感はしていたんだけど、相手は野盗じゃないな」道すがらにフィルが説明する。
「家や店の中はほとんど荒らされていない。持ち去られているのはおそらく、幼竜と卵だけだ」
 フィルの胸に頭をあずけるようにして、少女はまだ気を失ったままだ。フィルのマントでくるんでフードも被せているので、見下ろしても表情はわからない。ただ、身体は冷たくこわばっていた。はやく、温かい寝台で休ませてやりたいのだが。
「そもそも、あの里には竜がなければそう容易には近づけない。単なる物取りでないのは最初からわかっている以上、偽装の必要もないのだろう」
 不慣れな走り竜(ストライダー)に若干苦戦しながら、デイミオンが返した。古竜に比べると気性が穏やかなのはいいが、威圧的な雰囲気が走り竜を怯えさせてしまったらしい。
「デイ……」フィルが呆れた声でつぶやいた。「そんなに殺気立つと竜が怯えるよ。あと腹も蹴らないでいい」
 本人はもちろん走り竜(ストライダー)の扱いに長けているので、リアナを前に乗せていても動きは単騎同様にスムースだ。
「古竜の方がいい」端正な顔でそう愚痴る。「小さい生き物は苦手だ」
 走り竜(ストライダー)はそう小さな生き物とも言えないが。この男にとっては、まあ、そうなのだろう。

「竜の捕獲が目的か……? デーグルモールの傭兵たちなら、十分に可能だ。でも、なぜ殲滅する必要が?」フィルは自問自答した。「飼育人の数人くらい、連れて行ってもよさそうなものだ」
 孤立した村だから、口封じと時間稼ぎのためだろうか? 熟練した飼育人はどこの国でも重宝される希少な専門職人だ。傭兵なら、金になるかならないか見極めるためだけにでも連れて行くだろう。
「あのイニとかいう男を連れて行ったのではないか? その娘の養い親だという……飼育人だったのだろう?」
 フィルはうなずいたものの、しばし逡巡した。「いや……わからないな、今はまだ」
 何もかもが、この一日に集中していた。デイミオンたちが彼女を迎えに来たのも、隠れ里を狙った襲撃も。そして、イニの帰ってくる日というのも、今日だという。偶然とは考えられなかった。
 デイミオンは顎に手をやって思案げになった。
「できれば竜騎手団で調査したいが、無理だろうな」
「フロンテラの領主は関与してくると思うか?」
「当たり前だ、領主の沽券にかかわる。こちらに嘴を挟ませるつもりはないだろう」
「じゃ、密偵を入れよう」フィルがあっさりと言った。
 デイミオンは片方の眉を器用に上げた。賛同しかねるが、やむを得ないというおなじみのジェスチャーだ。
「おまえに目をつけられる者が不憫に思えるよ。その人当たりの良さで、何人が丸め込まれたんだろうな」
 フィルバートは黙って、「これ以上は踏みこませない」という意味の微笑みを浮かべた。
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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