3-5. 届かない声・侍女たち ②
文字数 2,772文字
「そういうの、やめなさい」
リアナは息を吐き、ミヤミが掛け違えたボタンを自分で掛けなおしはじめた。
「あなたの人生には、もっといろんな選択肢があるはずよ。そういう自己犠牲的なのじゃなくて……ちゃんと幸せになれる道を探しなさい。もし、一人で見つけられないなら、わたしも一緒に探してあげる。……たぶん、王様をやめてからね」
もう一人の侍女ルーイは、部屋のドレッサーを開いて宝石類などを見つくろっている。が、聞き耳を立てていることはわかる。リアナとしては、二人ともに言っているつもりだった。
「しかし、陛下」
「もういいわよ。これだけいろいろあると、あきらめくらい良くなくちゃやっていけないわ……ほら、そこに座って」
「はあ」
「ルーイ。あなたもちょっと来て」
ミヤミはなにがなんだかよくわからないという顔で、ルーイはにこにこと、寝台のうえに腰かけた。
リアナは二人の侍女を順番にハグし、数日分のいらだちをこめて彼女たちの髪の毛をくしゃくしゃにしてやった。「あああ、もう、なにもかもイヤになった」
「陛下」ミヤミは真っ黒な目をまるまると見開いている。ルーイはくすくす笑いで返す。
「あなたたちも、男を見る目を養わないとダメよ。悪い男にひっかかると人生台無しなんだから」
それほど男性経験が豊富というわけでもないのに、さも複数の夫を持つ年長の妻のような上から目線の口ぶりだ。
「リアナさまったら」ルーイが笑う。「お二人より悪い男なんて、タマリスに山といますのに」
「陛下。そろそろ準備なさらないと」
ぎゅうぎゅうとハグされているミヤミが、迷惑そうな声を出した。
「うるさーい」
「あら、いいじゃないミヤミ、ハグしていただきなさいよ。フィルさまと間接ハグになるわよ」ルーイが口をはさむ。
「あーっ、あなたやっぱりそうなのね。憎たらしい」
「陛下、痛いですし、間接ハグといってもたぶんフィルバート卿はこんなに柔らかくないと思いますし、男くさいなかにも良い匂いがするはずですし、これだとわたしにはなんの得もない」
「わたしだけ失恋させないわよ、あなたも道づれよ、ミヤミ」
「うふふ。リアナさま、わたしもー」
少女三人は団子のようになって押し合いへし合いした。
♢♦♢
まあ、それが多少の気分転換にはなった。
あらゆることが済んだら大きな無力感に襲われそうではあるが、ひとまず今は、やるべきことをやるだけだ。たとえデイミオンなしでやらなければいけないにしても。
「目の色ばっかりはどうにもならないわねぇ」
同じ黒いドレスを着た、二人の少女がいる。体格も髪や肌の色もほぼ同じ。ただ、リアナの言葉どおり、目の色がはっきりと違った。金髪に多い虹彩の取りあわせは青、灰、茶などで、スミレ色というのはきわめて珍しい。ゼンデン家の遺伝的特徴といってよく、侍女のルーイは鮮やかな翡翠色の目なので、まったく正反対だ。
眼鏡でもかけたらいいのかしらとつぶやくリアナを前に、ルーイはいつもどおりの笑顔を見せる。
「リアナさま、レーデルルさまの力をお借りしますね」
「え?」
「わたしからの〈呼 ばい〉、拒まないでくださいね」
「どうし――」
最後まで言うまえに、リアナはあんぐりと口を開けた。ルーイの目が、翡翠色から
〔はさむ、はさまる?〕
ここにはいない、レーデルルの疑問の声が頭に届いた。〔サァブ、サァブ?〕
「ルーイ! あなた、竜騎手 なの?」
スミレ色の目は、遠目には完璧にリアナに見えるほどの、同じ色あいだった。
「でも、いったい、どうやって?」
「いいえ、わたしは白の〈呼び手 〉です」ルーイは首を振る。
「ライダーの方はご存じないかもしれませんが、コーラーは術の使用中、自分が力を借りる古竜の竜騎手 と虹彩の色が同じになるんです。なぜかはまったくわからないそうですけど」
「そんな話……知らなかった」
実に不思議だし、初耳だ。
「ちなみに、竜騎手 でも、術の使用中に虹彩の色が変わる人と変わらない人といるそうです」
「そうなの?」
「はい。これも、理由はわからないらしくて。リアナさまはふだんからずーっとスミレ色ですけど、たとえばデイミオンさまはふだんは青で、術を使うときだけ金色になりますよね?」
「えっ……そうだっけ?」竜術を使っているときの目の色など気にしたことはなかったので、リアナは首をひねった。どのみち、自分からは自分の目は見えないのだし。
「目に悪くないの?」
「大丈夫ですよ。コーラーは、ライダーが引きだした竜の力のおこぼれをもらうようなものですから」
「まあ、びっくりしたけど、それはいいわよ。とにかく、あなたが〈呼び手 〉だなんて知らなかった」
ルーイはリアナではなく鏡のほうを見ながら、自分の髪を手早くセットしている。「はい。それが、フィルさまがわたしを選んだ理由……」
「わたしの影武者にするため」
「はい」ルーイはにこっとした。
「だけど、どうしてフィルに従っているの? あなたは〈ハートレス〉じゃないのに」
自分のセットが終わると、ルーイはリアナの髪にとりかかる。イーゼンテルレ風のドレスに合わせ、高く結い上げて数房だけを首筋にカールさせて垂らす。
「北部 のさる高貴なるお血筋のお世継ぎが、ごく幼少のときに〈ハートレス〉とわかって」
きらきらした飾りピンで髪をとめながら、ルーイはつづけた。
「たったおひとりのお世継ぎが〈ハートレス〉となれば、お家取り潰しもあり得る。困った当主さまは、こうお思いになりました――『公式な場にだけ、代わりの者を立てればよい』と」
二人は鏡を前にして、鏡のなかでそっくりの目を合わせている。
「じゃあ、あなたはその子どもの身代わりに?」
「はい。……孤児だったわたしは食い扶持と寝る場所がいただけたし、竜術も教わることができた。当主さまたちはお家を存続させられた。――それはとてもうまくいっていたのですが、ある日、お世継ぎは
「それって……」
「癇癪の強い方で、わたしはよく見えないところをつねられてアザを作っていました」
「まさか……」虐待を受ける身代わりの少女を、フィルバートが助け出したとか……そのときに世継ぎのほうはフィルが……などと不穏なことを考える。
「いいえ」ルーイはそっと目をふせた。「他人につらく当たる方は、自分にも同じくらい厳しい仕打ちをなさることがあります。……その方は〈ハートレス〉である自分が許せなくて、自分の命を絶ってしまわれたのです」
「そうなの……」
ルーイは、ミヤミのほうを気にしながら話していた。ミヤミは淡々と準備を続けていて、なんらかの葛藤があるにしてもそれを顔に出すことはなかった。
リアナはフィルバートのことを考えていた。彼の長い孤独と、苦しみのことを。
夜会の時刻が近づいてきていた。
リアナは息を吐き、ミヤミが掛け違えたボタンを自分で掛けなおしはじめた。
「あなたの人生には、もっといろんな選択肢があるはずよ。そういう自己犠牲的なのじゃなくて……ちゃんと幸せになれる道を探しなさい。もし、一人で見つけられないなら、わたしも一緒に探してあげる。……たぶん、王様をやめてからね」
もう一人の侍女ルーイは、部屋のドレッサーを開いて宝石類などを見つくろっている。が、聞き耳を立てていることはわかる。リアナとしては、二人ともに言っているつもりだった。
「しかし、陛下」
「もういいわよ。これだけいろいろあると、あきらめくらい良くなくちゃやっていけないわ……ほら、そこに座って」
「はあ」
「ルーイ。あなたもちょっと来て」
ミヤミはなにがなんだかよくわからないという顔で、ルーイはにこにこと、寝台のうえに腰かけた。
リアナは二人の侍女を順番にハグし、数日分のいらだちをこめて彼女たちの髪の毛をくしゃくしゃにしてやった。「あああ、もう、なにもかもイヤになった」
「陛下」ミヤミは真っ黒な目をまるまると見開いている。ルーイはくすくす笑いで返す。
「あなたたちも、男を見る目を養わないとダメよ。悪い男にひっかかると人生台無しなんだから」
それほど男性経験が豊富というわけでもないのに、さも複数の夫を持つ年長の妻のような上から目線の口ぶりだ。
「リアナさまったら」ルーイが笑う。「お二人より悪い男なんて、タマリスに山といますのに」
「陛下。そろそろ準備なさらないと」
ぎゅうぎゅうとハグされているミヤミが、迷惑そうな声を出した。
「うるさーい」
「あら、いいじゃないミヤミ、ハグしていただきなさいよ。フィルさまと間接ハグになるわよ」ルーイが口をはさむ。
「あーっ、あなたやっぱりそうなのね。憎たらしい」
「陛下、痛いですし、間接ハグといってもたぶんフィルバート卿はこんなに柔らかくないと思いますし、男くさいなかにも良い匂いがするはずですし、これだとわたしにはなんの得もない」
「わたしだけ失恋させないわよ、あなたも道づれよ、ミヤミ」
「うふふ。リアナさま、わたしもー」
少女三人は団子のようになって押し合いへし合いした。
♢♦♢
まあ、それが多少の気分転換にはなった。
あらゆることが済んだら大きな無力感に襲われそうではあるが、ひとまず今は、やるべきことをやるだけだ。たとえデイミオンなしでやらなければいけないにしても。
「目の色ばっかりはどうにもならないわねぇ」
同じ黒いドレスを着た、二人の少女がいる。体格も髪や肌の色もほぼ同じ。ただ、リアナの言葉どおり、目の色がはっきりと違った。金髪に多い虹彩の取りあわせは青、灰、茶などで、スミレ色というのはきわめて珍しい。ゼンデン家の遺伝的特徴といってよく、侍女のルーイは鮮やかな翡翠色の目なので、まったく正反対だ。
眼鏡でもかけたらいいのかしらとつぶやくリアナを前に、ルーイはいつもどおりの笑顔を見せる。
「リアナさま、レーデルルさまの力をお借りしますね」
「え?」
「わたしからの〈
「どうし――」
最後まで言うまえに、リアナはあんぐりと口を開けた。ルーイの目が、翡翠色から
スミレ色に
変わったのだ。〔はさむ、はさまる?〕
ここにはいない、レーデルルの疑問の声が頭に届いた。〔サァブ、サァブ?〕
「ルーイ! あなた、
スミレ色の目は、遠目には完璧にリアナに見えるほどの、同じ色あいだった。
「でも、いったい、どうやって?」
「いいえ、わたしは白の〈
「ライダーの方はご存じないかもしれませんが、コーラーは術の使用中、自分が力を借りる古竜の
「そんな話……知らなかった」
実に不思議だし、初耳だ。
「ちなみに、
「そうなの?」
「はい。これも、理由はわからないらしくて。リアナさまはふだんからずーっとスミレ色ですけど、たとえばデイミオンさまはふだんは青で、術を使うときだけ金色になりますよね?」
「えっ……そうだっけ?」竜術を使っているときの目の色など気にしたことはなかったので、リアナは首をひねった。どのみち、自分からは自分の目は見えないのだし。
「目に悪くないの?」
「大丈夫ですよ。コーラーは、ライダーが引きだした竜の力のおこぼれをもらうようなものですから」
「まあ、びっくりしたけど、それはいいわよ。とにかく、あなたが〈
ルーイはリアナではなく鏡のほうを見ながら、自分の髪を手早くセットしている。「はい。それが、フィルさまがわたしを選んだ理由……」
「わたしの影武者にするため」
「はい」ルーイはにこっとした。
「だけど、どうしてフィルに従っているの? あなたは〈ハートレス〉じゃないのに」
自分のセットが終わると、ルーイはリアナの髪にとりかかる。イーゼンテルレ風のドレスに合わせ、高く結い上げて数房だけを首筋にカールさせて垂らす。
「
きらきらした飾りピンで髪をとめながら、ルーイはつづけた。
「たったおひとりのお世継ぎが〈ハートレス〉となれば、お家取り潰しもあり得る。困った当主さまは、こうお思いになりました――『公式な場にだけ、代わりの者を立てればよい』と」
二人は鏡を前にして、鏡のなかでそっくりの目を合わせている。
「じゃあ、あなたはその子どもの身代わりに?」
「はい。……孤児だったわたしは食い扶持と寝る場所がいただけたし、竜術も教わることができた。当主さまたちはお家を存続させられた。――それはとてもうまくいっていたのですが、ある日、お世継ぎは
不慮の事故
でお亡くなりに」「それって……」
「癇癪の強い方で、わたしはよく見えないところをつねられてアザを作っていました」
「まさか……」虐待を受ける身代わりの少女を、フィルバートが助け出したとか……そのときに世継ぎのほうはフィルが……などと不穏なことを考える。
「いいえ」ルーイはそっと目をふせた。「他人につらく当たる方は、自分にも同じくらい厳しい仕打ちをなさることがあります。……その方は〈ハートレス〉である自分が許せなくて、自分の命を絶ってしまわれたのです」
「そうなの……」
ルーイは、ミヤミのほうを気にしながら話していた。ミヤミは淡々と準備を続けていて、なんらかの葛藤があるにしてもそれを顔に出すことはなかった。
リアナはフィルバートのことを考えていた。彼の長い孤独と、苦しみのことを。
夜会の時刻が近づいてきていた。